第10話「魔女の呪いと遠い過去の約束」(1)
「おい、見ろ! 常闇の魔女だ!」
「うわっ、呪われ……なぁ。なんか、今日は様子がおかしくないか?」
「あぁ? 言われてみれば……」
いつものように食材の調達で街へやってきた私を見て、行き交う人々が恐れながらも訝し気に様子を窺っている。
私はこの世の終わりみたいな深い溜息をつきながら、目深めにかぶったフードをさらに引っ張って顔を隠した。肩をすくめて辺りを見回し、そろりそろりとすり足気味で道を進んでいく。後をついてくるエステルは、その姿に呆れた様子で私を見上げていた。
「キーラ。そんなに怯えなくても大丈夫じゃない? いつもと様子が違うから、街の人達も変な顔してるよ?」
「仕方ないじゃないっ。油断すると、あいつがどこからともなく現れそうで嫌なのよ」
背後で物音が聞こえれば慌てて振り返り、酔っ払いが路地からふらりと現れただけで「きゃ!」と情けない声を上げてしまう。その度に心臓がドクドクと跳ねあがって、長距離を走り抜けたように呼吸が乱れていた。
「あれ、本当に常闇の魔女か?」
「なんだか怯えてるみたいだし。格好は似てるけど、人違いなんじゃない?」
遠巻きに様子を窺っている人々の会話がはっきりと聞こえる。叫ばれようが罵られようが背筋を伸ばして顔を上げ、出て行けと野次を飛ばされれば呪いをかけてやると驚かせていた私が、今は老婆のように背中を丸くして警戒しながら歩いている。同じ服装でも印象が変われば別人に見えるらしい。
普段からこの姿勢で街を歩けば目につかず、誰にも気づかれずにシェリルさんの店に辿り着けそうだが、さすがに辺りを警戒しながらというのも疲れてしまう。
「私は堂々と夜の街を遠慮なく歩きたいのに……それもこれも、あの伯爵のせいよ!」
ノアが邸へ押しかけて来た日から一週間。毎日のように邸にやってきては、畑の手伝いや邸内の掃除はもちろん、しまいには食事の準備から共に食事をするほどになってしまった。
何度も忠告したことで、事前にバサルトから訪問の連絡が来るようにはなったものの、さすがに毎日となると疲労困憊。おまけに訪ねてくる時間もバラバラで、「今この瞬間しか会えないんだ!」と昼夜問わずやってくる。顔を見せたかと思えば、ちょっと目を離した隙に姿が見えなくなって、気づけば誰にも告げずに帰っていたりと、自分勝手でやりたい放題だった。
未だに彼の魂胆は見えず、ただただ私に会いに来て手伝うだけの毎日が続いている。邪険にはできないからと、オリビンもスフェンも追い返すことはしないし、仕事がはかどって助かるとまで言い出していた。いわずもがな、メルリとエステルはすっかり打ち解けてしまっていたから、快く迎え入れてしまっていたから話にならない。
「どうにかして、ノア・グランフェルトが寄り付かないように対策を考えなきゃ」
「そんなに毛嫌いしなくてもいいんじゃない? キーラも一度じっくり話してみたら?」
「……エステルはすっかり仲良くなっちゃったじゃない」
私としては嫌味を言ったつもりだったのだが、エステルは仲良くなったことを自慢するように、得意気になってユラユラと尻尾をくねらせた。
「最初は変な人かと思ったんだけど、話してみたら面白いし優しいし。おまけに顔は綺麗だし、地位も文句なしの領主様だよ? 何か企んでるとは思えないけどなぁ」
「腹黒い人ってね、そう簡単に本心なんて明かさないわよ」
「酷いな。俺って、そんな腹黒そうに見えるのか?」
不意に声がして顔を上げた瞬間、いつの間にか目の前にノアが立っていた。この瞬間まで全く気付かず、驚きすぎて嘘みたいに飛び退いてしまった。
「出た!」
「ははっ、幽霊見たような言い草だな」
相変わらず、その笑顔は夜の闇を跳ね返すくらいにキラキラしていた。
突然の領主様登場に居合わせた淑女たちが色めき立つのがわかった。同時に、なぜ常闇の魔女と親し気に話しているのかと、驚きと動揺がざわめきとなって空気に広がっていく。
神出鬼没で突然現れるところは、確かに幽霊みたいだ。ただ、私にとっては墓地の死霊達より人懐っこくて質が悪くて恐ろしく見える。
「どうしてこんな時間に、こんなところにいるの……?」
「夜の街を見回るのが日課なんだ。変わったことはないか、妙な連中が徘徊していないかってね。そうしたらキーラの姿を見かけたから、急いで馬車から飛び出してきたんだ」
そう言って、通りの少し先に停車している馬車を指さした。同乗していたバサルトが、呆れた様子でこちらを眺めているのが見える。待ち伏せされていたわけではなさそうだが、迷惑なことには変わりはない。
「こんな夜にどこへ行くんだ?」
「あなたには関係ないでしょ」
「そうか。それじゃエステル、どこに行くんだ?」
私に聞いても答えないとわかると、ノアはすぐさまエステルに訊ねた。ここ一週間ほどで打ち解けてしまったエステルは、躊躇うことなくあっさりと答えてしまった。
「食材の調達だよ」
「あっ、エステル!」
「いいねぇ、買い物か。俺も一緒に行っていいかな?」
断固お断りだと言い返す前に、ノアはすかさず足元のエステルを抱き上げて歩き出してしまった。彼もまた、この一週間で私の追撃を回避する術をしっかり身に着けてしまっていた。それが何とも腹立たしい。
「待って! 服従するって言ってたわよね!? 私が嫌だって言ってるんだから――」
「なんだ、服従させてくれるのか?」
その言葉を口にしたとたん、ノアは立ち止まってクルッと勢いよく振り返った。
期待に胸躍らせる笑顔を向けられ、私は反射的に後ずさった。もちろん、ノアの申し出を受け入れたわけではない。私に服従したいのなら、私が嫌だということはしない。それが従うということだ。ただ、言うことを聞かせるということは、ノアの希望を私がのんで受け止めるということになるわけで、この矛盾がなんとも厄介だ。
首を縦にも横にも触れずに言葉を詰まらせる私に対し、ノアは嬉しそうで楽しそうに笑うから気に食わない。
「とりあえず、目的のお店に行こう。話はそれからだ」
「ちょ、ちょっと!」
私にかまうことなく、ノアは軽快な足取りで先へ行ってしまった。街のど真ん中で立ち止まっているわけにもいかず、渋々後を追った。
今日ほど逃げたいと思ったことない。何もかも放り投げて今すぐに帰って、紅茶を飲みながら魔術の研究に没頭したい。様子を見計らって逃げようと思ったものの、ノアはエステルをしっかり抱えているものだから置いて逃げるわけにはいかない。
人質に取られて脅されているような気分を味わいながら、いつもならエステルと二人で訪れる〈銀獅子亭〉にやってきた。
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