19.5話 あの時の真実


「………」


 梨乃の部屋を出て、俺はしばらく扉の前で固まっていた。


『……ごめん、忘れて』


 あの衝撃的な告白の後。

 梨乃はそれだけ言って俯き、黙ってしまった。

 俺は何も言えず、形式的な別れの挨拶を告げ、彼女の部屋を出てきてしまったが……。


『ごめん、忘れて』


 そうは言ったが、おそらく、梨乃は本気だった。

 俺に『結婚ごっこ』をせがむあの顔は、まるで子どものような我武者羅な必死さがあった。


「お嬢様に、何と言われたんですか?」


 そこで、俺に声を掛けてきたのは千雪さんだった。

 廊下で待機していたのだろうか。

 俺は彼女に、梨乃からされた提案を話した。


「なるほど……お嬢様らしい」


 千雪さんは言う。


「お嬢様は、恋に真っ直ぐですから。不器用なくらいに」

「………」


 千雪さんの言うとおりだ。

 梨乃は、自身の持つ恋という感情に対して真っ直ぐだ。

 俺に対し、いつも遠回しにアプローチを仕掛けてきた。

『結婚ごっこ』のことを知った後も、何の奇も衒わず蜜香に正面からぶつかりに行った。


「ハッキリと断れないのでしょう」


 千雪さんは、俺の本心を見透かすように言う。


「あなたには罪の意識がある。お嬢様に黙って、夏前蜜香と逢瀬を繰り返していたこと。社会的に婚姻関係を結んだお嬢様から逃げ、自分だけ心地の良い、真に愛する人を作っていた。お嬢様はまるでピエロです。その罪の意識をあなたは引き摺り、お嬢様の要求を強く否定できないでいる」

「………」


 薄闇の中、月光に照らされた梨乃の顔。

 泣きじゃくる幼子のような顔を思い出す。

 まるで救いを求めるような表情……。


「引いていますか?」


 千雪さんは言う。


「お嬢様の言葉に、要求に」

「それは……」

「先程も言ったとおり、わたくしは驚いておりません。お嬢様らしいと思いました」


 千雪さんは語る。


「恋愛という感情は、善悪を超越した強感情です。正しいとか間違っているとか、綺麗とか汚いとか、そんな範疇では収まらない。あなたに『結婚ごっこ』を提案した夏前蜜香だって同類ですよ」

「蜜香は……」


 俺は言う。

 蜜香の名前を出されたなら、彼女を守りたいと思ってしまう。


「俺を救うために『結婚ごっこ』なんて言い出したんだ。悪いのは俺だ」

「……夏前蜜香はあなたが思っているような存在ではありませんよ」

「……え?」


 瞬間だった。

 俺は、千雪さんの口にしたその言葉に、顔を上げる。

 千雪さんの顔を見る。

 彼女の纏う雰囲気が、変化している。


「わたくしは、いつだってお嬢様の味方です。か弱い彼女を、いつだってわたくしが守り通すと決めてきました」

「……千雪さん?」

「それでも、わたくしだって万能ではありません。出来る事などたかが知れている。だからせめて、彼女が辛いときには寄り添い、可能な限り味方でいたいと思っています」

「何を……」

「まだ気付きませんか?」


 千雪さんは、綺麗な金色の髪を掻き上げる。

 そして、顔をハッキリと俺に見せた。

 いや、薄々、思ってはいた。

 彼女と相対したとき、いつも違和感を覚えていた。

 そして、もしかして……とは思っていたが、彼女はあくまでもメイドで、そんなわけがないと思っていて……。

 でも、ここで、千雪さんはハッキリと自分で言った。

 髪を上げて、しっかり見せられた顔は、やはり梨乃にそっくりだった。




「わたくしは、梨乃の双子の姉です」




『私と両親、それと姉の四人暮らし』。

 梨乃は言っていた。

 彼女には、双子の姉妹がいたのだ。

 そして、その人物こそが――千雪さん。


「千雪さんが、梨乃の……お姉さん」

「ええ」

「えと……じゃあ、なんでメイドの格好を?」


 梨乃の姉となれば、彼女も東城家の養子ということになるはず。

 まさか、彼女だけは東城家に受け入れられておらず、それでも梨乃の近くにいるために使用人という立場で雇われているとか、そんな重いエピソードが……。


「これは趣味です」

「……え?」

「メイドの格好をして梨乃に仕えているのは、趣味です」


 ……なんなんだ、この人。

 よくわからんな……。


「別におかしくはないですよ? わたくしは、いつだって梨乃の助けになりたい。そう思っているのですから」

「いや、まぁ、そう言われれば、というかあなたがそう言うのならそうなのかもしれないけど……」


 それよりも、さっきの発言だ。


「夏前蜜香だって同類……ってのは、どういう意味ですか?」

「……子どもの頃、梨乃があなたの前から去る時、あなたを強く拒絶した事を覚えていますか?」


 俺がずっと嫌いだったと、俺は梨乃にそう言われた。

 それが原因で、俺は周囲の女の子達からも孤立した。

 そんな記憶があった。


「いやそれは、俺の記憶違いで……」

「いえ、真実です。あの日、あなたにそう言ったのは、わたくしなのですから」


 千雪さんは告白する。


「あの日、わたくしは梨乃のふりをしてあなたの前に現れ、あなたを拒絶した。あなたの理想通りになれない、あなたが好きなのに好きになってもらえるような女の子になれないと、自身を責めるあの子を見ていられず、わたくしは梨乃のふりをしてあなたと袂を分かつ宣言をしに向かった」

「………」

「してしまった後、子供心になんて短絡的な行動だったのだろうとも思いました。その後、梨乃にも事情を話そうと思いましたが……しかし直後、両親の事故も重なり、結果、梨乃もわたくしもあなたとはそれ以来となってしまった」


 千雪さんの口から告げられた、衝撃の事実。

 それを前に、俺は言葉を失うしかなかった。


「けれどね、この真実にはもう一つ裏があります」


 そんな俺に対し。

 梨乃さんは、更に告げた。

 俺のトラウマを作ったあの日の、あのエピソード。

 俺と蜜香の出会いの根源だった、あの記憶。

 梨乃は、その裏側を、冷めた声で口にした。




「あの幼少の日――わたくしに妹のふりをしてあなたを拒絶させ、周囲の女の子達からあなたを孤立させるよう、わたくしに接触して提案してきた張本人こそ、夏前蜜香なのですよ」




 ■□■□■□■□




 パーティー会場に戻った時には、蜜香の姿はその場から忽然と消え去った後だった。

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