第14話 脳が破壊される

『俺と夏前君が結ばれるよう、協力して欲しい』


 そうするべきかもしれない――と、俺は思った。

 最初、霧晴さんにそう言われたときには絶句してしまったが、霧晴さんが何を言いたいのかはすぐにわかった。

 霧晴さんが蜜香に好意を寄せているという話は以前、既にしている。

 霧晴さんの蜜香への想いは本物だ。

 霧晴さんは、行く行く東城家の屋台骨を背負う男。

 大金持ちで、成績優秀で、人柄も良いし、何よりルックスも良い。

 もしも、蜜香も霧晴さんに本気で惚れて、晴れて二人が結ばれたなら、これ以上無く幸せになれるはずだ。

 蜜香は新しい恋を手に入れる。

 俺は梨乃と一緒になる。

 それが、誰も傷付かないハッピーエンドだ。

 全ての矢印がぶつかり合うことのない、上手くまとまった関係図だ。

 袋小路に陥り、打開策が全く見当たらない状況に差し込んだ、微かな希望の光。


「……わかりました、霧晴さん」


 俺は、この光に手を伸ばした。


「協力します」




 ■□■□■□■□




「なぁ、蜜香」

「うん?」


 その数日後の夜のこと。

 この日、俺は蜜香を自宅に呼んでいた。

 俺の自室で、適当に漫画を読んだり、ソシャゲのガチャを回し合ったり、だべったりしながら、居心地の良い時間を過ごしている。

 蜜香も、適度にリラックスしている様子だ。

 そんな空気が出来上がったところで、俺は切り出した。


「最近、霧晴さんと、どう?」

「うん? 東城先輩?」


 俺の出した名前に、蜜香は小首を傾げる。


「どうって?」

「いや、なんつぅか、仲良くやってるのかな? と思って」

「えへへー、なになにー? まーた気になっちゃってるの? アタシと東城先輩が仲良くしてないかって?」


 蜜香は意地悪く笑う。


「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」


 そんな蜜香に、俺は予定通り言葉を紡いでいく。


「霧晴さんって、やっぱ滅茶苦茶良い人じゃん? 俺、なんだかんだで結構交流する事多いんだけど、高い飯奢ってくれたり、悩み聞いてくれたり、本当に一歳年上の同じ高校生かよってくらい大人だしさ」

「うん、だよねー、アタシもちょくちょく勉強のこととかバスケのこととか質問したりするんだけど、凄く優しく教えてくれるよ。あと、助言が適格」

「だろ? おまけに人柄も良いよな。普通金持ちのボンボンっていったら、もっと嫌な感じがしそうなもんだけど、霧晴さんって愛嬌があるっていうのかな? 気構えしないっていうか、凄い接しやすいんだよ」

「あー、わかるわかる。一年の部員の子達もすっごく慕っててね、ああいうのが人徳っていうのかな」


 俺が霧晴さんを褒めると、蜜香も満更でもない様子で乗ってくる。

 蜜香自身の霧晴さんに対する印象も、やはり悪くは無さそうだ。

 よし、ここらで一発、蜜香に霧晴さんを男として意識させるような言葉を……。


「あとさ、何と言ってもかっこいいんだよ、霧晴さん。背も高いし、顔立ちも整ってるし」

「うんうん、あ、何か聞いた話だと、東城先輩って海外の血が少し混じってるらしいよ?」

「あー、だからか。あんな目鼻立ちがハッキリとしたイケメン、芸能人にだってそういないだろ。その上、運動神経抜群で鍛えてるから体格もいいし。細マッチョの引き締まった体とか、マジで最高だよな。あの広い肩幅、頼り甲斐のある腕、長い脚、飛び付きたくなる胸板……」

「しゅ、修太郎……」


 そこで、蜜香が俺にジト目を向けている事に気付く。


「修太郎、まさか……東城先輩のことが好きになっちゃったの?」

「違ぇよ!」


 いかん! 熱く語りすぎて妙な疑惑をかけられた!


「そういうことじゃなくって……そう思うだろって話! 女の蜜香から見たら、正にそうだろ!?」

「んー……」


 俺の問いに、蜜香は若干頬を染める。


「まぁ、確かに……魅力的じゃない、って言ったら嘘になっちゃうけど」

「だろ!」


 よし、蜜香もちゃんと霧晴さんを異性として意識している。

 俺は更に、霧晴さんを褒めていく。

 褒めて褒めて、霧晴さんの魅力を蜜香に刷り込む。

 大らかで誰にでも愛される、正に男の中の男。

 バスケも上手く、うちの高校の男バスの総合力を高め、今年こそ全国大会出場は確実と目されている。

 俺の言葉に、蜜香もうんうんと頷き、「本当、東城先輩ってすごいよね」と、笑顔を浮かべている。

 よし、良い感じの流れだ。

 俺は、そこで一歩踏み込んだ発言をした。


「俺、思うんだけどさ、そんな霧晴さんと蜜香が横に並んでたら、すげぇ絵になると思うんだよ」

「えー、ほんとに?」


 その言葉に、蜜香は満更でもない感じで頬を掻く。

 照れているのがわかる。


「ああ、霧晴さんと蜜香って、ピッタリだと思うんだよな」

「えへへー、やめてよ、もう」

「お似合いだと思うぞ? 美男美女で、バスケ好き同士で、なんていうかピッタリっつぅか」

「………」

「もし霧晴さんと付き合うとしたら、絶対に幸せにしてもらえるぞ。蜜香もモテるんだし、霧晴さんもきっと――」


 そこで、蜜香が無言で立ち上がった。


「蜜香?」

「……帰る」


 言うと同時、蜜香は足早に俺の部屋を出て、玄関へと向かう。

 俺が追い掛ける間もなく、靴を引っかけて帰ってしまった。




 ■□■□■□■□




 ああ……やってしまった。

 俺は後悔していた。

 流石に、強引に誘導しようとし過ぎた。

 あまりにも蜜香の気持ちを無視し、俺一人で話を進めまくってしまっていた。

 蜜香は、俺を好きでいてくれている。

 そんな俺から、俺以外の男と一緒に居る方が良いぞ、なんて言われたら怒って当然だ。

 俺としたことが、功を焦ってしまった。

 暗闇の中にやっと差し込んできた、日の光。

 現状を打開しうる可能性に、あまりにも容易く寄り掛かってしまった。

 ――翌日。

 俺は霧晴さんに、現在の状況をどう説明しようか迷っていた。

 作戦では昨夜、俺が蜜香に霧晴さんを意識させるよう誘導し、翌日、霧晴さんが蜜香にさり気なくアプローチを仕掛ける。

 そこで、デートにでも誘うという作戦を立てていた。

 だが、あの怒った様子の蜜香じゃ、今霧晴さんが接近しても意味が無いかもしれない。

 俺は、霧晴さんにメッセージを送った。


『すいません、失敗しました』


 情けない……協力しますと言っておいて、このザマか。

 しかし、その日の放課後、霧晴さんから返ってきたメッセージは意外なものだった。

 霧晴さんが蜜香を誘ったところ、部活終わりの放課後、一緒に遊ぶことになったらしい。

 つまり、デートをすることになったのだ。


「マジか……」


 意外な展開だった。

 もしかして、実は昨日の夜、蜜香は十分霧晴さんのことを意識するようになっていたのか?

 怒って帰ったと思っていたが、実は恥ずかしくなってきて慌てて帰宅したとか……。

 考える俺に、霧晴さんは更にメッセージを送ってくる。

 放課後、霧晴さんと蜜香は街に繰り出す予定だという。

 そこで、俺にも密かに着いてきてもらって、ちょくちょくサポートして欲しいとのこと。

『お願い!』と、犬のキャラクターが手を合わせているスタンプが送られてきた。

 この人……意外と初心なのか?




 ■□■□■□■□




 そして、放課後。

 駅前のロータリーで待ち伏せしていたところ、学校帰りの二人がてくてくやって来るのを発見した。

 作戦決行。

 俺は、蜜香と霧晴さんを背後から追跡する。

 俺は二人のデートを遠巻きに観察しながら、スマホでメッセージを送り、霧晴さんをサポートする。

 蜜香の食べ物の好み、飲み物の好み。

 コンビニでは肉まんとあんまんの二つをおごり、フルーツスムージーの移動販売を発見したらバナナシェイクとイチゴオレの二つをおごる。

 蜜香は心底嬉しそうで、はしゃいだ様子で霧晴さんに接している。

 その表情が目映く、俺はちょっとムズムズした。

 霧晴さんは、漫画やゲームの話題を出して蜜香と盛り上がる。

 全て、蜜香の好きなものだ。

 その好みも俺が教えた。

 仲良くハイテンションで言葉を交わす二人は、端から見ていても確実に距離が縮まっているとわかる。

 蜜香も、心から楽しそうな雰囲気を醸している。

 俺と一緒に居るときのように。


「………」


 そんな二人の姿を、俺は遠目から黙って見詰め続ける。

 そして本当に、お似合いの二人だと思った。

 霧晴さんは俳優のようなイケメンだし、蜜香は清潔感のある美少女だ。

 そんな二人が並んで歩いているのだから、誰もが振り返って目を奪われているのがわかる。

 なにより、霧晴さんと一緒に居る蜜香は、なんだか上品で色っぽく、とても高嶺の花のような美人に見える。

 やっぱり、横にいる男次第で、女性の印象も美しさも変わるのかもしれない。

 俺より、霧晴さんの横にいる方が、蜜香は満たされて見えるに違いない。

 百人中百人が、蜜香の隣は俺よりも霧晴さんであるべきだと言うに決まっている。

 ――やがて、日もすっかり暮れ。

 霧晴さんと蜜香は、LEDのイルミネーションが彩る公園へとやって来ていた。

 二人が腰掛けたベンチの向こうには、ライトアップされた噴水がある。

 水と光が織りなす神秘的な光景。


「夏前君、今日はありがとう」

「いえいえ、こちらこそ凄く楽しかったです。それに、色々おごってもらっちゃったりして」

「構わないさ。君とは以前から、こういう風に過ごしたいと思っていたんだ」


 霧晴さんは、蜜香に熱っぽい言葉を向け出す。

 その言葉だけは、俺の助言じゃない。

 霧晴さんが本心から口にしている言葉。


「え?」

「俺のこと、どう思う?」

「東城先輩……」

「俺を、男として意識してくれるかな」


 真っ直ぐ、真剣な眼差しで、霧晴さんは蜜香を見詰める。


「あ、その……」


 蜜香は、恥ずかしそうに目線を逸らす。

 ……心臓がジクジクする。

 霧晴さんが、蜜香の肩に手を置く。

 蜜香は、何もしない。

 蜜香が何もしないのは、受け入れている証拠――。

 霧晴さんが、顔を寄せる。


「うわあああああああ、ストップストップストップ!」


 瞬間、俺は思わず二人の背後の生け垣から飛び出した。


「あ……」


 息を殺して草の間に潜んでいた俺に、二人はビックリした顔を向ける。


「すいません、霧晴さん!」


 俺はすかさず、蜜香の手を握る。

 そして、その場から逃げ出した。


「しゅ、修太郎!?」


 公園の中をしばらく走った後。

 俺は、蜜香の手を離した。

 息切れする呼吸を整え、振り返ることなく俺は言う。


「ごめん……蜜香」


 背後の蜜香は何も言わない。

 息切れもしていない。

 流石、運動部。


「俺、霧晴さんとお前がくっつくべきだと思ってた。そうなれば、一番良いと思ったからだ。蜜香も、新しい恋を手に入れて、幸せになれるって。だから、霧晴さんに手を貸したんだ」

「………」

「でも、耐えられなかった」


 霧晴さんの隣で微笑む蜜香の方が幸せだと言われても、俺の隣で子どもみたいにケラケラ笑っている蜜香の方が、俺は欲しかった。

 全てを告白し、俺は振り返って、蜜香と相対する。

 俯いていた蜜香は、顔を上げて俺を見た。

 その目には、涙が浮かんでいた。


「蜜香……」

「修太郎」


 蜜香は言う。


「殴っていい?」

「………」


 殴られる、か。

 コイツに殴られたら、真剣に首の骨が逝くかもしれない。

 しかし、まぁ、仕方がない。


「ああ、いいぞ」


 俺は死の覚悟を決めて、腰を落とし、目を瞑る。

 ペチン、という音と共に、頬に痺れと熱が生まれた。

 ビンタだった。


「……蜜香」

「バカ!」


 もう一発ビンタが飛んできた。

 俺は黙って受ける。


「修太郎のバカ! なんとなく、そんな感じしてたよ! 昨日の夜から様子おかしかったもん!」


 蜜香は泣く。

 ぽろぽろと、涙が頬を伝って地面に落ちる。


「アタシも怒って、ムキになって、東城先輩の誘いを受けちゃったけど……アタシ、怖かったんだから! 本当にこのまま、東城先輩の想いに答えちゃったら……そうしたら、修太郎に……どんな顔して会えばいいのかって……!」

「……蜜香、すまん!」

「足りないよ! もっと謝れ! 全力で謝れ! さもないと許さないから!」

「ごべーーーーーーーーん!!!」

「いや、ウソップの謝り方!」


 蜜香は泣きながら笑っていた。

 その後、俺達は霧晴さんの元に戻り、彼にも謝った。

 ごめんなさい、と、俺は頭を下げる。

 霧晴さんは何も言わなかった。

 でも、この一連のやり取りで彼も察したはずだ。

 蜜香が、俺に好意を抱いていること。

 そして、俺もまた、梨乃という存在がありながら、蜜香に手放しがたい感情を抱いてしまっていることを。


「よくわかった」


 霧晴さんは、穏やかに微笑む。


「梨乃には、黙っておくよ。俺が口を挟んだところで、何の解決にもならないと思うからね」


 俺達の心中を察してくれたのか、彼はそう言った。

 失恋したばかりだというのに、俺のことを考慮してくれている。

 ……この人には、本当に頭が上がらない。


「でも……難儀だな、修太郎君」


 一転し、霧晴さんが難しい顔になる。

 ……わかっている。

 矢印は、再びぶつかり合う。

 これで事態は、元の袋小路に戻ってしまった。




 ■□■□■□■□




 その翌日の――夜。

 俺は東城家を訪れていた。

 梨乃から、一緒に食事をしたいという誘いを受けたためだ。


「シュウ君、最近疲れているように見えるから」


 どうやら、俺の懊悩は梨乃にも察されるレベルに達していたらしい。

 美味しい料理を振る舞うので、今夜は一緒に食事をしましょう――と、俺は梨乃とすっかり見慣れた東城家の広間にいる。

 俺達が席に着くと、メイドの千雪さんがどんどん料理を運んでくる。

 他に使用人の姿は見えない。


「今日の料理は、千雪の手作りなの」

「え?」

「お口に合えば光栄です」


 俺の前に前菜の皿を置き、千雪さんはペコリと腰を折る。

 口に運んでみて驚いた。

 千雪さんの手作り料理……正直、プロと遜色ない見た目と味だ。

 このメイドさん、只者じゃない……。


「お腹がいっぱいになったら、今夜は泊まっていってもらって構わないわ」


 食事も終盤に差し掛かったところで、梨乃が言った。


「いや、それは流石に悪いよ。何より、明日も学校があるし……」

「準備はこちらで整えておくわ、心配しないで」


 そうは言われても、簡単に『じゃあお願いします』と応じるのは、少々気が引ける。

 だが、そんな風に思う一方で、俺の思考はぼやけ、自然と欠伸が出てくる。

 こんなに眠気を覚えたのは久しぶりかもしれない。

 そんなに疲れてたのか? 俺。


「修太郎様、こちらに」


 気付くと、俺は千雪さんに手を引かれ、客室へとやって来ていた。

 私服のまま、ベッドに横たわる。

 そして、それ以上思考が働くことなく、俺は見えない力に呑み込まれるように、完全に意識を手放してしまった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る