第2話「禍の魔女は闇夜に闊歩する」(2)
「あら、キーラちゃんにエステルちゃんも! いらっしゃい、待ってたわよ」
優しくやわらかな声と笑顔は、この街で唯一の癒し。シェリルさんの笑顔とお店を守るためだったら、私はどんな悪魔にも悪い魔女にでもなってみせると密かに誓っているけれど、恥ずかしいからシェリルさんには秘密にしている。
「シェリルさん、遅くなってごめんなさい」
「そんなこと気にしなくていいのよ。ほら、入って入って。今日あたり来るんじゃないかと思って、たくさん仕入れておいたから」
しわくしゃで華奢な手で私を店に引き入れてくれた。
閉店間際になるとほぼ商品はなくなってしまうのに、陳列棚には野菜や果物、燻製や塩漬けの肉がまだ多く残っていた。私のために用意してくれていたのだと思うと、嬉しくて自然と笑みがこぼれた。
「ゆっくり見て行ってちょうだい。夜は長いから」
「ありがとう。それじゃ、遠慮なく」
シェリルさんは私の肩を優しく撫でて入り口へと向かった。ドアの外にかけてあったプレートを裏返して〈閉店〉に切り替える。「これで誰も来ないわよ」と、声を弾ませてドアを閉める姿が可愛らしかった。
この街の住民でただ一人、シェリルさんだけは私のことを怖がらずに受け入れてくれた。どんなに奇妙な噂をたてられたとしても、魔女である前にこの街の人々と同じ生きた人間だ。食べなければ生きていけないし、お腹が減れば食材を求めて街へと繰り出すのは当然。人と関わらないようにあえて遠ざけていたものの、自らの行動が仇になっていることはわかっていた。
自給自足で野菜はまかなえているものの、肉や調味料には限界がある。こうして時々、住んでいる森の奥から出てきては肉や香辛料を調達しに来るのだけど、常闇の魔女についた噂が原因で店にすら入れないことが多々あった。さすがに驚かし過ぎたかと後悔した時に出会ったのがシェリルさんだった。
初めて店にやってきた私を追い返すわけでもなく、おすすめの調味料はもちろん質のいい燻製や肉を提供してくれた。あまりにも良くしてくれるから、私にまつわる噂のことを訊ねると「私は噂ではなく自分の目で見たものしか信じないの。あなたの心はとっても穏やかで優しい光があるわ」と言ってくれたことは今でも覚えている。
「体調はどう? ここ最近寒かったから、風邪ひいたりしてない?」
「見ての通り元気いっぱい。シェリルさんが教えてくれた特製調味料使ってるから、しばらく風邪なんてひいてないわ」
「ふふ、よかった」
他愛もない世間話をしながら必要な食材を籠につめていった。その間、エステルは入口脇に置かれた椅子にちょこんと座って、眠そうな目で窓の外の景色を眺めている。
シェリルさんが食材を袋に詰めてくれる間も、街へ来られなかった理由を聞いてもらっていた。新しく畑を広げたこと、菜園の薬草の種類を増やしていたこと。久々に会えた嬉しさから、いつになく話が弾んだ。といっても、私が一方的に話しているだけで、シェリルさんは聞き役にまわってくれていただけだ。
ふと、袋に食材を詰めるシェリルさんの手が目に留まった。前はもう少しふっくらしていたはずなのに、しばらく見ないうちにほっそりとした気がして思わず握っていた。
「シェリルさん、少し痩せた?」
「あら、わかるの?」
「シェリルさんのことだからね。お店、忙しいの?」
「前よりのんびりしてるはずなんだけど。歳のせいかしらね」
確か、今年で80歳になるはずだ。体力も気力も有り余る若さがあっても、たった一人でお店を切り盛りするというのは大変なこと。シェリルさんの歳なら尚更だ。
シェリルさんには一人息子がいて、今は遠く離れた帝都で暮らしていると前に聞いたことがある。息子さんの代わりに私が傍にいてあげたいけれど、私の住む邸の管理はもちろん、傍にいるエステルや使用人達のこともある。今はこうして食材を買いに来ることで精一杯だった。
「シェリルさん。近いうちにお茶会しましょ。最近、美味しいクッキーの作り方教わったから、食べてもらいたいの」
「あら、いいわね! お昼の温かい陽射しの中で飲むのもいいけど、キーラちゃんは月明りが照らす夜がいいのよね?」
「誰にも見られず、邪魔されない夜は最高の時間だから」
「確かに、それも魅力的ね」
と、シェリルさんは食材を詰め終えた袋を私に差し出した。
椅子で舟を漕いでいたエステルがその音に気づいてパッと目を見開いた。背中をグッと丸めて手足を伸ばし、帰るよと言わんばかりに私よりも先にドアの前に立った。
「シェリルさん、また来るね」
「いつでも待ってるわ」
シェリルさんに見送られて店を出た。
周囲に人の姿も気配もないことを確認し、再びフードをかぶって足早に駆け出した。シェリルさんの店に来ていることは絶対に見られてはいけない。私が足を運ぶことでシェリルさんに迷惑がかかることだけは避けたかった。
誰にも見つからないよう狭く入り組んだ路地を右へ左へ何度も曲がりながら抜け、ダナエでもっとも大きな中央通りへと出た。
「うわっ! 常闇の魔女だ!」
路地から出たちょうどその時、目の前を通りかかった若い青年の一団と鉢合わせた。路地の暗闇から突然姿を現したせいか、彼らは盛大に飛び退いて驚いたり腰を抜かしながら逃げていく。この反応も見慣れたもので、うんざりするどころかむしろ安心すら覚えた。
私は誰もが忌み嫌う常闇の魔女だ。悲鳴を上げて逃げるもよし、魂が食われると叫ぶもよし。ここにいる誰もが望む通り、恐ろしい魔女になってあげるとしよう。
「さて。今夜、私に魂を差し出してくれるのは、だ――」
「あのー、すみません!」
フードをはずしながら、逃げ惑う人々に向かって声をあげたとたん、突然背後から声をかけられた。言葉を遮られた上に声をかけられるなんて今までに一度だってなかった。一体何が起こっているのかわからず、声の聞こえた方へ恐る恐る振り返った。
そこには、夜の闇すら跳ね返すような眩いくらいに綺麗な青年が立っていた。髪は白に近いプラチナブロンドで、私を見つめる瞳は透き通ったサファイアのような青。肌は雪にように白くて、どちらかといえば不健康そうに見えるほど青白い。身なりからすると、おそらく貴族だろうか。彼は私をまっすぐに見つめ、目が合ったとたんに薄っすらと頬を赤らめてほほ笑んだ。
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