第11話「魔女の呪いと遠い過去の約束」(2)

「こんばんは……」

「あらキーラちゃん、いらっしゃい。今日は美味しいチーズが……!」


 私の背後からひょっこり顔を覗かせたノアを目にし、シェリルさんは大袈裟なくらい目を見開いて驚いた。黒猫一匹をお供に独りで来店していた私に、同伴者がいるなんて想像もしなかったはずだ。おまけに相手はこの地を治める領主様だ。


「シェリルさん、あの。今日は一人じゃなくて……」

「あら! あらあらあら!」


 いつも以上に声を弾ませたシェリルさんは、パタパタと小走りで駆け寄った。私の手を両手でぎゅっと握りしめては何度も何度も頷いた。


「まさかキーラちゃんが男性と一緒に来てくれるなんて。しかもお相手は領主様! まぁまぁ、なんて素敵な日かしら。こんな日がやってくるなんてね」

「いえ、あの。これは成り行きというか、私が望んだわけではなくて」

「私が同行したいとお願いしたんですよ」


 と、ノアは抱えていたエステルをそっと足元へおろし、会話にさらりと割り込んだ。

 深々と丁寧にお辞儀をし、いつものキラキラと輝く笑顔をふりまく。おかげでシェリルさんも少女のように照れくさそうに微笑んでいた。


「私としては彼女のことをもっと知りたいと思っているのですが、何度お願いしても断られてしまっていて。だから今日はちょっと強引についてきたんです」

「あらあら。領主様、もっと強引に誘ってあげてくださいな」

「いいと思いますか?」

「ええ、いいと思いますわ」


 私はシェリルさん越しにノアを睨みつけた。

 よくもそんな、いけしゃあしゃあと嘘がつけるものだ。今日はちょっと強引に――いつも強引に押しかけてきているし、今日だけの話ではない。そしてただでさえ強引なのだから、これ以上強引になられても迷惑が増すだけだと、シェリルさんがいなければ叫んでいるところだった。


「シェリルさん、今日はたまたま一緒になっただけなの。今度来る時はいつも通りひとりだから」

「いいえ! また一緒に来てちょうだい」


 私の言葉を跳ね返すみたいに、シェリルさんはいつになく語気を強めた。そんなシェリルさんを見るのは初めて。意を決したように頷いたかと思うと、シェリルさんはノアに迫り、力強く手を握りしめて頭を下げた。


「領主様! キーラちゃんのこと、よろしくお願いします」

「えっ、ちょっと、シェリルさん?」

「キーラちゃんのこと、街の人は色々噂してるけど……あんなのは本当のキーラちゃんじゃないのよ。とっても優しくて思いやりがあって、人を傷つけるようなことは絶対にしない子なの。私が保証するわ」

「わかってますよ」


 返ってきた答えに、シェリルさんがハッと顔を上げた。

 少しだけ体を屈め、握られていた手を優しくほどいてからシェリルさんの手を握り直す。まるで何かを誓うように小さくお辞儀をしてみせる。その仕草は見入ってしまうほどにしなやかで美しかった。


「私は自分の直感を大事にしています。初めて会った時から、キーラは素敵な人だってわかっていましたから」


 さすがに嫌味すら返せなかった。

 今の今までそんなことは一言も言っていなかった。暇を持て余した領主のきまぐれだろう。物珍しいおもちゃを手に入れた子供みたいに、からかって楽しんでいただけだろうと思っていた。その時見せたノアの表情は真剣で真っ直ぐで、言葉の一つ一つが温かくて強くて。からかわないで、冗談はやめて――その言葉が言えなかった。


「そう! それを聞いて安心したわ。あぁ、なんだか可愛い娘が嫁いでいくみたいな気分よ」

「シェリルさん! 鶏肉の燻製とバター、お願いできますか? それから、えっと。砂糖と塩も!」

「はい、はい。すぐに用意するわね」


 これ以上ノアと話をさせたら厄介なことになりそうで、半ば強引に割り込んで二人を引き離した。

 シェリルさんはノアの言葉がよほど嬉しかったのか、食材を準備しながらずっと鼻歌を歌って上機嫌。この様子だと、私がここへ顔を見せるたびにノアのことを聞かれそうな予感がした。


「はい、これで全部ね。他に足りないものはない?」

「うん、これで大丈夫。また近いうちに来るね」


 そう言いつつ、視線をノアへ移動させ黙って彼を見上げた。視線に気づいたノアはきょとんとしながら笑顔で首を傾げるから、さらに睨みつけてやった。


「食材の調達は終わったわ。領主様はお邸に戻ってお仕事なさったら?」

「いや、まだ少しだけ時間があるんだ。キーラ、少しだけデートでもしないか?」

「っはぃ!?」


 さらりと呼吸をするみたいに言われたから、思わず変な声で返事をしていた。

 間近で聞かされたシェリルさんは「まぁ、まぁ!」と自分のことのように声を弾ませ、足元のエステルは行ってこいと言わんばかりに、私の足にブンブンと尻尾をぶつけた。


「い、行かないわよ!」

「ははっ、相変わらず即答だな」

「キーラちゃん、何言ってるの! ほら、いってらっしゃい!」


 激しく拒絶した私の背中はシェリルさんにドンと押され、不意打ちで構えていなかったせいか、押し出された私はフラフラとよろけてノアにぶつかった。その拍子にノアがしっかりと私の手を握ってしまった。目の前で浮かべられた不敵な笑みに背筋がぞっとした。


「シェリルさん。キーラの荷物は、外で待たせている執事に渡しておいてください。帰りに届けさせます。エステルも一緒に送ってもらうといい」


 すり寄ってきたエステルの頭を撫でてやると、エルテルは背中をぐっと丸めて、これでもかというくらい猫なで声で答えた。


「では、キーラをお借りしますね」

「どうぞ、どうぞ。いってらっしゃい」


 あたふたしている間に手を引かれ、そのまま店から連れ出されてしまった。

 シェリルさんのお店からさらに坂を上っていくと、見晴らしの良い高台に噴水が設けられた広場があった。夜も遅いせいか人の姿もなく、ガス灯の明かりがぼんやりと辺りを照らしているだけ。私とノアは噴水の縁に腰かけ、何を話すわけでもなくぼんやりと夜風にあたった。


「こんなことしてていいの?」


 沈黙を割るように、ぽつりと静かに話を切り出した。

 ノアは首を傾げながら私の横顔をまじまじと見つめている。視線を合わせると眩しいくらいの笑顔を向けられるから、あえて見ないように空を仰ぎ見た。


「領主様って暇なの? 昼夜問わず家に押しかけてくるし、こんな夜にぼんやり座って夜風にあたってるし」

「もちろん暇ではないかな。当然仕事も大切だけど、俺は誰かと過ごす時間も大切にしたいんだ」

「私と一緒に居たら、街の人達に変な噂立てられるわよ」


 それぞれの地位や立場からすれば、私みたいな魔女が領主の傍にいてはいけない。こうして隣に座るのは私ではなくて、地位も富も申し分なく、そして美貌も兼ね備えたどこかの令嬢だろう。それが街の人々が思い描く領主像に違いない。


「そんなこと気にしてるのか?」


 訊ねられ、ついノアに目をやった。反射的に見てしまったことを後悔するほど、蒼い瞳が私を取り込むみたいに真っ直ぐ見つめられて息が止まりそうになった。


「私は常闇の魔女よ? 目があえば魂を取られるし、声をかければ呪われるの」

「人の目を気にするのは自分に自信がないからだ。何を言われても自分が間違ったことをしていないなら堂々としていればいい」

「別に自信がないわけじゃ……」

「俺がこうしてキーラと一緒にいたいって想いが間違ってるとは思わない。誰かに何か言われたくらいで自分の行動を変えてしまえるなら、その程度の軽い気持ちだってことだろう?」


 ノアは一度だけ目を伏せ、体一つ分ほどあけて座っていた空間を埋めるように、こちらへグッと距離を詰めた。拳一つ分の距離まで迫ったかと思えば、背筋を伸ばして姿勢を正すものだから、つい私も背筋を伸ばして向き合った。


「例えば、だ。キーラは初対面の人間に常闇の森から出ていけと突然言われたら、素直に出て行くのか?」

「そんなの、出て行くわけないじゃない」


 あの森はベルヴァータ家の先祖が代々守ってきた土地だ。先祖の土地を守りたいこともそうだが、何よりオリビンやスフェン、メルリやエステルたちと過ごしてきた大切な我が家がある。私のことを知らない赤の他人に何を言われようと、私はあの森と邸を守る。


「あの森も邸も、私の大切な場所なの! 誰に何を言われても――!」


 そこまで言って気づいた。私が断固として譲れないものがあるように、ノアにも譲れないものがある。誰に何を言われようとも、私と一緒にいることがノアにとっての譲れないことなのか。

 どうしてそこまでして私に執着するのだろう。譲れないものがあるにしても、そこには必ず理由がある。腹の底で何を考えているのか、必死に探ろうと観察していると――


「そうだ。キーラ、これ」

「……何?」


 差し出されたのはリボンのついた小さな紙袋だった。中を開けるよう促されておずおずリボンを解くと、中には紅茶のクッキーが四枚入っていた。

 これはシェリルさんのお店で売っている、手作りの紅茶の茶葉入りクッキーだ。袋をあけた瞬間に、バターと紅茶の香りがふわりと鼻先を掠めた。


「んー、いい香り」

「俺、紅茶のクッキーが好きで、祖母がよく作ってくれたんだ。さっき、シェリルさんのお店で見つけて、つい懐かしくなって買ってしまったんだ」


 待ちきれないと言わんばかりに自らの分の袋を開けて、一枚を一口で頬張った。眉尻を下げて、とろけるような笑顔で食べる様はお世辞抜きに幸せそうだった。


「なんだか、思ってた姿と違うのね」


 ノアはリスみたいに頬を膨らませながら、もぐもぐとクッキーを噛み砕く。本当に好物らしく、私の顔を見ながら二枚目も頬張った。

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