第13話 アタシの男、私の男、アピール合戦


「………」

「………」

「……あのー、梨乃さん」

「何かしら、修太郎さん」

「これは、その……一体、何の仕打ちですか? 新手の『矯正』ですか?」


 学校での、昼休憩の時間である。

 俺は、梨乃と一緒に校舎の中を歩いている。

 目的地があるわけではない。

 梨乃に言われて、ただ一緒に歩いているだけだ。

 まぁ、それだけなら、まだいい。

 何の問題も無い。

 問題は――。


「失礼なことを言わないで、修太郎さん。これは、立派な婚約者としての活動の一環よ」


 梨乃が、俺の腕に腕を絡め、なんなら体をぴったりと密着させ、その状態で校内を練り歩いている、ということだ。


「婚約者としての活動の一環……」

「私達が婚約していると、修太郎さんが行く行く東城家の一端を担う人材であると、有識者達にアピールするためのものよ」


 梨乃は、恥ずかしそうに頬を桜色に染めて言う。


「何もおかしくないわ」


 つっこんでいいよな?

 俺達の婚約関係を喧伝するのはいいとして、何故こんな方法を取るんだ?

 行き交う生徒達が、ギョッとした顔で俺達を見ている。

 普通、学校内でバカなカップルがこんな事をしていたら教師も注意するものなのだが、梨乃の一睨みで退散していく。

 東城家、つよい。


「……修太郎?」


 その時だった。

 廊下の向かい側から、ちょうど通り掛かった蜜香と遭遇した。

 蜜香は、俺と、俺の腕に体を寄り添わせる梨乃を見て、目を見開いている。

 大分、ショックを受けた表情だ。


「蜜香、あ、いや、これは……」

「……夏前蜜香さん、ね」


 俺が何やらごにょごにょ言っている内に、梨乃が蜜香へと挨拶をしていた。


「はじめまして、シュウ君と婚約関係を結ばせていただいております、東城梨乃です」


 頭を下げて、梨乃は恭しく挨拶。

 というか、梨乃。

 今、俺のことシュウ君って呼んだか?

 学校では今まで通り接するという約束、もう何一つ守られてないぞ。


「あ、え、ええと……」


 蜜香は目を泳がせて、何と反応すればいいのかわからないという感じだ。

 やがて、「あ、あはは」と、動揺を誤魔化すように笑う。


「こ、こちらこそはじめまして、夏前です。修太郎君とは、その……ええと、古い友達と言いますか、腐れ縁と言いますか……」

「ええ、存じております」


 梨乃は、にこりと笑う。


「“ただの”、幼馴染みだと」

「……あ、あははー」

「子どもの頃からご近所で、高校も一緒になるまで仲が良い、“ただの”幼馴染みと」

「……え、えへへー」


 何やら、“ただの”、という部分を強調した言い方をしている気もするが、梨乃はかつて個展の主催者達と接していたときのような、外交的な態度で蜜香に接する。

 いや、あの時と比べて外交的とはあまり言えない気配ではあるが。

 しかし、そんな風に来られれば蜜香も普通に対応するしかない。

 威風堂々と喋る梨乃に対し、蜜香はひたすら笑顔で応える。


「近々、シュウ君との婚約を祝うパーティーなどを開く予定を組んでおりますの。その席には、是非仲の良いご友人の夏前さんにも参加していただきたいと思っております」


 梨乃が言う。

 俺も初耳だが、それに対し蜜香は相変わらず愛想笑いを浮かべている。

 目線は、若干下に向いている。


「あ、あはは、アタシなんかが行って、いいのかな?」

「ええ、是非ご参加を。行く行くは、私達の披露宴にもご参列していただきたいと思っておりますので」


 梨乃は言う。


「夏前さんは、シュウ君とは子どもの頃から仲の良い幼馴染みだと伺っております。同じマンションに家があって、ご近所同士だと。シュウ君も、兄弟のような関係と言っていました。あ、兄と弟と書いて兄弟と読むそうです」


 そこまで詳しく言わなくていい!


「そんな、シュウ君と仲の良い夏前さんに、私達の結婚をお祝いしていただけたら、とても幸せです」

「あ、はい」

「では、失礼します」


 梨乃に腕を引かれて、俺は歩き出す。


「あ、それと、夏前さん」


 そこで、梨乃が言う。


「夏前さんがシュウ君と仲が良いのは重々承知しているけれど……彼への意地悪はほどほどにお願いね。シュウ君にも、立場というものがあるから」


 少し進んだところで、俺はチラリと背後を一瞥する。

 蜜香は、梨乃を前にしても、至って普通に振る舞えていた。

 でも、俺が振り返ったとき、蜜香はこちらに背を向けて、ただジッと立ったままだった。

 感情の読み取れないその背中を見て、俺はゾクリとしてしまった。




 ■□■□■□■□




 既に前兆はあったものの、俺の予想を遙かに超える速度で事態は急変していく。

 何か対策を講じる暇も無いほどだった。

 梨乃と蜜香。

 俺の婚約者と、偽りの嫁。

 口にはしないし、直接俺にも言わない。

 だが、二人は明らかに互いを警戒……というか、敵視し始めているようだった。

 気付けば戦争が始まっていた。

 アピール合戦という名の、戦争が。

 まずは、梨乃。

 彼女は、学校で俺とところ構わずベタベタするようになった。

 最早、『二人きりのとき以外は、今までと変わらない態度で接する』という先日の約束なんて、撤回も撤回。

 婚約者なのだから当然でしょう? というように、休み時間も、昼食の時も、なんなら合同授業の時も、ピッタリ俺にくっつく形だ。

 先日までそれを行っていた蜜香は、そのポジションに梨乃が入り込んでしまえば行動に出られない。

 例によって教師達は何も言わないし、梨乃が俺の傍で目を光らせている限り、蜜香も簡単には近寄れないという感じになっている。


「……ふふっ」


 遠目からやきもきした様子で、俺達を見ていることしかできない蜜香。

 その姿を見て、梨乃は満足そうに笑っていた。

 しかし、そんな梨乃の行動が蜜香に火を付けた。


「やっほーっす、修太郎!」

「え、お前、今日は部活じゃ……」

「サボっちゃったー! いいじゃん、たまには!」


 学校で近付けないのであればと、蜜香は俺の家に頻繁に遊びに来るようになった。

 しかも、必ずと言っていいほど宿泊し、俺のベッドで寝ていく。

 逆に、俺を自分の家に誘うこともある。

 俺達は『最終的な行為はしない』という誓いを立てたので、そこはなんとか踏みとどまっている。

 しかし、その代わり、蜜香は梨乃に対する攻撃を行うようになった。

 俺を自分の家に呼んだ際、わざと俺の持ち物を隠すのだ。

 腕時計や、勉強道具や、時には着替えなんかも。

 そして後日学校で、梨乃と一緒に居る俺のところに来て「この前、うちに来たとき忘れてったよ?」と、それを届けに来るのである。


「修太郎さん、夏前さんの家に遊びに行ってるの?」


 蜜香から靴下を受け取る俺に、梨乃が鋭い視線を向けてくる。


「別に問題無いよね。同じマンションだし、ただの仲の良い幼馴染み同士の交流なんだし」


 蜜香は平然と言う。


「アタシと修太郎の仲じゃ、もう当たり前のことだもんね~」

「み、蜜香!」


 マウント発言があからさますぎる!

 俺が慌てて注意しようとすると、蜜香は健脚を飛ばして逃げていく。

 50m走ベストタイム、5.9秒。

 めっちゃ速い。


「え、えーと……」


 俺は振り返る。

 梨乃は、蜜香の届けた忘れ物の靴下を握り絞めていた。


「別に気にしていないわ。単なる幼馴染み同士の交流ですものね」

「その、梨乃さん……」

「さん?」

「梨乃……すまん」

「……シュウ君、今夜は私の家に泊まっていって」


 ニコッと、梨乃が笑う。


「『矯正』よ、全国共通模擬試験の予習をしましょう。夜通し」

「……はい」


 こんな感じで、二人の争いは水面下どころではなくなっていく。

 梨乃は、俺に色々とプレゼントを贈ってくるようになった。

 ブランドものの財布だったり、ダテ眼鏡だったり。

 基本は身に付ける系のもので、学校にもそれを着けてくるようにという。

「シュウ君は私のものよ」――とでもいうように、自分の贈り物で俺を装飾していく。

 対し、蜜香の方は逆だった。

 俺が遊びに行ったときに忘れていった(ということになっている)、腕時計とか、制服のネクタイとかを、自分が着けてくるのだ。

「えへへ、いいじゃんいいじゃん」、と、遊びの範疇のように見せかけているが、こんなもんアピールに他ならない。

 徐々にだが、学校内でも噂が流れ始めた。

 夏前蜜香、もしかして、大日向修太郎が……という、噂が。

 これは、非常にまずい事態だ。

 そうなると、蜜香は既に婚約を結んだ男にアピールする女と見られる。

 行く行くは大企業グループ東城家――その一員になる予定の男に尻尾を振って擦り寄ろうとしている女、そうとも見られ兼ねない。

 親しげに俺へと話し掛けている蜜香を見て、何人かの女子が眉を顰めている。

 頻繁に部活をサボり始めた事も、チームメイトから苦言が上がっていると聞く。

 流石に、俺だって間抜けでは無い。

 この状況を、黙って見過ごすわけにはいかない。

 蜜香への説得を試みる。


「蜜香、今の状況は、周りの蜜香に対する印象が悪くなる」


 思い立つと同時、校舎の裏に蜜香を呼び出し俺は言う。


「それに、このままだと『結婚ごっこ』のことだってバレかねないだろ?」

「いいじゃん」


 そういう俺に対し、蜜香は笑いながら言った。

 しかし、少し下がった眉根は、悲しそうだった。


「所詮、ごっこなんだし、遊びなんだし。それに、アタシ前に言ったでしょ? アタシ、前に言ったじゃん。修太郎が梨乃さんと幸せな結婚をできるなら、喜んで身を引くって」


 蜜香は笑いながら言う。


「もしもバレたら、全部アタシのせいだって言うよ。修太郎は悪くないって。全部アタシから誘ってやった、ふざけ半分の行動だって。だから、アタシのことなんて気にしないで、今のこの感じを楽しもうよ」


 蜜香は笑いながら言う。


「どうせ全部、遊びなんだから」

「蜜香!」


 気付けば、俺は蜜香の名を叫び、彼女の肩を掴んでいた。

 俺の剣幕に、蜜香も流石にハッとした。


「蜜香、お前、ちょっといつもと違うぞ?」

「………」


 まるでやけっぱちのような、自暴自棄なような言葉を零す蜜香に、俺は息苦しくなった。


「俺は、蜜香が心配なんだ。全部、自分のせいにするとか言うな」

「……ごめん」


 蜜香も、自分の行為や発言に後悔を自覚したようだ。

 そう、俺に言う。


「部活サボったこと、みんなに謝る」

「ああ」


 そこで足音が聞こえ、俺は慌てて蜜香の肩から手を離す。


「ともかく、二人きりの時間を作ろう、な」

「うん」


 蜜香の精神を安定させるためそう言って、俺達は何気ないふりをしながら校舎裏を後にする。

 事態は、予想以上に袋小路に陥ってしまっていた。




 ■□■□■□■□




「修太郎君? こんなところで、どうしたんだい?」


 俺は、大分参ってしまっていた。

 悩んで、迷って、この誰にも話せない胸の内を、誰に言えばいいのか……。

 夕暮れ時の駅前広場。

 ベンチに腰掛けて空を仰いでいた俺に、聞き覚えのある声が投げ掛けられた。

 見ると、霧晴さんだった。

「よっ」と、片手を上げながら立っている。


「霧晴さん……どうしてこんなところに?」

「部活終わりに、部の連中とちょっと遊んでいてね」


 それよりも――と、霧晴さんは言う。


「どうした? 浮かない顔をして」

「いや……霧晴さんに相談するようなことじゃ……」

「修太郎君」


 霧晴さんは、俺の隣に座る。


「なんでも相談してくれと言ったのは俺だ。構わないさ」


 霧晴さんは、清々しい笑顔で言う。

 運動終わりだからか、爽やかな制汗剤の匂いがする。

 ……今回の件を、霧晴さんに相談するのは、中々不実な点も多いだろう。

 隠さなければいけないことも多い。

 でも、俺は何でも良いから糸口が欲しかった。

 些細な事でも、ただの切っ掛けでもいい。

 この状況の打破に繋がる、何かを。


「その……なんていうか」


 俺は、『結婚ごっこ』などの隠すべきところは隠しつつ、霧晴さんに自分の悩みを相談した。

 つまり、梨乃と蜜香、二人が争うような形になってしまっている件についてだ。


「話を聞く限り……だが」


 霧晴さんは、俺の話を聞き終わると、呟く。


「おそらく、夏前君は修太郎君のことが好きで、君が梨乃と婚約しているとわかっていても気を引きたくなってしまっている……という感じじゃないかな。何が切っ掛けとなったのかは、わからないが」

「………」


 まぁ、『結婚ごっこ』のことを隠すとなると、こういう伝わり方になってしまう。


「しかし、驚いたよ。まさか修太郎君が、梨乃の幼少期の初恋の人だったとはね。そんなエピソードがあったから、梨乃は君との婚約を希望していたのか」

「俺も驚きました。梨乃は、お祖父さんの養子になった形だから……霧晴さんとは、義理の兄妹っていう事なんですよね?」

「そうなるね」


 しかし……と、そこで、霧晴さんは顎先に指を当て考える。


「……修太郎君、一つ確認だ。君は、行く行く梨乃と結婚する。そして、夏前君とはあくまでも平穏に幼馴染みの関係のままでいたい。そういうことでいいね」


 俺は頷く。

 そうとしか、この場では答えられない。


「わかった、なら、方法は一つだ」


 霧晴さんは言う。


「修太郎君、俺と夏前君が結ばれるよう協力して欲しい」

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