第19話 始まる『結婚ごっこ』
「……いやー、なんていうか」
「……おう」
「怒濤の展開だったね」
「そうとしか言えねぇよなぁー」
かくして、俺と梨乃の婚約は解消され、改めて霧晴さんと梨乃の婚約関係が発表された。
周知されていた俺との婚約関係は、準備が整うまでの仮初めのもので、俺は梨乃に悪い虫が付かないようにするための、言わばスケープゴートだったと説明がされた。
中々苦しい誤魔化しだと思ったが、霧晴さんが直々に色々な人達に説明して回ったこともあって、疑う人間は誰も居なかった。
ここら辺は、霧晴さんの人徳と言うほか無い。
俺の周りの友人達も、皆、納得していた。
「まぁ、そりゃそうだ。修太郎が、あの東城梨乃の婚約者になるって……なぁ」
「まぁ、そもそも無理があったし」
「残当」
と、朔を始めとしたクラスメイト達が口々に言っていた。
どうやら、理由云々よりも俺が梨乃の婚約者である事がそもそも間違いだったという点が、何よりの説得力となったらしい。
しかし、こいつら優しさとかゼロなのな。
「まぁ、別に俺のことはどうでもいいんだけどな」
学校からの帰り道。
俺は蜜香と一緒に下校している。
ふと空を見上げた俺を、隣の蜜香が優しい眼差しで見詰めた。
「梨乃さん、のことだよね」
「……ん、ああ」
梨乃は――。
あの東城家での夜の一件があった後も、普通に学校へ登校してきていた。
いつも通りの、厳格で凜とした、クールビューティーな印象を纏い。
霧晴さんとの婚姻を周囲から祝われると、『ありがとう』と薄ら笑みを湛えて応じていた。
至って普通に見えた。
そんな様子が、逆に俺は気になってしまった。
ある時、校内で梨乃と顔を合わせる瞬間があった。
廊下で遭遇したのだ。
『ごめんね、シュウ君』
目の前に立った梨乃の姿に、思わずビクッとした俺へと、彼女は申し訳なさそうに微笑みながら言った。
『こんな事になってしまって』
『あ、いや……』
梨乃は、俺に謝ってきた。
全ては、自分の身勝手な願いから俺を婚約者にしてしまったこと。
俺という思い出の残滓を忘れられず、過ぎた初恋に今更のようにときめいてしまったこと。
俺と再び巡り会えたことを運命なんて考えて、現実を見ず本気になってしまったこと。
自分は東城という巨大な家の一員で、あらゆる自由が制限されていた。
だから、鬱屈した願いに熱くなってしまったのかもしれない――と。
『その結果、多くの人に迷惑をかけてしまったわ』
落ち込んだ表情で、梨乃は言う。
『修太郎さんにも、夏前さんにも、霧晴さんにも……夏前さんに、謝りたい』
『……梨乃』
『私さえ居なければ、シュウ君は普通に夏前さんと幸せな関係を築けていた。『結婚ごっこ』なんて不健全だと責めたけど、そうなる原因を作ったのは、私よ』
『……ちょっと待っててくれ』
俺は梨乃に言うと、急いでその場から駆け出した。
『ろ、廊下を走っちゃダメよ!』という梨乃の声を背中に受けながらも、走って――しばらくして、蜜香と一緒に戻ってきた。
『梨乃さん! ごめん!』
梨乃の前に到着するなり、蜜香が思いっきり頭を下げた。
その勢いに、梨乃も驚く。
『梨乃さんが、そこまで自責の念に駆られてたなんて!』
『い、いえ、私こそ、私が悪いの』
『ううん、アタシの方が悪いの!』
『そんな、私の方が……』
という感じで、蜜香と梨乃はしばらく謝り合い――最終的に。
『あはは、梨乃さんって本当かっこいいなぁ、綺麗だし気品があるし、憧れちゃう!』
『うふふ、夏前さんだって美人だしかわいいし、とても魅力的よ』
『そうだ、駅前にすごい美味しいクレープのお店があるんだ! 今度行こう!』
『ええ、是非ご一緒するわ!』
瞬く間に仲直りし、一気に意気投合をしていた。
女の関係修復能力はすげぇな、と、素直に思った。
『あ、そうだ』
その別れ際、梨乃は俺達に言った。
『改めて、二人ともおめでとう。正式に、恋人同士になったのでしょう? お幸せに』
そう言われ、俺達は照れる。
――梨乃の言うとおり、俺達は正式に付き合い始める形になった。
夫婦でもないし、ごっこでもない。
至って普通の、当たり前の、恋人同士になった。
「しかし、本当に怒濤の日々だったな」
梨乃と婚約し、彼女からモラハラ紛いの教育を受け、そんな最中蜜香と『結婚ごっこ』を結び、そこから梨乃の本当の気持ちを知って……。
悩んで、倦ねいて、奔走して。
「なんつぅか……大冒険から帰ってきた、って感じ」
「んふふ、わかるわかる」
俺が言うと、蜜香は笑いながら頷く。
「色々あったけどさ……やっぱりアタシ的には、一番印象に残ってるのはアレだな」
「『子作りごっこ』?」
俺が言うと、蜜香は「わーわーわーわーわー思い出させるなわーわーわーわー!」と騒いでショルダータックルを連発してきた。
「そっちじゃなくて! 確かにそっちもだけど! いや、そっちじゃなくて! 修太郎が、アタシのために梨乃さんに婚約の破棄を言い渡しに行ったとこ!」
「直後じゃん」
「その数日前から色々と根回ししてたとは言え……本当に無茶したよね」
「まぁな」
「ねぇ、修太郎さぁ」
蜜香が、モジモジしながら俺に問う。
「もしさ、こんな裏事情とか無くて、梨乃さん……というか、東城家が怒っちゃったらどうするつもりだったの?」
「んー、まぁ、色々覚悟してたよ」
しかし、あの時は頭に血が上って闘争心に燃えていたが、冷静に蜜香の言われたとおりに想像すると……中々地獄の道が待っていたかもしれないな。
「もう、後先考えないんだから」
「お前が言うな。あの日、あんなマネして……」
「だから、思い出させるなよー! 本当に、恥ずかしいんだからー!」
「お前こそ、もし取り返しの付かない事になってたら――」
「もういーってばー! わーわーわー!」
追加のショルダータックルをお見舞いされてしまった。
けれど、こうして蜜香と一緒に過ごす時間。
今には、幸福感しかない。
こんな時間を手に入れられたことに、俺は嬉しさを覚えていた。
「………」
そんな中、ふとすると蜜香が影のある表情を浮かべていることがあるのにも、俺はなんとなく気付いていた。
■□■□■□■□
そんな日々が過ぎていき、ある日のこと――。
本日、俺と蜜香は東城家に招かれていた。
何を隠そう、梨乃と霧晴さんの正式な婚約をお祝いするためのパーティーが開かれ、そこに招待されたのだ。
梨乃と霧晴さんから直接報告に来られ、『是非参加して』と言われたなら、断る理由はない。
俺も蜜香も、今日は外行き用の格好に着飾り、見慣れた東城の屋敷へとやって来ていた。
「………」
多くの参列者で埋め尽くされたパーティー会場の様子は、正に社交界といった感じだ。
こんな世界に、俺もつい最近まで居たのかと思うと不思議な感覚である。
そんな中、俺は遠目から、関係者に囲まれている梨乃の姿を見ていた。
今日の梨乃は、あの個展の日と同じ、黒いパーティードレスを着ている。
顔に上品な笑顔を湛え、遙かに年上の人達に囲まれながらも気後れすることなく応じていた。
俺の頭の中には、俺への長年積もった想いを明かし、朱に染まった顔で『シュウ君』と呼びかけてくる姿が一番鮮明に残っている。
正直、モラハラじみた態度で接してきていた頃の梨乃は、もういない。
だから、そんな梨乃の姿を見ていると、なんだか、俺と一緒に居たときの梨乃とは違いすぎて……少しの寂しささえ覚えてしまった。
そうこうしていると、梨乃のところに料理の盛られた皿を片手に蜜香がやって来た。
ビュッフェを巡り回っていたようで、蜜香は梨乃に「アレも美味しい! これも美味しい!」と絶賛を浴びせていた。
空気を読まない食欲サキュバスに、しかし、梨乃は無垢な笑顔で応じている。
「今日は、来てくれてありがとう」
そこで、俺に声を掛けてきたのは霧晴さんだった。
ビシッと決めたスーツ姿に、撫で付けた髪。
こうなると、もう完全に大金持ちの御曹司だ。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「そう畏まらなくていいよ、修太郎君。俺と君の仲だ」
霧晴さんは爽やかに笑う。
そして、俺と同じく、梨乃達の方へと視線を向けた。
「あの後、梨乃との関係は……その、大丈夫ですか?」
俺は、言葉を選びながらそう尋ねる。
「本心はわからない。彼女も、自業自得とはいえ心に深い傷を負った」
霧晴さんは言う。
「ああやって、俺の婚約者として自然に振る舞ってはいるし、俺のことも『霧晴君』と呼んでくれるようになった」
「マジすか」
驚く俺に、霧晴さんは照れたように微笑む。
「俺は、彼女を隣で支え続ける。一生かけて」
「……霧晴さんは、ずっと梨乃のことが好きだったんですね」
俺は、あの夜に言えなかった言葉を、霧晴さんに言った。
「……幼い頃、梨乃が東城の養子になった頃から、彼女を見てきた」
霧晴さんは語る。
梨乃への恋心を、純粋な想いを。
「彼女が行く行く、俺の婚約者になるという話は既にその頃からあってね、だからよく会って、一緒に話もした。幼く、内気で、けれど東城家の者になるために過酷な修練や学習にも耐える姿を、俺は近くでずっと見てきた。涙を流している姿も、些細な事で喜ぶ姿も。そして、そんな彼女が、全く俺に靡いていないことも知っていた」
「………」
「梨乃の心の中には、常に誰かがいた。それは、俺も、彼女以外の誰も知らない、彼女だけしか知らない男の子だった」
俺は思う。
霧晴さんは、家柄、人望、能力、容姿、全てに恵まれている人間だ。
あらゆる人にとって羨望の対象で、憧れで、女性から好意を向けられるなんて事は普通だったはずだ。
そんな霧晴さんに、梨乃はずっと心を開かなかった。
そんな彼女を、霧晴さんはずっと好きだった。
おそらく霧晴さんが、生まれて初めて執着した相手。
許嫁という特別な間柄で、けれど自分を見ようとしない。
手に入らないから、追い掛けてしまう。
そんな存在だったのだろう。
「修太郎君……君と俺は、不思議な関係だ」
霧晴さんは俺を見る。
「君は俺の長年のライバルで、本音を語った友人で……そして、俺の罪の片棒を担がせてしまった」
「………」
「そんな君とも、これから良好な関係を築いていけたなら、嬉しいな」
霧晴さんは微笑んで、手にしたグラスを前に出した。
俺は、そのグラスに、俺のグラスをぶつける。
少なくとも俺は、霧晴さんに対し悪い印象はない。
知的でかっこよくてカリスマ性もあって……そして、好きな女の子のために手段を厭わない。
前半は羨望……そして後半は、共感できるところだ。
「じゃあ、また学校で」
霧晴さんは他の参列者達に挨拶に向かう。
俺は、その姿を見送る。
「修太郎様」
その時だった。
俺を、背後から呼ぶ声。
振り返ると、千雪さんがいた。
「ご歓談中のところ、申し訳ございません」
千雪さんは恭しく頭を下げた後、言った。
「お嬢様が、修太郎様とお話がしたいと」
■□■□■□■□
案内されたのは、梨乃の私室だった。
扉を開け、俺は中に入る。
電気は付いていなかった。
窓が開けられており、月明かりが部屋に差し込んでいた。
その窓際に、梨乃がいた。
「シュウ君」
梨乃は俺はやって来たのに気付くと、振り返り、微笑む。
「ごめんなさい、お呼びだてしちゃって」
「いや、大丈夫だ。梨乃こそすまなかったな、蜜香が恥ずかしい姿で絡みに行っちゃって」
「ふふふ、夏前さん、口の周りにミートソースを付けながら走り回っていたわ」
マジで恥ずかしい姿を晒してた。
後で説教だな、あいつ。
俺は、梨乃の隣に行く。
「月が綺麗ね」
窓の外……今日は満月だった。
雲一つ無い夜空に、黄金の円形が輝いている。
「小さい頃を思い出すわ」
月夜を見上げ、梨乃はノスタルジーに浸るように目を細める。
「あの頃、私が暮らしていた小さなアパートの窓から、よく月を見上げていたから」
「………」
「私と両親、それと姉の四人暮らし。狭い部屋。私にとって、あの頃の家族の記憶は、それくらい……」
梨乃は、俺を見る。
「何よりも、シュウ君の記憶が一番強く残ってるの」
「……そうか」
素直に、喜んでいいのだろうか。
いや、梨乃が言っているのだ、喜ぶべきだろう。
「あの頃、いつもひとりぼっちで公園にいた私。砂場の砂に足を取られてこけて、蹲ってた私を、シュウ君が抱き起こしてくれたのが出会いだった」
「そうだったかな」
「その時、シュウ君が私に初めて話し掛けた言葉……『この砂場の砂、珪砂っていうすごい粒度の細かい砂が使われてるんだって』……って」
「……相変わらず、しょうもないこと言ってるな、俺」
「シュウ君に声を掛けてもらってから、私達、よくその公園で遊ぶようになったわよね」
「ああ」
「鉄棒、ジャングルジム……あの公園で、私達、いっぱい遊んだ」
「鬼ごっことかな」
「二人きりだったけど、私、楽しかったわ」
「例の砂場でも遊んだよな」
「お城を作って、勇者と魔王ごっこをしたわね」
「俺が勇者と魔王一人二役してたよな」
「私は、とらわれのお姫様の役だったから」
俺と梨乃は、共有する昔の記憶を語り合う。
「そして、私、シュウ君としたよね……」
梨乃が、こちらを振り向いていった。
「『結婚ごっこ』」
「……ああ」
それは、俺があえて思い出しながらも、口にしなかった記憶。
俺は幼い頃、梨乃とあの公園で『結婚ごっこ』をしていた。
言うまでも無く、子どもの遊びとして、だ。
「私、あの時の記憶、今でも鮮明に覚えてる」
「………」
『大きくなったら、私達、結婚しようね』
『うん、結婚しよう』
俺は、梨乃とそう交わした。
「……あれから、すごく時間が経って、私達大人になっちゃった」
「……ああ、俺達、大人になった」
俺の頭の中に、蜜香と霧晴さんの顔が浮かんだ。
「……俺、そろそろ戻るよ。蜜香が探してるかもしれないから」
沈黙が訪れたのを切っ掛けに、俺は立ち去ろうと振り返る。
梨乃が、俺の服の裾を掴んだ。
「……梨乃?」
「消えないの。消えてくれないの。シュウ君の記憶が、どんなに頑張っても」
梨乃の口から、震える声が漏れた。
「……ごめんなさい」
そして、瞬間。
梨乃の体が接近し、俺に口付けをしていた。
「―――」
熱い唇が触れる。
唇だけではなく、頬も、首筋に添えられた手も、全てが熱い。
「ねぇ、シュウ君」
梨乃は言う。
「私と、『結婚ごっこ』しよう」
「………」
「夏前さんにも、霧晴君にも内緒で」
「梨乃……」
「お願い。駄目なら、『恋人ごっこ』でも、『愛人ごっこ』でもいいよ」
涙を流しながら、梨乃は言う。
「本当に、お願い」
「梨乃、待って……」
「全部私が悪くていいから。私がシュウ君を誑かしたって、騙したって、全部バレた時には言うから。私が責任を取るから。まがいものでいい。偽物でいい」
「梨乃……」
「シュウ君、あそぼう」
幼い声音で、梨乃は言った。
それはまるで、あの頃の、子どもの頃の梨乃の声だった。
あの頃の梨乃が、そこにいた。
古い記憶の中から時を駆けて現れたように。
否、彼女だけがあの時の中に囚われたままのように。
その幼馴染みは、俺へと言う。
「あそぼう。あそぼう、シュウ君。あそびでいいから――」
「ごっこでいいから……シュウ君を好きだって言わせて」
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