第7話「伯爵の魂胆は?」(2)

「キーラ様があまりにも気味悪がられていたので、さぞ奇妙な男なのかと思ったのですが……」

「誰に聞いても領主の悪いところ言わないんだよな。天性の人たらしって感じ」


 と、スフェンはメルリと顔を見合わせて頷き合っていた。


「キーラ。やっぱり悪い人じゃなさそうだよ?」

「そ、そうかしら……?」


 エステルが不思議そうに首を傾げるものだから、私が過敏になっているだけで実は良い人なのではないかと錯覚する。

 人が行動を起こすということは、その裏に必ず理由が存在する。彼が私に接触してきたのも、何か理由があるからこそだ。第一、領主が魔女に服従したいだなんて今の今まで聞いたことがない。その理由が見えないことがなんとも不気味でならなかった。


「他にはないの? 領民達の前では善人ぶってるだけで、実は物凄い女好きの伯爵だったとか、何人もの女性を泣かせてきたとか」

「んー、むしろ逆だのう」


 オリビンは訝し気に唸りながら顎鬚を撫でた。

 聞き出した話の中には当然、女性に関する噂も多々あったそうだ。美しい顔立ちと申し分ない地位に街の女性達も放っておけないのだろう。

 女性をとっかえひっかえ、飽きれば捨て数々の女性を泣かせてきた――と、あのヘラヘラ嬢と笑う眩い姿の裏にドス黒い一面があったのではと想像したというのに、その期待に反して彼は恐ろしいほどの堅物だったそうだ。


 先日、宝石王の異名を持ち、宝石の貿易や売買で財を成したウェスタリア侯爵の息女カーラが、偶然街で見かけた彼を気に入って縁談を申し込んだのだとか。街へ出向くことがほとんどなく、情報に疎い私でさえ宝石王ウェスタリア侯爵のことはよく知っていた。

 カーラ嬢との婚約が決まれば、莫大な財産を手に入れる絶好の機会。欲と野心があるなら断る理由のない縁談だが、彼は「仕事にしか興味がありません」という理由できっぱり断ったそうだ。こういった類の縁談は毎日のように持ち込まれるらしいのだが、彼は誰一人として会うことはなく、「ご息女に興味がない」「仕事が忙しい」「結婚に興味がない」と、何かと理由をつけては断り続けているという。それらの話から、自ずと一つの疑問へと辿り着いた。


「毎日届く貴族のご令嬢との縁談を頑なに断り続けているグランフェルト伯爵が、どういうわけかキーラ様には興味を示したようですね」

「服従したい、だからのう」

「それってさ、相当気に入られたってことだよ。なぁ、エステル?」

「ワタシもそう思う。キーラが気づいてないだけで、あの人に気に入られるようなことしちゃったんだよ。あるいは一目惚れかな?」

「そんな……」


 突き付けられる言葉の数々に頭を抱えて項垂れてしまった。

 みんなが口を揃えて言うように、仮にそれが事実だったとして一体私の何を見て気に入ったというのだろうか。

 街に姿を見せるのは陽が落ちてからで、人前では顔が見られないようフードもかぶっている。野次を飛ばされれば近づかないよう魔術で驚かせたりもしていた。話せば魂を抜かれるとか、目が合ったら呪われると、この身に付きまとう噂は物騒なものばかりだというのに、何をどう聞けば服従したいという願望が生まれるのか。私は彼に気に入られるようなことは一切していないし、そもそもあの夜が初対面だ。


「もしかしたら、誰か別の女性と私を間違っているんじゃない? えぇ、そうよ! きっとそう!」

「でも、キーラって名前呼んでたよね?」

「うっ。そうだった……ん? 待って。どうして彼は私の名前を知ってるの?」


 私たちはハッと顔を見交わした。

 このダナエの街で、私の名前を知っているのはシェリルさんくらいだ。今までに一度も街の中で名乗ったこともないし、常闇の魔女という呼び名も街の人々が勝手につけたもの。もし知られる可能性があるとすれば、シェリルさんのお店に出入りしているのを見られて、私達の会話を盗み聞きしていたとか。あるいはシェリルさんと領主が裏で繋がっていた……なんてことは考えたくもない。


 ―― チリリンッ


 一瞬の沈黙の後、食堂内に鈴の音が響いた。私達はその音にさらにぎょっと目を見開いた。その鈴の音は、暖炉の上に置かれたクリスタルの呼び鈴〈雪花の歌声〉が発したものだった。

〈雪花の歌声〉には、常闇の森に張り巡らせた結界を抜け、この邸に何者かが近づいた時にだけ鳴り響く魔術が施されている。私がこの邸に住み始めて10年、〈雪花の歌声〉が鳴ったのはそれが初めてだった。


「オリビン殿、〈雪花の歌声〉が……」

「うむ。お嬢、これは」

「結界を越えられた……?」


 話の最中、ゴンゴンッと玄関を叩く音がした。それは明らかに人の手によって鳴り響く音で、遠く離れていてもドアの向こうにある気配を感じる。エステルは椅子から立ち上がり、瞳孔を細めて私の腕にしがみついた。


「キ、キーラ! 何か来たよ!?」

「……見てくるわ」

「お嬢一人では危ない。ワシが行こう」

「大丈夫。何かあっても魔術でどうにかするから」


 みんなを残して食堂を出るも、エステルは心配だと腕から離れないし、ワシがオレがとみんなも譲らない。結局、全員で謎の来訪者を迎えることにした。

 静まり返ったホールには、一定の間隔で繰り返されるノック音が響いている。私が扉を開けるまで帰るつもりはないらしい。

 ドアの前に立ち、ノブを握ってそろりと開けた。そこには黒いフロックコートを着た人影が見えた。体格から男性であることは間違いない。目線の高さに見えたのが鎖骨の辺りで、私はゆっくりと顔を上げた。


 歳は40前後だろうか。ハーフバックのシルバーヘアに、ミルクティーのような淡い褐色の肌をしている。灰色に緑が滲んだような美しい瞳の男が立っていた。

 服が乱れていないところを見ると、難なくここへ辿り着いたことがわかる。それは結界が反応しなかったということを物語っていた。それなのに、その男からは魔力の類は一切感じられなかった。


「あっ、どうも」


 私の顔を見て男が小さく会釈をした。警戒しながらも、私はつられて小さく頭を下げた。


「……どちら様?」

「初めまして、キーラ嬢。グランフェルト家の執事バサルト・アッドレイルと申します」

「グランフェルト!」

「突然邪魔しちゃってごめんねぇ。オレは迷惑だからよせって言ったんだけど、うちの坊ちゃんがどうしても君に会いたいってきかなくて」


 申し訳なさそうに頭をかきながら、ちらりと背後に目をやった。その時初めて、彼以外にもう一つ気配があることに気づいた。嫌な予感がした瞬間、彼の背後からひょっこり顔を出したのは、紛れもなくノア・グランフェルト伯爵だった。

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