第18話 終わる婚約生活


 その後、東城霧晴さん改め――佐神霧晴さんと千雪さんより、俺達は全てを説明された。

 結論から言うと、俺と梨乃の婚約関係は完全、正式なものではなかったらしい。

 梨乃には、既に家同士で取り決められた許嫁がいた。

 それが、佐神家の霧晴さん。

 佐神家は、東城家に並ばずとも劣らない名家で有名だ。

 そういえば思い出した。

 以前、梨乃と美術館の個展に招かれた際、主催側の人達との会話に出ていた気がする。

 東城家と、佐神家の重役の方々には、なんとかのプロジェクトでお世話になった……とか。

 ともかく、本来婚約関係を築いていたのは梨乃と霧晴さんで、結ばれるはずだったのはこの二人だった。

 だが、梨乃は霧晴さんとの婚約関係が本格化する時期が迫ると、俺を婚約者に選ぶと我が儘を言い出したらしい。

 無論、梨乃のお父さん――義理の父親なので、正確にはお祖父さん――を初めとし、多くの人が反対した。

 しかし、そんな梨乃の我が儘を霧晴さん本人が認めた事によって、事態は一変したらしい。


「いくら家同士の決めた婚約関係とは言え、少しくらいは本人の意思も尊重されるべきだ。そう、俺は思ったんだ」


 霧晴さんは、微笑みながら言う。


「それでも、俺と梨乃の婚約は、俺達の間だけの問題じゃない。今回の梨乃と修太郎君の婚約に関しては、修太郎君には伝えていないが、梨乃にいくつかの条件が課せられた」


 自らが選んだ婚約者である以上、修太郎を東城家の名を名乗らせるに相応しい人材に育て上げること。

 そしてもう一つ、俺の知らない条件。

『もしも、修太郎の口から梨乃との婚約を拒否する・破棄する旨を希望する発言が出た際には、この婚約関係を抹消する』という条件も課せられた。

 かくして、梨乃と俺の婚約関係は成立したのだった。


「………」


 そういう条件付けがされていたとわかれば、今までの梨乃の行動にも筋が通る。

 彼女は、俺に好かれるために、俺の好意を得るために、必死だった。

 俺の理想の女性になり、俺の心を追い込むほど苛烈に振る舞っていたのも、必死だったからだ。

 だから、俺が彼女に好意を抱いていると、そう勘違いした時には嬉しかっただろう。

 そのあたりからだ、梨乃の言動に違和感が生じ始めたのは。


「俺は、そんな梨乃の判断と、梨乃が婚約者に選んだ修太郎君という存在が気になり、今年度の初めに転校生としてやって来たんだ」


 霧晴さんは説明する。

 正確な素性を隠すため、東城梨乃の兄を名乗り、東城の姓を名乗った。

 東城の姓を名乗る件に関しては、彼が許嫁であることは梨乃の親父さんも認めているので、特に咎めはされなかったらしい。


「これが、全ての真相だ」


 全てを説明され、俺はポカンとするしかなかった。

 つまり、梨乃と俺の関係もまた、『婚約ごっこ』だったのだ。

 俺の知らないところで、そんな裏事情が働いていたなんて。

 なるほど……そう考えてみると、梨乃が蜜香に『結婚ごっこ』が遊びであるということを強調するように迫った件も納得がいく。

 俺の心は、蜜香に傾いていない。

 あくまでも、蜜香との関係は偽物でごっこ遊びだと、その証明が欲しかったのだ。

 俺は、梨乃を見る。

 この話をされている間、梨乃はずっと俯いたままだった。


「すまない、修太郎君」


 梨乃の父親――正確には祖父に謝られる。


「娘が迷惑を掛けた」

「いえ、そんな」

「今回の件は、梨乃の願いを肯定した私にも責任の一端がある。無論、君の家への支援については気にしないでくれ。迷惑を掛けた償いの意味もある」


 そこで、梨乃の親父さんは、俺をジッと見る。


「……純朴で、良くも悪くも普通の青年だと思っていた。しかし、愛する者のために、自分に出来る限りの行動を起こせる男だったとはな」

「………」

「婚約者に黙って、『結婚ごっこ』という遊びに興じていた、という点はあるが……自身の過ちも理解した上で覚悟をできるのは、悪くない才覚だ」


 ……褒められて……るのか?

 いや、そこまで大層なことでもないだろう。

 まぁ、とりあえず、認められた――って感じなのかもしれない。


「修太郎君」


 そこで、霧晴さんが俺に頭を下げた。


「君には、多くの迷惑を掛けた。梨乃に代わって、俺も謝らせてもらう」


 深く深く、霧晴さんは頭を下げる。


「いえ、その……だ、大丈夫です、霧晴さん。頭を上げてください」


 俺はそう言うしかなかった。

 霧晴さんは、俺の手を握る。


「……本当に、すまない」


 そう囁く霧晴さんの顔は、辛そうだった。


「……霧晴さん」


 俺は、霧晴さんにしか聞こえない声で問い掛ける。


「霧晴さんが、蜜香に気がある素振りを見せていたのは、もしかして……」

「………」


 その言葉に、彼は困ったように微笑んだ。

 それで、俺は全てを察した。

 霧晴さんは、俺と梨乃の、この仮初めの婚約関係を終わらせ、梨乃と元通りの関係に戻りたかった。

 だから、俺と梨乃を切り離すべく、蜜香という存在に目を付け、利用したのだ。

 おそらく、霧晴さんは蜜香が俺に対して好意に近い感情を持っている知っていた。

 男子バスケ部と女子バスケ部は同じ体育館で練習しており、交流がある。

 中でも、蜜香は男バスの中では霧晴さんと一番話す事が多いと言っていた。

 頻繁に会話している内に、蜜香が大日向修太郎に対して好意を抱いていると確信したのだろう。

 あの焼き肉の帰り――霧晴さんは逆に、蜜香の名前を出して俺の気持ちを探った。

 結果、霧晴さんは感付いたのだ。

 俺も蜜香も、両想いだということに。

 だから、自分は蜜香に惚れていると言って、俺の蜜香に対する意識を強めようと誘導した。


「……夏前君が君に好意を抱いているのは、すぐに察したよ。彼女は部活で、君の話ばかりしていたから」

「……理由は、それだけじゃないですよね」


 俺が言うと、霧晴さんは悲しそうに微笑んだ。

 そうだ。

 蜜香の恋心を、俺の恋心を、霧晴さんは機敏に察知した。

 わかるのだ。

 何故なら、霧晴さんも恋をしているから。


「霧晴さんも……本気で、梨乃のことが好きだったんですね」

「……ああ」


 だから、梨乃を手に入れるため、俺との婚約関係を無くすため、そんな小細工までした。

 梨乃に失恋をさせて、完全に俺を諦めさせるように。


「……俺は、梨乃欲しさに、梨乃を傷付けた。この罪は、墓まで持って行く」


 霧晴さんは呟く。


「そして、その為に君や夏前君を利用したことは何よりの負い目だ。可能な限り、君達にも罪滅ぼしをしたいと思っている」




 ■□■□■□■□




 こうして、俺と梨乃の婚約関係は解消された。

 その知らせは、一瞬にして俺達の周囲にも伝えられた。

 全てが丸く収まった。

 いや、違う。

 梨乃の心だけが、ただ一人残されてしまったが。

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