第6話「伯爵の魂胆は?」(1)

 ―― キーラ! 俺は君に服従を誓いたい!


「っぅきゃぁあああ!」


 呪いのような言葉に襲われ、心地よかったはずの私の眠りは自らの叫び声で終わりを迎えた。

 心臓は痛いくらいに脈打ち、全力疾走したみたいに呼吸は不規則に乱れている。おまけに額や手の平は汗でびっしょり。強烈な疲労感に襲われ、起きているのも辛くなって再びベッドへと倒れ込んだ。


「最悪な目覚めね……記憶を消す魔術ってなかったかしら。どこかで見たことがあるのよ……あとで資料室に行って探さなきゃ」


 盛大な溜息をついてベッド脇のサイドテーブルに目をやった。

 随分長いこと眠っていたような疲労感があったから、きっとあの悪夢のせいだと思っていたのだが、実際は少し違っていた。いつもなら陽が昇る前に目が覚めるというのに、今日に限っては大幅に寝過ごしてしまったらしい。時計はあと少しでお昼になろうとしていた。


「噓でしょ……こんなに寝過ごしたのは久々。それもこれも、あの男のせいよ!」


 顔を思い浮かべただけで苛立ちが湧き上がって、ベッドから勢いをつけて飛び出した。髪が乱れていることも気にせず、真っ先に向かったクローゼットからお気に入りのカラスアゲハのワンピースを引っ張り出した。

 母が魔女として独り立ちした時に仕立てたもので、一見すると平凡な真っ黒のワンピースなのだが、陽の光を浴びると青緑色に薄っすらと輝いて見える特別なものだった。母同様に、私もこのワンピースは大のお気に入り。最悪の目覚めと絡みつくような悪夢を払いのけるには気分を変える必要がある。

 スカートに足を差し入れ、細身の袖に腕を通せば気分はあっという間に晴れやか。髪を整え、お気に入りのルビーのピアスをつけて部屋を出た。

 私室を出て右の廊下を進み、突き当りにある食堂へ向かった。ちょうど昼食ができあがったばかりらしく、食堂内に焼き立てのパンの香りが広がっていた。


「あっ、キーラ! おはよう。今日は珍しくお寝坊さんだね」

「おぉ! お嬢、その姿はっ!」


 エステルとオリビンは私を見るなり食器の用意そっちのけで駆け寄り、私の手を両手でしっかりと握りしめる。オリビンにいたってはm愛おし気に見つめては嬉しそうに何度も頷いた。


「独り立ちされた頃のサディア様と瓜二つではないか。いやいや、懐かしい」

「今日は最悪の目覚めだったから、気分を上げるためにお母さんのワンピースを着てみたの。これで気分が晴れると思ってね」

「それを着るということは、よほど酷い夢を見たのですね」


 隣のキッチンから料理を運んできたスフェンとメルリが興味深げに私を眺めた。

 メルリに席へ座るよう促され、私とエステルは窓を背にして席に着く。ポテトポタージュと燻製タマゴのサンドイッチ、温かいレモンティーを並べ終えると、向かいの席にオリビン、スフェン、メルリの順に座った。

 料理を用意してくれた三人に感謝を込めて手を合わせ、ポタージュの器にそっとスプーンを沈めた。とろりとした乳白色のポタージュに、カリカリになるまで炒めた豚肉の燻製が浮かんでいる。すくい取って口に運ぶと、ジャガイモの甘みと燻製の香ばしさが広がる。隣に座るエステルも嬉しそうに喉を鳴らした。


「うん、美味しい! オリビン、もしかして菜園で採れたジャガイモで作ったの?」

「今朝、収穫できたからのう。他の野菜も順調に育っておるよ」

「ただ〈日ノ紋〉が少し弱っているようです。先週よりも成長が遅くなっていますから」


 スフェンが眼鏡を中指で押し上げながら言った。

 常闇の森は常に陽の光が届かず、この邸がある場所はさらに奥深いため昼間でも夜のように暗い。畑で野菜を育てるために魔術で簡易的な陽の光を作り出しているものの、効果は無限ではないため定期的に施し直さなければならない。植物の成長速度が落ちたということは効力が落ちてきた証拠だ。


「ねぇ、キーラ。〈日ノ紋〉、もう少し長く持続できないの?」

「お母さんの日記に書いてあった術式をそのまま使っただけだからね。改良できるかどうか、書斎の資料あさってみるわ」


 頭の中で魔術の術式を想像しながらサンドイッチに齧りつく。正面に座っているメルリがテーブルに頬杖をつき、いつもの無邪気な笑顔を私に向けた。


「キーラ、今の気分はどう?」

「ん? そうね。好きな服を着て、美味しい食事も食べられて素敵な気分よ」

「じゃあ、そろそろ調査結果について話しても大丈夫そうだな」


 メルリがそう切り出したことで、私を追い回したあのグランフェルト伯爵について調べるよう、三人に頼んでいたことを思い出した。

 肌に触れるワンピースの着心地の良さも、口に広がる燻製タマゴの香りも文句なしに最高なのに、耳の奥と頭の中だけがどんよりと曇っていく。傘を忘れて土砂降りの雨に晒されたような気分だ。ただ、メルリの底抜けに明るい笑顔が不快感を緩和してくれている。

 悪夢を思い出しそうで気が引けるが、皆との穏やかな生活を守るためには聞かなければならない最優先事項だ。紅茶を一口飲んで、結果を受け入れるため姿勢を正した。


「いつでもいいわ。聞かせて」

「では、まずはワシから話そうか」


 オリビンがコホンと小さく咳払いをし、テーブルの上で祈るように手を組んだ。

 昨晩、私を追ってきた男はグランフェルト領主ノア・グランフェルトで間違いなかった。歳は20で、私より二つ年下。五年ほど前に、前領主であり父親のナバナ・グランフェルトは領主の座を息子であるノアに譲って隠居。妻ララの故郷へ移り住んで、今は自給自足の生活を満喫しているそうだ。現在、グランフェルト邸にはノアと執事、十数人の使用人のみが暮らしている。

 

 服従したいなど突拍子もない発言をするから、さぞ変わり者と噂されているに違いないと踏んでいたのだが、酒場の店主の体に乗り移ったスフェンが客達から聞き出したノアの話は予想に反して評判は良いものばかり。領民が困っていることがあればどんな小さなことでも耳を傾け、私財を投じて領民達が街から街へと行き来する橋や道の整備までしたこともあったそうだ。


 領主とは思えないほど感覚は庶民的らしく、高価な服やアクセサリーで着飾ることもなく、貴族だからと偉そうな態度を取ったことは一度も見たことがない。露店がならぶ市場に通うのが好きで、好物の苺の砂糖漬けを買って食べ歩いたり、肉屋の女将さんと紅茶を飲みながら話し込んで執事に怒られたり。なんとも穏やかで平和な話しか出てこなかった。

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