瓶詰伯爵は常闇の魔女さんに服従したい

野口祐加

第1話「禍の魔女は闇夜に闊歩する」(1)

 真っ黒なローブを纏って目深くフードをかぶったら、闇の中を泳ぐように夜の町を闊歩する。視界は狭く、この目に映る景色は限られている。通りを行き交う人の気配はしても、それが大人なのか子供なのか、それとも紳士淑女なのかはわからない。もちろん、それを確かめようとも思わない。私が前を向かなくても、その気配が私に近づいてくることは決してないからだ。


「おい、見ろよ!」

「〈常闇の魔女〉だ……!」


 前方にある人の気配が通りの左右にサッと分かれ、瞬く間に遠ざかっていくのを感じる。足元に落としていた視線を少しだけ上げて確かめると、彼らの靴やスカートがスルスルと視界の端に移動するのは何とも愉快で心地が良い。これで私は、前方を気にすることなく真っ直ぐ歩いて行けるからだ。


「おいっ! ここに何をしに来たんだ!」


 人々が私を避けていく中で、一人の男が目の前に立ちはだかった。

 フードの下に見えるのは少し泥で汚れた革のブーツ。あまり質は良くないから身分はそう高くないだろう。風に乗って微かに酒の匂いもするから、正直言うとあまり関わりたくない相手だった。

 このまま無視を決め込んで通り過ぎてもよかったのだが、相手も道を譲る気がないのだろう。うんざりしながらも仕方なく顔を上げた。

 私の行く手を阻んでいたのは酒瓶を片手に持った初老の男だった。かなり酔っているらしく、私を見下ろす目はしっかり座って今にも閉じそう。酔いが回りながらも、私と目が合ったことが恐ろしかったのか。ぎょろりと大きな目をこれでもかと見開いて後ずさった。やれやれ、少し驚かせておこう。


「私に声をかけるとはいい度胸ね。その薄汚い魂、私がもらい受けて死霊ファントムの餌にしてあげましょうか?」


 にやりと微笑んで、ローブの下に隠していた手を男に向かって突き出した。とたん、男は「ひえぇ!」と情けない声を上げて逃げていってしまった。

 遠巻きに一部始終を見ていた人々も「呪われる!」「魂を食われるぞ!」なんて口々に叫びながら路地へと消えていった。辺りには誰もいなくなり、賑やかだった通りも一瞬にして静寂に包まれた。


「キーラ、ちょっとやりすぎじゃない?」


 私の後ろからひょっこりと、黒猫のエステルが顔を出した。やり過ぎたという割に、エステルの尻尾はご機嫌そうにピンと立っていて、私を見上げる表情も明らかに楽しんでいるようだった。


「最初に突っかかってきたのはあの男だけど?」

「まぁ、そうだけど。あんなことしたら、また妙な噂広がっちゃうよ?」

「いいじゃない。その方が夜の街を歩きやすいもの」


 私が〈常闇の魔女〉と呼ばれるようになったのは、この辺境の街〈ダナエ〉に住み始めたのが一二歳になったばかりの時だから、かれこれ10年前になる。

 私自身の勝手な理由なのだが、どうしても人と関わることが嫌で、どうすれば街の人々が私に関わらない方法はないものかと考えていた、ある日のことだ。常闇の森から出てきたところを街の子供達に目撃された。

 常闇の森に足を踏み入れた者は二度と出てくることができない迷いの森と噂され、誰一人として近づく者はいなかったらしいのだが、そこから私が出てきたものだから子供達も驚いたようだ。それがきっかけで「常闇の森に悪魔のような魔女が住んでいる!」と、子供達が噂をするようになり、私の呼び名がついた。


 ―― 「常闇の魔女は人間の魂を集めているから関わるな」

 ―― 「目が合うと魂を抜かれる」


 噂に尾ひれがついて、やがて誰も寄り付かなくなった。おかげで私の生活はより自由になり、煩わしさから解放された。今更噂が増えようと問題はないし寧ろ好都合だった。大いに噂を広め、私に対する恐怖心を刻みつけていてくれればそれでいい。


「あんまり大袈裟なことしないでよ? こうして買い物に出かけることもできなくなったらどうするの?」

「わかってるわ。ほどほどに、でしょ?」

「そう。ほどほどにね」


 念を押すエステルを連れ、私は再び歩き出した。

 人々が消えた通りを難なく進み、やってきたのは海の見える小高い丘の上にある行きつけの商店〈銀獅子亭〉。重たい木製のドアを押し開けると、閉店準備で片付けを始めていた店主のシェリルお婆ちゃんが、私の姿を見るなり笑顔で出迎えてくれた。その柔らかくとろけるような笑顔に、安心してフードを脱いだ。

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