第8話「伯爵の魂胆は?」(3)

「やぁ、キーラ」

「っ!!」

「で、出た!」


 私が叫ぶよりも早くエステルが声を上げた。

 腕にしがみつていた手の爪を立て、シャーと牙をむき出しにして威嚇する。無駄に綺麗な容姿と、メルリに負けず劣らずの笑顔に若干の恐怖を覚えて後ずさった。よろけた私をメルリが抱きとめ、すかさずオリビンとスフェンが私を隠すように正面へ割り込んだ。


「これは、これは。ワシの目に間違いがなければ、そちらのお方はグランフェルト伯爵様ではございませんか」

「こんな森の奥深くまでお越しいただいて大変申し訳ありませんが、我が主はこれから外に――」

「事前に連絡もしないで訪ねてしまってすまなかった。これ、みんなでどうぞ」


 スフェンが追い返そうとした瞬間、ノアはスフェンの手を両手でぎゅっと握りしめ、抱えていた小さな木箱を半ば強引に押し付けた。言葉を遮られた上に満面の笑顔と勢いに圧倒され、スフェンは木箱を抱えたまま固まってしまった。そういえば、スフェンは彼のような明るくて眩しくて、悪気が一切ないのに強引に突き進む人間が苦手だったはずだ。

 腕にしがみついていたエステルがそろりと背後からスフェンに歩み寄り、抱えている荷物に顔を近づけてスンスンと匂いを嗅いだ。


「甘いけど、爽やかな匂いだね。もしかして、オレンジ?」

「よくわかったな。ダナエの外れに砂糖菓子専門のお店があって、そこで売ってるオレンジの砂糖漬けをお土産に持ってきたんだ。甘くて爽やかで、紅茶によく合うんだ」


 スフェンに押し付けた箱を開け、中から取り出した瓶をエステルに差し出した。エステルは甘いものはもちろん、こういったお土産に弱い。おそらく、これで餌付けされてしまったのは間違いない。

 物腰の柔らかな雰囲気にすっかり騙されているが、ノアは私が森中に張り巡らせた〈幻惑の結界〉をすり抜けてきた上に邸まで辿り着いている。どんな方法を使ったか定かではないが、魔術が効かない可能性がある。どす黒い魂胆が腹に渦巻いているかもしれないこの男を邸の中に入れてしまったら、一体どうなってしまうのか。

 呆気に取られているスフェンとオリビンを押しのけ、ノアと執事のバサルトを玄関から押し出した。驚いているノアに、私はニッコリと笑顔を返した。


「この暗くて危険な森の奥まで足を運んでいただいて大変申し訳ありませんが、私はこれから畑仕事がありますので。おもてなしもできず――」

「畑仕事!? 一人で作業するなんて大変だ。俺も一緒に手伝おう」


 私の返事などおかまいなしに、彼は嬉しそうに上着を脱いで袖を捲った。見るからに畑仕事には不向きな服で、まともに手伝えるとは到底思えなかった。いやいや、手伝わせるなんて誰が許可したのか。


「坊ちゃん、その服ではまともに動けないから迷惑になるだけだと思うぞ。それに、また汚してメーサに叱られるのがオチだと思うけどねぇ」

「いつも怒られてるから平気だ。まぁ、確かに動きやすい服装で来ればよかったな」


 そう言ってズボンの裾までたくし上げ始めるた。冗談ではなく本気で私の手伝いをする気でいるらしい。このまま追い返すつもりが、なぜか畑仕事を手伝うという流れになっている。追い返す方法をあれこれ探していると、そろりとメルリが私の傍へやってきた。彼らを注視しながら、そっと耳元に顔を寄せた。


「手伝いたいって言うんだから、手伝わせてやったら?」

「えっ!? あいつと仲良く雑草取りしろって言うの?」

「手伝ってもらうのは畑じゃなくてもいいじゃん? 例えば〈永久の庭〉で墓の掃除とか、さ」


 メルリの提案にニヤリと不敵な笑みが浮かんだ。

この邸の北側には、代々ベルヴァータ家に仕えてきた使用人達が眠る〈永久の庭〉と呼ばれる墓地が広がっている。ベルヴァータ家の一族は、使用人達を家族同然のように大切にしてきたため、身寄りがなく亡くなった使用人達をこの地に埋葬していた。もちろん、オリビンやスフェン、メルリもここに眠っていた。


 〈永久の庭〉は、邸の裏に広がる〈庭園〉の更にその奥に位置し、陽の光が最も届かない場所にある。年中暗闇に包まれ、凍えるように寒いその場所での掃除はなかなか大変。常闇の暗さと不気味さに慣れている私は何とも思わないが、不慣れな者にとってあの場所に長時間身を置くのは酷なことだ。


「おれとオリ爺とスフェンさんで、ちょっと驚かして追い返してやるよ」

「本当に上手くいくの?」

「大丈夫だって。とりあえず、キーラはあの領主に手伝ってもらうようお願いして」


 そんなことで追い返せるだろうか不安は残る。残念ながら他にいい方法も見つからず、メルリの作戦に乗ることにした。

 メルリがオリビンとスフェンに計画を話している間に、私はノアとバサルトの注意をこちらに向ける。会話に割り込むように、二人の顔を覗き込んでほほ笑むと、驚いていたが嬉しそうに柔らかく笑っていた。


「領主様。本当に、手伝ってくださるのですか?」

「も、もちろん! 畑仕事でも庭掃除でも、何でも言ってくれていい」

「嬉しい! それじゃ、この邸の裏に〈永久の庭〉という場所があるので、そちらで草むしりを手伝っていただけます?」

「ワシがご案内しよう。お嬢は道具を持ってきてもらえますかな?」


 すかさずオリビンが割り込んだ。横目でちらりと私を見、あとは任せておけと言わんばかりにウインクをして見せた。


「オリビン、お願いね。私もすぐに行くわ」

「では、参りましょうか」


 オリビンに連れられ、ノアとバサルトは森の奥へと向かった。「あとは任せておけ!」と自信満々に告げて、スフェンとメルリもその後を追っていった。

〈永久の庭〉はかつての使用人達の魂が眠る場所。生きていると思い込んでいるオリビン、スフェン、メルリの三人は私が契約を交わして蘇らせた死霊だ。あの暗くて寒い場所で存分に驚かされるといい。


「忘れられない草むしりになるといいわね、領主様」


 遠ざかる後ろ姿を見送りながら、私は不敵にほくそ笑んだ。

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