第4話 梨乃との休日


 そして、次の土曜日。

 俺は梨乃と一緒に、都内の美術館を訪れていた。

 かなり規模が大きく、歴史とかもありそうな凄い美術館だ。

 梨乃曰く、なんでも彼女の父の知り合いの作家の個展に招かれたらしい。

 こういう付き合いは必要な事なので、そこで婚約者の紹介もかねて、俺が連れて来られたというわけで。


「………」


 静謐で荘厳な雰囲気の包み込む美術館。

 優雅なクラシック音楽がBGMとして流れている。

 上にも横にも広大な空間だからだろうか、人の話し声も反響することなく空気中に散ってしまうようだ。

 何というか、重苦しい空間だ。


「………」


 俺は、隣の梨乃を見る。

 彼女は、目前に展示されている巨大な油絵に視線を向け、黙ってその色彩に思考を巡らせている様子だ。

 今日の梨乃は、シックな黒色のドレスを身に纏っている。

 パーティードレスというやつだろうか。

 上半身は均整の取れた体の線が浮き彫りとなっており、下半身は丈の長いスカートで覆われている。

 肩から袖に掛けてはレース状となっている。

 整った顔立ちや体型もあり、本当に人形のようだ。

 誰もが見惚れてしまうだろう。

 ……今の俺には、そんな余裕もないのだが。

 一方の俺も、梨乃の命によりそれなりに畏まったよそ行きの格好をしてやって来たのだが、やはりそんな彼女と隣り合えばどこかみすぼらしい気分になってしまう。

 きっと、オーラとかでバレバレだろう。

 片や、大企業の令嬢。

 片や、自転車操業の小企業の息子。

 ああ、堅苦しいし、居心地が悪い。

 頭の中で、蜜香の姿を想起する。

 コンビニで買った肉まんとあんまんを両手に持って、美味しそうに食べ比べしている姿。

 パクパクもぐもぐ……、その食い意地の権化のような姿を思い出せば、気分が晴れて、自然と頬が緩む。


「何を笑っているの、修太郎さん」


 隣から、ボソリと梨乃の指摘が入った。


「締まりが無いわよ」

「……ごめん」


 その後、一通り展覧会場を見て回った後、俺達は外へと出る。

 すると、この個展の作品を手掛けた作家や、個展を開いたプロデューサーなど、偉そうな人達が梨乃を待っていたようで、彼女の顔を確認すると急いで挨拶にやって来た。

 流石は東城家の令嬢。

 主役であるはずの主催者側が、逆に恭しく挨拶にくるのか。

 俺もなんとか、梨乃のフィアンセとして振る舞おうと、可能な限りの礼節を尽くして対応を試みる。

 しかし、梨乃達の間で交わされる会話に参加しようにも、内容が異次元過ぎて頭に入ってこない。

 東城グループや、どこどこの会社の重役の方が、なんとかのプロジェクトで世話になったうんぬん。

 なんたらの施設への作品の出品に伴い、どこそこのパーティーで後ろ盾になっていただき大変ありがたかんぬん。

 固有名詞を始め、起こっている事象の具体性が想像できないため、俺はまるで宇宙人の国際交流を前にしているような心許ない感覚に陥る。


「無理しなくてもいいわ、修太郎さん」


 そこで、ボソリ、と、梨乃が呟いた。


「私が話すから」

「………」


 どうやら、俺の心細い感覚が、梨乃には伝わってしまったようだ。

 梨乃は俺の代わりに、偉い方々と滞りなく話を進めていく。

 俺は梨乃の付属品であることに徹し、傍らで彼等のやり取りを見守ることにする。

 情けない、が、梨乃が大変頼もしく思える。

 そうこうしている内に、主催者側との話も終わり、俺達は美術館を後にする形となった。

 梨乃のお陰で、なんとか恥はかかずに済んだようだ。


「ごめん、梨乃さん、助かった」


 美術館の入り口へ向かう途中、俺は梨乃に感謝の意を伝える。


「気にしないで、想定の範囲内よ」


 梨乃は、さも当然というように応える。

 なんだか優しいな、今日の梨乃は。


「ただ、始終雨に濡れた野良犬のように心細そうな顔で突っ立っていたのはいただけないわ。東城の人間のフィアンセとして、せめて堂々と立っていなさい」


 うーん、前言撤回。

 今日も梨乃は厳しい。




 ■□■□■□■□




「迎えの車が工事渋滞にはまってしまったそうよ」


 美術館を出て、駐車場近くのロータリーに向かう最中のことだった。

 スマホで通話をしていた梨乃が、溜息を吐きながらそう零した。


「少し待たなくてはいけないわ」

「そうか……」


 美術館から駐車場まで、そこそこ歩いた。

 ここからまた戻るのも億劫である。


「ちょっと、周辺を歩き回ってみるか? 時間潰しに」


 俺は何気なく、梨乃にそう誘ってみる。


「………」

「ああ、いや、やっぱりやめておくか。梨乃さん、ヒールだもんな。ヒールで外の道を歩き回るのも辛いだろう」


 俺としたことが、配慮に欠けた提案だった。


「……いいわ」


 しかし、梨乃の返答は意外にもイエスだった。


「いいのか?」

「時間を潰すためでしょう。そんなわずかな時間なら、何の負担にもならないわ」


 俺は梨乃と一緒に駐車場の周辺を歩き回ることになった。

 都内の街中にある美術館の周囲だ、すぐに雑踏が現れる。

 そこで、俺達はクレープを販売しているキッチンカーを発見した。


「お、クレープか」


 そういえば、最近食べてないな……と、俺は思った。

 最後に食べたのはいつだろうか――と考えれば、頭の中で、蜜香と買い食いをしたときの記憶が思い出される。

 右手にチョコバナナのクレープ、左手にツナサラダのクレープを持ち、美味しそうに食べ比べしている蜜香。

 こいつ、いつも食べ比べしてんな。

 あの食欲大魔神め。


「………」


 そんなことを考えていると、俺はそこで、梨乃の視線がキッチンカーに向けられていることに気付く。

 ジッと、見詰めている。

 ……もしかして。


「ちょっと興味があるのか? 屋台のクレープに」


 俺は、梨乃に問い掛ける。

 梨乃は、「別に」と答える。


「あなたが見詰めているから、何かと思っただけよ」

「そ、そうか」

「……食べたいの?」


 そこで、梨乃が逆に、俺へとそう問い掛けてきた。


「え? あ、いや、懐かしいなと思って。前に食べたのいつ以来かなって」

「……買ってきてちょうだい」


 そう言うと、梨乃はハンドバッグから財布を取り出そうとする。


「あなたの分と、私の分、二人分で――」

「ああ、いいよ、金は俺が出す。梨乃さんは、ベンチで座って待っててくれ」


 そう言って、俺は急いでキッチンカーへと向かう。

 クレープの代金程度、自分が出さねば。

 今日は色々と世話になったし、梨乃にお金を出させるわけにはいかない。

 俺は、キッチンカーでクレープを二人分注文する。

 イチゴとホイップクリームのものと、チョコミントアイスのものだ。

 両手にそれぞれ持って、俺はベンチに腰掛けている梨乃の元へと帰ってきた。


「お待たせ」


 俺は、チョコミントアイスの巻かれた方を梨乃に渡す。


「……私の好みも聞かず、勝手に選んだのね」


 ギロッと、梨乃の鋭い視線が飛んでくる。

 おっと、やってしまった。


「ごめん……でも、きっと美味いよ、チョコミント。俺、好きだからさ」

「………」

「あ、やっぱいいや、二つとも俺が食うよ。ごめん、ちょっとメニュー借りてくるから、梨乃さんの好きなの選んで――」

「いいわ、ちょうだい」


 梨乃は、俺からチョコミントアイスのクレープを受け取った。

 そして、一口食べる。


「……――」


 瞬間、梨乃は目を見開いて停止した。

 正に衝撃を受けた顔、だ。


「美味いか?」

「……嫌いじゃないわ」


 梨乃はもぐもぐとクレープを咀嚼していく。

 気に入ってくれた、のだろうか。

 ならいいのだが。

 俺も梨乃の隣に腰掛け、イチゴホイップのクレープをぱくつく。

 美味いな、やっぱり。

 蜜香に話したら、あいつきっと「食べたい食べたい食べたい食べたい!」って騒ぐだろうな。

 休日デートの日に、クレープ食べに行くのも良いな。


「……さっきの個展」


 そこで、隣の梨乃が不意に言葉を漏らした。


「正直、私にはいまいち感覚がわからなかった」

「……え?」

「作品を手掛けた作者の方に、何て感想を言えばいいのかわからなくて、必死にそれらしい事を口にしたのだけど……大丈夫だったかしら」


 そう呟く梨乃の瞳には、不安の色が浮かんでいる。

 これは……いや、まさか。

 でも、そうなのか?

 梨乃が、弱音を、不安を口にしているのか?


「……俺は、良く対応出来てたと思うけど」


 そんな梨乃に、俺は正直な気持ちを告げる。


「わけわからない上に、何にも喋れなかった俺からしたら、凄く頼もしかった」

「……そう」


 梨乃は、溜息を吐く。

 いつもの呆れた時にこぼれるものではなく、安堵したかのような溜息。

 瞳の中の不安の色も、薄れて見える。

 その瞬間だった。

 梨乃が顔を上げ、目を見開いて俺を見た。

 まるで、自分が俺に対して弱音を――本音を呟いている事に、今やっと気付いたかのように。


「そ、そもそも、あなたがもっと東城の人間として相応しい教養と社交性を身に付けていれば、私が心を割く必要もなかったのよ」

「えぇ……あ、いや、すいません」

「まったく、これは『矯正』よ。明日までに、反省文。原稿用紙5枚」

「え! 明日!?」


 慌てて誤魔化すように、そう梨乃は言う。

 想定外の『矯正』を出されてしまい、俺は凹む。

 しかし、梨乃の人間味のある姿が見られたようで、少し安心した部分もあった。

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