第12話 崩れる関係性
梨乃の家から帰った時には、既に深夜だった。
しかし、俺は蜜香に、今日あった事を伝えずにはいられなかった。
何と言っても、俺は梨乃に呼び出されて東城家に向かう直前まで、蜜香の部屋で、彼女と『結婚ごっこ』に勤しんでいた。
『恥ずかしい話、暴露ごっこ』の最中だったのだ。
そこで話した、俺の過去。
俺と蜜香の出会いの切っ掛けとなった、幼少期――俺が嫌われたと思っていた女の子が、数年の歳月を経て俺の前に現れたのだ。
あまりにもタイムリーすぎる。
そして、衝撃的すぎる展開。
これは、すぐにでも彼女と共有するべきだと思ったのだ。
というか、俺一人で抱えきれるものではなかったから。
「……梨乃さんの正体が、その女の子」
場所は、蜜香の部屋。
時間はかなり遅いが、今日は蜜香の両親は仕事で家に帰らないらしいので、そこは問題無かった。
東城家から戻ってきた俺を、蜜香は再び「おかえりー!」と元気に迎え入れてくれた。
しかし、俺の話を聞くにつれ、蜜香もまたキョトンとした顔になり、そしてポカンとした顔になり、最終的にはホヘーという顔になって放心してしまっていた。
だが、彼女も徐々に、状況を把握出来てきたのだろう。
「それ……マジ?」
「マジ」
「……ちょ、超展開過ぎひん?」
「俺も同感」
おどけた調子で言っているが、蜜香は明らかに動揺している。
俺だって同じ気持ちだ。
だが、おそらく今、蜜香が一番に心を乱しているのは、明らかになった衝撃の事実の部分ではなく――。
「梨乃さん……本当に、修太郎のことが、好きだったんだ」
「………」
俺が口にするのも躊躇っていた言葉を、蜜香は呟いた。
俺達の『結婚ごっこ』は、梨乃と俺の婚約者関係が上手くいっていないという、梨乃との相性が最悪だという、その前提によって生み出されたものだった。
しかし、実際のところ、梨乃は家の言い付けや事情ではなく、ずっと俺に初恋を抱いていて、そして俺を婚約者に指名した。
冷たい態度も、厳しい態度も、俺に好かれようと幼い日に俺が語った好みに合わせようとした結果だった。
その勘違いが晴れた今、俺と梨乃の関係性は明らかに変化する。
……おそらく、良い方向に。
「なぁ、蜜香――」
「ねぇ、修太郎」
俺が何かを言おうとした瞬間、それを遮って、蜜香が口を開いた。
「今度の休み、どっか行こうよ。『休日デートごっこ』第二弾」
「え……」
蜜香は、その顔に無邪気な笑みを湛えて言う。
「いいじゃん、いいじゃん、ずっとまともに会えなかったんだし、テスト勉強で溜まってたでしょ? パーッと遊びに行こうよ。アタシさ、あそこに行ってみたいんだよね、水族館」
「水族館? 随分珍しいチョイスだな」
「鰯のトルネードが話題なんだよ」
「鰯が食いたいだけじゃないよな?」
「正解!」
「いや、正解じゃダメだろ!」
「白ご飯とふりかけ持って行っても良いかな?」
「だから食えねぇって!」
俺達は軽妙に笑い合い、次の土曜日に遊ぶ約束をした。
そして、すっかり夜も深まってきたので、いい加減自宅へと帰宅する。
「………」
蜜香は、明らかに話題を逸らしていた。
『結婚ごっこ』を、どうするのか。
そして、その話題を振り払うかのように、俺と次の予定を入れたのだ。
■□■□■□■□
予想通り――というか、想定していた通り、というか。
俺と梨乃の婚約者生活は、そこから明らかに変化した。
「修太郎さん、お時間いいかしら?」
学校にて。
教室へとやって来た梨乃が、俺を呼び出す。
彼女の本心を知ってからは、梨乃の一挙手一投足に対する警戒心が薄れ、その言動に怯えることもなくなった。
心理的負担が一気に減って、心が楽になった。
俺を教室から連れ出した梨乃。
俺は、梨乃の後に付いていく。
向かった先は、空き教室だった。
誰も居ない、未使用の机や椅子が積み重なった、ほとんど倉庫とかしている空き教室。
「こんなところに連れてきて、どうしたんだ? 梨乃さん……」
梨乃が扉を閉める。
そして、俺を振り返った。
「……シュウ君」
歩み寄り、すぐ間近まで来ると、梨乃は声を潜めて俺の名を呼んだ。
二人きりの時の、呼び名。
薄暗い空き教室の中でもわかるほど、彼女の顔は朱に染まっていた。
「今日の放課後……時間をもらってもいいかしら?」
「え?」
「迎えの時間を、また遅らせようと思うの」
つまり、放課後デートをしたいということだ。
「……梨乃、外では今までと変わらない態度で接するって言ってなかったか?」
「ほ、放課後の時間を一緒に過ごすなんて、今までにもしたことがあるはずよ!」
俺の指摘に、梨乃は顔を真っ赤にして反論する。
「いや、まぁ、一回だけだけどな」
「だ、ダメ、かしら? 私と一緒に居たくない?」
俺が言い淀むと、梨乃は心配そうに問い掛けてくる。
少なくとも、俺には断る理由がない。
「いや、嫌じゃない。いいよ」
「ほ、本当?」
いつもは、放課後は学校に居残り、梨乃に勉強を教わる事が多かった。
放課後デートなんて、過去思い返しても一回だけである。
梨乃は明らかにはしゃいだ様子で、俺の返答に喜んでいる。
「じゃ、じゃあ、私、行きたいところがあるの」
「行きたいところ?」
「クレープを食べたいの」
「またか……クレープにドはまりしてんじゃん」
「い、言っておくけど、この前のキッチンカーとは別のところよ。有名な専門店で――」
その時、廊下の方から会話が聞こえてきた。
同時、空き教室のドアが開く。
数人の生徒が、どうやら何かに使うために机や椅子を運びに来たようだ。
彼等は、教室の中に俺達がいるのに気付くと、驚いた顔をする。
「あ、いや、これは――」
「話は以上よ。行きましょう、修太郎さん」
動揺する俺に対し、梨乃は一瞬で人格を切り替え、凜とした声音でそう言った。
「ごきげんよう」と彼等に挨拶をし、教室を出る。
……一応、二人きりの時以外は、このキャラで通すようだ。
■□■□■□■□
「修太郎、今日、梨乃さんと放課後一緒に過ごしたんだよね」
その日の夜。
俺の家に蜜香が遊びに来た。
胡桃に「こんな夜遅くまで遊んでていいの?」と小言を言われつつ、俺は蜜香を自室に連れて行く。
今日一日あったことをダベりながら、俺は漫画を読み、蜜香はテレビゲームをやっていた。
だらけた、居心地の良い空気に包まれていた――その時だった。
蜜香が、そう口を開いた。
「え? あ、ああ」
放課後、俺は梨乃と有名なクレープの専門店に行った。
梨乃は始終楽しそうで、期間限定のマンゴークレープに舌鼓を打っていた。
「蜜香は、放課後部活だったんだろ。大会も近いし、レギュラーだし、大変だな」
「良かったじゃん」
蜜香は、振り返って俺を見た。
その顔に、笑顔を浮かべて。
「梨乃さんとの関係、良い方向に行きそうで」
「……あ、ああ」
「クレープかぁ、いいなー、アタシもクレープ食べたくなっちゃった。今度の日曜日さ、クレープも食べに行こうよ」
「お前、二、三個くらい一気に食いそうだよな」
「え? 二、三個くらい一般的な女子高生ならペロリでしょ?」
いつもと変わらぬ態度でそう会話をした。
やがて夜も更け、俺は蜜香を家まで送る。
エレベーターで三階に下り、彼女の家へ。
その間、ずっと日曜日のデートの予定を話し込んだ。
「お帰り、蜜香姉」
玄関の扉を開けると、悠君が出迎えてくれた。
「じゃあね、修太郎」
玄関で靴を脱ぎ、蜜香は自室へと向かう。
蜜香を見送った後、悠君が俺を振り返った。
「何かあったんですか? 修太郎兄」
悠君は、眼鏡の奥の目を細めて言う。
「なんだか今朝から、蜜香姉の機嫌が凄く悪い気がするのですが」
「……だよなぁ」
■□■□■□■□
次の日、学校で事件が起こった。
それはそれは、学校中を駆け巡る大ニュースだった。
「おい! 夏前さんの左手、見たか!?」
「指輪だよ、指輪! 指輪してたぞ!」
そんな会話が、男子生徒の間から聞こえてくる。
俺も思わず、蜜香の教室まで足を運んでしまった。
蜜香が、左手の薬指に指輪を付けて来たというのだ。
何をその程度のことで騒いでいるのか――と思われるかもしれないが、蜜香はこの学校でもかなり人気の高い女子生徒である。
男女問わずファンが多い。
数多の男子生徒があいつに告白し、撃沈していったというエピソードは以前にも語ったはずだ。
普段から、あまり飾りっ気もなく、アクセサリー類なんて身に付けたことのない蜜香。
そんな蜜香が、左手の、しかも薬指に、指輪をしてきているのである。
しかも、それは――俺が『結婚ごっこ』開始の時にプレゼントした、あのリングだった。
あのリングは、俺と二人きりの時にしか付けないという話だったはず。
当然そうなれば、蜜香に彼氏が出来たのかと、一瞬で噂が走るのも当然だ。
「な、夏前さぁ……その指輪、もしかして彼氏が出来た、とか?」
ちょうど、俺が蜜香のクラスの前に様子を見に来たときだった。
一人の陽キャ然とした男子生徒が、蜜香にその件を聞いていた。
本人はさり気なく問い掛けているつもりのようだが、明らかに恐る恐るな声音になってしまっている。
周囲の男子生徒達も、息を呑んで蜜香の返答に耳を欹てている。
蜜香は「んー……」と、どこか熱っぽい目で自分の左手を眺め……。
「んふふー……さぁ、どうでしょう」
恥ずかしそうに、口元に笑みを浮かべながら言った。
あいつ、完全ににおわせてやがる!
それを聞いた、密かに蜜香へと恋心を抱いていた隠れファンの男子達は、阿鼻叫喚の涙を流す。
そこで、蜜香が、廊下に立つ俺の姿に気付き「てへへ★」という感じでアイコンタクトを送ってきた。
てへへ★じゃないよ、蜜香さん。
――先日の一件以降、梨乃の変化もさることながら、蜜香の態度にも明らかな変化が起き始めた。
俺が婚約して以降、蜜香は気を使ってか、学校ではあまり俺に接触をしてこないようにしていた。
しかしここ最近、そんなことを気にせず、蜜香は学校内でも俺に接触をするようになってきた。
休み時間、教室まで教科書を借りに来たり、合同授業では積極的に一緒に行動しようとしてきたり。
まるで以前までの、当たり前のように触れ合っていた頃のように。
――そんな蜜香の俺に対する態度に、流石に梨乃も違和感を覚え始めたようだ。
ある日の休み時間、俺の教室に蜜香が遊びに来ていたところに、ちょうど梨乃もやって来て鉢合わせの形になった。
「じゃあね、修太郎! 漫画借りてくね!」
蜜香は俺が学校に持ってきていた漫画雑誌を奪って帰って行った。
「彼女……夏前さん」
その後ろ姿に、梨乃は怪訝な視線を向ける。
「修太郎さんと、とても仲が良いのね」
「あ、ああ、子どもの頃からの幼馴染みっつぅか、悪友っつぅか、まぁ、ほとんど兄弟みたいなもんだな。兄と弟と書いて、兄弟」
それ以外の何でも無いという風に、俺は言う。
「ふぅん……」
俺の言葉に、梨乃は双眸を薄く細めた。
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