第3話 結婚ごっことは
本日は梨乃に用事があり、彼女の呪縛から解放される日。
俺は、蜜香の家を訪れていた。
俺達が暮らすマンションの三階。
夏前家の玄関扉の前で、俺はチャイムを鳴らす。
「はいはーい、修太郎?」
「おう、俺だ」
呼び出しに出たのは蜜香だった。
「いらっしゃい、今行くから」
しばらくして玄関ドアが開き、蜜香が出迎えてくれる。
長袖のカットソーに、下はジャージのハーフパンツ。
相変わらずのメンズライクでラフな格好である。
「今日はうち、両親とも帰りが遅いから、晩ご飯作って待ってたよ」
「やりぃ」
蜜香の手料理をご馳走になれるのは、素直に嬉しい。
玄関に上げてもらい、夏前家のリビングへと向かう。
「
「悠もなんか用事があるって出掛けちゃった」
悠君というのは、蜜香の弟の名前だ。
リビングにて、蜜香の用意してくれていた料理を一緒に食べる。
「で……だ」
その後、二人でボウッと過ごしている最中、俺は口を開いた。
「……なぁ、蜜香」
「待って、修太郎が何考えてるか言わなくてもわかるから」
「そうか……」
「一蓮托生だからね、アタシ達」
「以心伝心な」
俺が何を考えているのか、それは簡単だ。
『結婚ごっこ』って、いざ始めてみたはいいものの、とりあえず何をすればいいんだ?
『結婚ごっこ』……つまり、疑似夫婦ごっこ。
婚約者、梨乃との関係に疲れてしまった俺に、蜜香が差し伸べた救いの手。
相思相愛の俺達が、もう結ばれることのできなくなってしまった俺達が、それでもこの窮屈な現実の狭間で見ている、微かな夢の時間。
しかし、いざ『結婚ごっこ』しましょうと言われても、そんなものはそもそもこの世に存在しない遊びだ。
子どものするようなおままごととは、ちょっと勝手が違うし。
色々考えながら、俺は蜜香の方にも視線を向ける。
蜜香も、あっちへこっちへ視線を泳がせまくっている。
……おそらく、俺と同じような思考の沼地に陥ってしまっているのだろう。
そう、俺達は完全に舞い上がってしまっている。
「……あ」
そこで、俺は蜜香の手を見て、気付く。
彼女の左手の薬指に、リングが嵌められている。
あの日、俺が彼女に贈ったリングだ。
「蜜香、それ……」
「え? あ」
蜜香も、俺の視線からリングを嵌めている事に気付かれた、と気付く。
「あ、こ、これね……部活中とかは当然付けられないし、そもそも学校じゃアクセサリー類は禁止だし。まぁ、梨乃さんと修太郎の婚約指輪は特例で許可されてるけど。でも、修太郎と一緒の時は、遠慮無く付けられるからさ」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う。
「アタシ、修太郎の奥さんだからね」
「………」
うっわ。
俺の嫁(ごっこだけど)、かわいすぎない?
いつものボーイッシュで、アクティブで、よく言えば大らか、悪く言えば大雑把な蜜香が、繊細な感情を抱き、その感情を大切にしている――そんな想いが伝わってくる。
「蜜香、超かわいい」
「……んふふふふ!」
俺が呟くと、蜜香は背筋をピンと伸ばして、顔を真っ赤にする。
そして、照れを誤魔化すように、盛大に含み笑いを零す。
「や、やめてよぉ、なんかくすぐったいなぁ」
腰をツイストさせ、椅子の上で体を捩る蜜香。
「……あ、今のやり取り夫婦っぽくなかった!?」
「ああ、しかもかなりラブラブなノロケ夫婦」
そう会話を交わし、俺達は「あはは」と笑い合う。
「ちょっと、真剣に考えてみるか」
俺は、蜜香とのこの関係を続けたい。
手放したくない。
縋っていたい。
だから、蜜香との『結婚ごっこ』を楽しむために、具体的にどんなことをしようか、一緒に考えることにした。
「『結婚ごっこ』っていう字面のインパクトに流されてたけど、そもそも俺達、別に結婚経験があるわけじゃないから、詳細な中身のイメージが湧かないんだろうな」
「確かに。改めて考えてみると、アタシ、人妻になるって全然イメージが湧かない」
「人妻て」
しかし、夫婦になったらやることって、何があるだろう。
「よし、ちょっと互いに意見を出し合おうよ!」
そこで、蜜香と夫婦がすることを上げ合うことに。
メモ帳を取り出し、準備は万端。
「よし、じゃあまず、蜜香から。夫婦でやることと言えば!」
「んー……やっぱり……子作り!」
「いきなりだな、おい!」
「『子作りごっこ』!」
「語感が強すぎる!」
もっとレベル低めのやつからにしよう。
とりあえず、『子作りごっこ』も項目の一つに入れておくが……。
「できれば、すぐこの場でできるやつとかが良いんじゃないか?」
「じゃあ……」
そこで、少し間を挟んだ後、蜜香が呟く。
「部屋のお掃除」
「あー……」
夫婦で協力して部屋の掃除をする。
確かに、夫婦生活っぽいイメージだ。
「じゃあ、『部屋の掃除ごっこ』?」
「試しにやってみようよ」
「……お前、あわよくば自分の部屋の掃除を俺に手伝わせようっていう魂胆か?」
「うん」
「真っ正直!」
■□■□■□■□
何はともあれ。
俺は蜜香と『結婚ごっこ』チャプターナンバー1、『部屋の協力掃除ごっこ』をすることになった。
というわけで、蜜香の部屋を一緒に掃除する。
「見られて恥ずかしいものとか出てきたら隠せよ」
「別にそんないかがわしいものとか持ってないし、修太郎と違って」
「お前、なんで俺がいかがわしいもの持ってる前提でしゃべってんだよ」
「えー、じゃあ修太郎の部屋のパソコンの中にあったエッッッな電子書籍とか動画とかは一体なんだったんだろうなぁ」
「お前! 勝手に人のパソコンの中身を見るな! プライバシーの侵害だぞ!」
「『爆乳幼馴染み、メス穴調教』『スポーツ少女のイケナイ放課後トレーニング』『淫乱スケベ女子高生お尻レ●プ』」
「タイトル名を羅列するなぁ!」
「っていうか内容がどれもこれもさぁ……いや、何も言わないでおこう」
「んふふふふふふふふ」と、蜜香は過去一番機嫌良さそうにニヤニヤしている。
……ああ、その通り。
タイトルでもわかるとおり、俺は蜜香をイメージしてそれらの作品を購入したのである。
俺の性癖はこいつによって、見事にぶっ壊されているのだ。
「あ、見て見て、修太郎!」
そこで、蜜香が何かを発見したのか、盛り上がった様子で俺を呼ぶ。
見ると、クローゼットの奥から引っ張り出した段ボールを広げている。
中を覗き込むと――。
「うお! 懐かしい! 昔ハマったな、このカードゲーム!」
俺達が小学校低学年くらいの時に熱中していたカードゲームが出てきた。
更に学校の教科書などを発見する。
「小学校の頃のやつだね。いやぁ、たまに掃除するのも良いねぇ、こういう掘り出し物が出てきて」
「お、しかもこれ、卒業アルバムじゃん」
小学校時代の卒業アルバムだ。
一年生の頃から六年生の頃まで、懐かしい写真が並んでいる。
「あ、これ昔の修太郎だ! かわいいっ!」
「蜜香はこれか……おお、この頃から結構ボーイッシュだったんだな。昔は結構髪長いイメージだったけど……」
……そこで、俺は不意に黙り込んでしまった。
「どうしたの? 修太郎?」
そんな俺に、蜜香が小首を傾げる。
「いや……俺が蜜香と仲良くなり始めた頃のこと、思い出しちまってさ」
そう、それは小学校低学年の頃。
蜜香とは元々ご近所同士だったが、明確に存在を認識していなかった。
そんな俺が蜜香という存在を意識し、そして仲良くなったのには、ある切っ掛けがあった。
「ほら……“あれ”だよ、あれ」
「ああ、あれね」
そう言われ、蜜香も思い出したようで、軽い調子で相槌を打つ。
「修太郎、まだ覚えてたんだ」
「忘れねぇよ、俺、結構トラウマなんだぜ?」
でも――と、俺は続ける。
「あの時、俺、蜜香に救われたんだな」
「ええ、修太郎、そんな風に思ってたの?」
「いや、前からそう思ってたってわけじゃないんだが……」
ただ最近、同じように蜜香に救われた。
そして、蜜香を大切に思うようになってから――ふと、そんな過去の出来事も、不意にそう考えるようになったのだ。
「あれから、互いの家によく遊びに行くようなったしな」
「そうそう、あ、これ三年の遠足の時の写真じゃない?」
「ああ、懐かしい。アタシ、覚えてる。帰りにアタシが川に落ちて、怪我したんだよ。すっごい泣いてて、帰りはずっと修太郎が背負ってくれてたんだよね」
「え……そうだったっけ?」
「えー、こんな重要なエピソード忘れちゃってんの?」
「あー……お前が泣いてる姿なんて珍しいから、なんとかしてやらなくちゃって、男見せようとしたのかな?」
「カッコよかったんだけどなー」
「まぁ、お前がそう思ってくれてるなら……あ、これ、3on3大会の写真じゃね?」
「あ、あったあった、近隣の小学校同士で開かれた大会だよね」
「こっちは覚えてるぞ、蜜香、男子に混じってむっちゃ活躍してたよな」
「修太郎が、ものすごく応援してくれてた記憶がある。結果、準優勝だったけどね」
「でも得点王だっただろ」
「んー、そうだったっけ?」
「かっこよかったぞ」
「……うん………んふふふ」
くすぐったそうに、蜜香は笑う。
「アタシ達、自分よりもお互いのことに詳しいね」
それはきっと昔から。
ずっとずっと、互いを好きだった証拠だろう。
「………」
ふと気付く。
床の上に開いたアルバムを、互いに覗き込むように見ていた。
距離が近い。
肩と肩が触れ合い、顔を合わせれば鼻先が触れ合いそうな距離。
「………」
「………あ」
視線が合う。
蜜香の、澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。
「……修太郎」
蜜香は、俺の名前を呼び、何も言わない。
目を閉じ、唇を少し前に出す。
俺は、小さく震えている蜜香の唇に、自身の唇を触れさせる。
「……ん」
蜜香が声を漏らす。
普段の声とは違う、トーンの上がった、少し上擦った声。
いつもはボーイッシュで天真爛漫な感じなのに、こういう時はしっかり女になる。
だから、俺も男になる。
自分の中の欲望に忠実になり、蜜香を求め、また蜜香が求める事に応える。
俺達は、互いを慈しみ合うように、静かで優しい、甘いキスを繰り返した。
その時だった。
「ただいま」
玄関の方から、そんな声が聞こえてきた。
誰かが帰ってきたのだ。
「あ、悠だ!」
瞬間、体を跳ね上げさせ、蜜香が叫ぶ。
どうやら、弟の悠君が帰ってきたようだ。
「蜜香姉(ねえ)、帰ったよ」
扉をノックする音。
そして、ドアの向こうから話し掛けてくる声。
俺達は、慌てて離れる。
「お、おかえりー!」
「修太郎兄(にい)も来てます?」
「お、おう! よくわかったな!」
「玄関に靴がありましたから」
扉を開けることなく、悠君は会話を継続している。
「えーと……なんで扉締めっぱなしなの?」
「そりゃ、せっかく二人っきりなんだから、お邪魔するわけにはいかないでしょ。隣の部屋にいるけど、お構いなく」
そう言って、横の部屋のドアが開閉する音が聞こえた。
「………悠君って、俺が婚約してるってこと知ってるんだっけ」
「うん、前に話したことあるし」
それで今の発言ということは、あの弟の中では、姉の幼馴染みは婚約者がいながら姉と隠れていちゃついている男と評価されているようだ。
「低評価もいいところだな」
「いやいや、修太郎さん、その評価妥当ですから」
ぐうの音も出ない。
実際、俺は蜜香と『結婚ごっこ』という字面負け甚だしい不健全な関係を構築しているわけだし。
まぁ、何はともあれ、隣の部屋に悠君がいるのに、これ以上色濃い展開を起こすわけにはいかない。
「掃除、終わらせるか」
「うん」
というわけで、その後も『部屋の掃除ごっこ』を続け、蜜香の部屋を綺麗に整理整頓する。
蜜香は大喜びだった。
そんな風に過ごしている内に、すっかり遅い時間になったので、今日は帰ることに。
「じゃあね、修太郎」
「おう」
玄関前で、俺は蜜香に別れを告げる。
「あ、そうだ」
そこで、蜜香がふと思い付いたように、そう声を漏らした。
「修太郎、今度の土曜空いてる?」
「土曜日? 別に予定はないけど」
「じゃあさ」
胸の前で指を摺り合わせ、ほのかに顔を上気させながら、蜜香は言う。
期待をするように。
「『休日デートごっこ』、しようよ」
「休日デート?」
「ごっこ」
俺は考える。
デート、か。
ぶっちゃけ、蜜香と一緒に休みの日に遊ぶなんていうのは、よくしていたことだ。
しかし、デート……。
デートと呼ぶ過ごし方となると、当然、初めてのことになる。
いつもとは違う、『夫婦』で過ごす休日……。
「『結婚ごっこ』の一環で、さ」
「……なるほど」
合わせた手を、太ももの間に挟んでモジモジとしている蜜香。
その、何とも言えない色っぽい仕草に、俺はドキリとさせられる。
「おねだり……って、こういう感じなのかな」
「え? 修太郎、今、なんかエロいこと言わなかった?」
「いえ、言ってません」
蜜香の動作を見てそう思ったなんて、素直に言うわけにはいかない。
「で、どうする? デート、する?」
「うん、いいぜ」
俺は快諾する。
蜜香は「んふふ、了解」と、嬉しそうに笑う。
というわけで、次の土曜日、俺達は休日デートをする事になった。
あくまでも『夫婦ごっこ』の、『デートごっこ』を。
■□■□■□■□
「……えーと」
しかし。
その予定はその日の夜、俺が家に帰った直後にすぐさま瓦解した。
梨乃から電話が掛かってきたのだ。
次の土曜日、予定を空けておくように、と。
「あー、そのー……その日は先約があるんだが……」
俺は、なんとか最後の抵抗を試みる。
『これは東城の家に関わる件よ。わかっているわよね?』
「……はい」
しかし、まぁ、聞いてくれるはずがなかった。
通話を終えると、俺は蜜香に謝罪と日程変更のメッセージを送る。
というわけで、次の土曜日は『デートごっこ』改め、本当の婚約者とのデートとなったのだった。
……当然デートって表現には、皮肉も混じっておりますが。
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