第1話 夏前蜜香
蜜香は学校の中でも有名人だ。
女子バスケ部に所属しており、バスケの推薦でこの学校に入学したほどバスケに熱心で、しかも爽やかで清潔感あり、女を感じさせる要素が薄い。
なので女子生徒からも人気が高い。
一方で、明け透け無い性格で誰にも隔たり無く接するため、男子生徒達との交流も多い。
男子も、そんな蜜香のことを友達のように思っている者が多数だろう。
……というのは、あくまでも一般論。
本人は自覚がないだろうが、蜜香は非常にモテる。
彼女は胸もお尻も平均のサイズより大きめのため、普段着ている制服やバスケのユニフォームも悲鳴を上げている。
それがまた相反した色気となり、結果として男子人気が高くなってしまっている。
今日も、蜜香がサッカー部のキャプテンから告白を受け、断ったという話が噂で広がっていた。
蜜香と別クラスの俺のところまで聞こえてくるのだから、あいつのスターっぷりが窺える。
告白をスパッと断り、しかも、落ち込む相手を「
それは、告白した相手――サッカー部の園田キャプテンとしては、あまり聞かれたくない話だったのではないだろうか。
しかし、蜜香に告白するとはそういうことだ。
すぐに噂になって、学校中に広がってしまう。
つまり、それだけ多くの生徒にとって、彼女は注目の人物ということである。
夏前蜜香とは、そういう存在だ。
「………」
俺は、そんな蜜香の姿をボウッと眺めていた。
「どこを見ているの、修太郎さん」
図書館にて、梨乃と勉強をしている時だった。
窓の外、友人達と楽しそうに歩いている蜜香が通り掛かったため、その姿を見詰めていた俺を、正面に座る梨乃が睨む。
「あれは、夏前さん」
「あ、いや、その……」
ふぅ、と、梨乃は溜息を吐く。
「婚約者がいながら、他の女性に視線を向けるとは……別に私は気にしないわ。でも、そんな姿を周囲が見ればどう思うかしら? 東城の婚約者は、他の女性にも嫌らしい視線を向けている。それが、私を始め、東城の名を汚すことになる。自分の立場をわきまえない、至って愚鈍な行動よ」
結果、『矯正』を出されてしまった。
「大丈夫、甘くしてあげる。原稿用紙10枚で構わないわ」
過去一できつい量が出されてしまった。
■□■□■□■□
「おーす、修太郎」
その夜、蜜香が俺の家に遊びに来た。
ちなみに時間は、夕方の七時。
女の子が一人で出歩く時間帯としては、ちょっと遅すぎないかと思われるが、そこは問題無い。
俺と蜜香の家は、同じマンションの中にある。
それなりに高級なタワーマンションだ。
俺の家は五階、蜜香の家は三階。
なので、子どもの頃からあまり時間等は気にせずお互いの家を行き来していた。
本日現在、父と母は不在。
妹も、また別の友達の家に遊びに行っている。
同じ建物で暮らす者同士、結構距離感の近い付き合いができるのは、マンション暮らしの利点といえば利点かもしれない。
今の蜜香はラフな格好である。
上はパーカー、下はハーフパンツ。
色気の無い格好のはずなのに、パーカーの上からでもわかる、お椀を二つ並べたような形の良い巨乳や、惜しげも無く晒された引き締まった太もものせいもあって、扇情感が凄い。
家に帰った後シャワーを浴びたのか、洗剤の良い香りがするのも一因かもしれない。
「よう、蜜香。なんつーか……久しぶりだな」
俺が言うと、蜜香も「んふふ……」と照れる。
俺の婚約が決まってから、蜜香は俺と疎遠になっていた。
なので、いつも当たり前のように来ていた俺の家へも寄りつかなくなっていた。
改めてそれが再開されたとなると、なんだか、不思議な幸福感で満たされる。
「ええと、こういう場合、あたしはなんていえばいいのかな? ただいま、かな?」
「ん……まぁ、そうなるのかな」
久しぶりに通い慣れた大日向家へと帰ってきた事と、『夫婦』として夫の待つ家に帰ってきた事のダブルミーニング。
蜜香の発言の意図を理解した俺も、火照った頬を掻きながら答える。
「……ふふっ、はずっ! ほらほら、いつまでも玄関に突っ立ってないで修太郎の部屋行こ!」
「ああ、それなんだが……」
靴を脱いで玄関に蜜香を上げたところで、俺は溜息を漏らす。
「すまん、蜜香、バッドタイミングだ」
蜜香は「ほえ?」と、ハテナマークを頭上に浮かべた。
「梨乃さんから『矯正』が出されちまった」
「出た! 『矯正』! 事情を知らないといかがわしい意味にも捉えかねないやーつ!」
「女の子がそういうこと言うな」
「ケチケチするなよー。で、今回は何? 授業中に居眠りしてたとか? 早弁してたとか? その反省文?」
「いや、んー……」
そこで、少し悩んだ後、俺は素直に言う。
「図書館で梨乃さんと勉強してたときに、たまたま窓の外をお前が通り掛かってさ」
「ほむほむ」
「で、俺、お前に見惚れてたみたいで」
「ほむほむ……ほむ!?」
「で、婚約者がいるのに道行く女性を凝視するとは何事か! って、その反省文」
「そ、そうだったのかー」
そう言われ、蜜香は視線を斜め下にずらす。
胸の前で両手の指先を摺り合わせる、こいつが恥ずかしがっている時のクセだ。
「ま、まぁ、こんな魅力的な幼馴染みが外を歩いてたら、確かに目が行っちゃうよねぇ。そこは怒られても無理からぬところというか。流石に修太郎がかわいそうだなー」
「お前の自己肯定力すげぇな」
「ちなみに、原稿用紙何枚?」
「10枚」
「ぎゃー! 絶対無理! マス目見ただけで気持ち悪くなりそう!」
「お前の勉強嫌いは病気レベルだもんな。まぁ、ともかくそういうことで、そっちを片付けるために苦戦中なんだよ。おかげで家に帰って来てからまだ飯も食ってないしさぁ」
「んー、そうかぁ……しょうがないなぁ」
そこで、蜜香が微笑む。
「久しぶりに修太郎とゲームでもしようと思ってたけど、わかった、任されよう」
「お、というと?」
「晩ご飯、アタシが用意するから、修太郎はぱっぱと『矯正』を終わらせちゃいな」
腕まくりをし、蜜香が意気込んで言う。
これは嬉しい。
何を隠そう、実は蜜香の料理の腕は相当高い。
体育会系で食欲も旺盛な蜜香は、腹が減る度に自分で料理を作るようになったそうだ。
その結果、かなり腕が上達したのだという。
「マジか、これは朗報だな。悪いな、蜜香」
「いいよいいよ、夫婦なら当然でしょ。旦那さんのご飯、用意するの」
そう笑って言う蜜香は、しかし火照った頬を隠せていない。
蜜香との『結婚ごっこ』。
お遊びの夫婦という関係。
結局それは単なる口先だけのゲームのようなものでしかないのだが、ただその事実を口にするだけで、恥ずかしさと嬉しさの入り交じった多幸感に満たされる。
荒んで壊れかけていた心が、回復する。
「んじゃあ、ちょっとキッチン借りるね。メニューは何でも良い?」
「任せる。冷蔵庫に入ってるもの適当に使ってくれ。じゃあ、俺部屋に行くわ」
「ほいほいよー、お仕事頑張ってね~」
台所でエプロンを装着しながら、蜜香が準備に入る。
以前、うちの母親と一緒に料理を作ったりして仲良くしていたこともあり、この家の台所も使い慣れたものなのだろう。
「さて、と」
蜜香が晩飯を用意してくれている間に、自分は煩雑な作業を終わらせてしまおう。
「さっさと梨乃さんからの宿題をやっちまうか」
ぼやけていた頭に、蜜香の晩飯というご褒美が設定されたことでやる気が灯る。
俺は、自室へと向かった。
■□■□■□■□
原稿用紙10枚分の反省文は、思っていたよりもスムーズに片付いた。
『矯正』の作業が終わると、修太郎はキッチンへと向かう。
「ただいまー」
「お、お疲れー。お仕事終了?」
見ると、夕食の準備は終わっていた。
食卓に並べられているのは、麻婆春雨、回鍋肉、冷凍餃子を温めたものと、これは卵スープか。
「めっちゃ中華じゃん」
「うん、なんか今日は中華の気分だったし。修太郎は?」
「俺も中華の口だった」
「んふふふ、一致団結じゃん、アタシ達ー!」
「それを言うなら以心伝心な」
四字熟語の間違いを指摘すると、蜜香は「知ってますし!? わざとですし!?」とバレバレの嘘を吐く。
何はともあれ、俺達はテーブルに着く。
「「いただきます」」
……ん?
「蜜香も食うの?」
「とうぜん」
「晩飯食ってきたんじゃなかったっけ?」
「作ってたらお腹空いてきちゃった」
底無しの食欲モンスターである。
「こりゃあ、食費がかかるな」
「えへへ、食いしん坊な奥さんですいません」
かわいいので、余裕で許せる。
――さて、食後。
「あ! 修太郎そっちそっち! 一人そっちに行った!」
「いや、こっちの相手で手一杯なんだよ! というかお前、速攻死んでんじゃねぇか!?」
「ごめん、一人で頑張って!」
俺の部屋にて、久しぶりに一緒にゲームをして盛り上がる。
「ふわー、なんだか眠くなってきちゃった」
「ああ、そろそろ帰るか?」
「んー……」
そこで、蜜香がジッと俺を見る。
「今日、泊まってもいい?」
「え?」
昔なら、蜜香が俺の家に泊まったり、逆に俺が蜜香の家に泊まったり、そういうのは普通にしていた。
でも、今は、その行為の意味合いが変わってくる気がする。
「ダメ?」
「いや、別にダメじゃないけど……そっちの家とかは大丈夫なのかよ」
「別に、修太郎の家に泊まるなんて昔から何度もあるし、その度に家に連絡なんか入れてないよ。今日だって、修太郎の家に行くって言って出てきたし」
「……そうか。別に良いぜ。というか、夫婦なら当然だもんな」
「やったー! ベッドゲット!」
俺のベッドの上にダイブし、寝転がる蜜香。
「じゃあ、俺は布団持ってくるか」
「なんで?」
他の部屋から来客用の布団を持ってこようと立ち上がる俺の服の裾を、蜜香が摘まんで止める。
「一緒に寝ればいいじゃん」
「いや……一緒って」
「ベッドで」
蜜香は、とろんとした目で俺を見上げてくる。
「夫婦なんだから」
「お、おう……」
「ほら、早く」
「お、おう……」
俺は導かれるまま、ベッドに横になった。
必然、顔と顔の距離が近い。
視線が合う。
死ぬほど恥ずかしい。
「こ、この状況、死ぬほど恥ずかしい」
全く同じ台詞を蜜香が呟いた。
「俺も思ってた」
「んふふ、やっぱりアタシ達一致団結だ」
「いや、以心伝心だから」
その状態で、数秒が経過する。
「……修太郎。夫婦って、一緒のベッドで寝るときどうやって寝るんだろう」
「そりゃ、横並びじゃないか?」
「横並びだと狭いよね」
「普通ならダブルサイズだけど、これシングルだからな」
「もうちょっと引っ付かないと、いけないね」
とは言いつつも、更に数秒経過。
「ねぇ、修太郎」
蜜香が呟く。
「抱き枕に興味ある?」
「はい?」
蜜香は、それだけ言ってジッと俺を見詰めてくる。
ああ、これはつまり、そういうこと……で、いいのかな。
俺は、蜜香に腕を伸ばした。
恥ずかしいので視線は合わせないように、蜜香の顔が俺の胸に埋まるように。
「どうですか、抱き心地は」
「……そりゃ、柔らかくて、良い匂いがする」
そう言うと、蜜香は俺の胸に顔を埋めたまま「んふふふ」と笑う。
押し当てられた胸の弾力。
俺の体に反発し、ふわりと形を変えているのがわかる。
細い腰。
引き締まった筋肉の上の、薄い脂肪。
なにより、熱い。
蜜香の体温は、かなり高い。
しばらく、その状態で抱き締め合う……。
「………暑い!」
遂に耐えきれず、蜜香が跳び上がった。
「暑い! 暑すぎるでしょ!」
「お前の体温が高すぎるんだよ」
気付けば、お互い汗だくである。
「やっぱり夫婦で寝るなら、ほどよく離れられるくらいじゃないとダメだね」
「ダブルベッドが必要だ」
「次までに用意しておいてね」
「無茶言うな。家族にどう説明すりゃいいんだよ」
とにもかくにも、いつも通り蜜香はベッドに、俺は布団を持ってきて床で寝ることに。
そんな感じで、久々のお泊まり会となった。
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