第39話 「依子はん」との別れ

 謎の寺男、百々末凡とどまつぼんが祇園の小芋料理の名店「おりょうり ふくま」を再び訪れたのは、その年の晩秋のことである。


 暫く身を隠しそして長旅に出るということで、料理長は機転を利かせて接待には給仕長の依子を命じた。


 その夜は、昔日に帯問屋であった京町家の突き当たりに位置する大きな蔵を改造した座敷に百々末は招かれた。掘り炬燵になった上に鎮座する長い黒漆塗りの長机は帯屋がかつて客に商品を見せるためのしつらえだったものである。


 テーブルの端の方には小ぶりな李朝の青磁一輪挿しにススキの穂が一本だけ投げ入れらている。


 炬燵の下から床暖房の心地よい暖風が吹き寄せて、百々末はほろ酔い気分でコース終盤の八寸を食べていた。


 それは「小芋と海老の炊いたん」と「丹波焼き松茸の岩塩添え、丹波甘栗をお供に」という季節の二品である。伏見の銘酒、辛口の大吟醸とよく合って、益々酒が進む。


 「そやそや、ここらで接待の依子はんにお灼せなあかんの忘れとったわ、まあ一杯行き」


 「お流れ頂戴致します」


 京でも珍しい黄八丈の留袖をこの席のために敢えて着て来た依子は、猪口を百々末から受け取ると銘酒をいただく。


 「綺麗なススキやこと、秋らしいなあ。その黄八丈と色合わせ、そうと違うか?」


 百々末が酒を飲みながらそう訊くと依子が浅く一礼する。


 「へえ、流石百々末はん、お目が高い、そうどす。

 ススキはお昼から大将にお暇をもろて、ウチが賀茂川の北の方で摘んできましたのや」


「今日は百々末はんがおいでやと伺ってたよってに」


 そう付け加えると依子の頬がポッと赤くなった。


「そうか、わざわざワテのためにてか」


「うん」


依子は俯いて、恥ずかしげに小さく頷く。


「亭主から百々末はんが長旅に出はると聞いたよってに」

「うん、そうやな」


「長うなるのどすか?」

「せやな、なごうなるやろな」

「京にはまた帰ってきてくれはるのどすか?」

「せやな、商売次第ということや」


「商売、といわはると・・・」


 床暖房の温風が微かにススキを揺らしている。それを暫く百々末はじっと見つめていた。


「火星、へ行くのや」


「か、火星てあのお星さんどすか?」

「そや、あの火星や。来年政府が火星へ行く円盤を購入して、火星へ訪問する使節を募ってるのや。ワテはそれに応募して受かったんや」


「何を火星でしはるのどすか?」

「まだ詳しいことは言えへんけどな、火星のヘラス盆地ていうクレーターには温泉が出るのや。この間火星のことを調べてたらそれが分かったんや。


 ワテにはその国の陸軍にいはる将軍さんとコネがあるので、協力してもろて大きな温泉リゾート作ろと思てるのや。


 温泉だけやない、そこで今巷で噂になってる火星カレーや火星バーガーの店を出して一旗上げたろと思てる。題して「トドマツランド」や。夢があるやろ」


 「ウチは、ウチは一緒に行けへんのどすか?」


 「依子はんはこの店を切り回してるさかい、今は無理やろ。しかし火星の商売が順調に回り出したら、ワテが大将に話しして依子はんを呼び寄せてもええと思てます。もうちいーっとこの店で待っててくれへんか?」


「ウチは、ウチは、やっぱり野心のある男はんが好きや。百々末はんと添えますのか?」


「必ずそうする、依子はん、待っててや」


百々末は下を向く依子の両手をしっかり握りしめていた。


つづく


( 著者談 今日はかなり上品な文章書いたなあ・・・笑 )




























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