後編

「姫様」


 いつしかヴィーゼはルクティアをそう呼び、慕うようになった。

 そのことが嬉しくて、ルクティアはついつい彼をもふもふしまくってしまう。そうするといつもヴィーゼは楽しそうに「クククッ」と高い声で鳴いて喜んだ。


 ルクティアとヴィーゼの共同生活は三ヶ月目に突入しようとしている。

 最初の頃は、フェレットの口に合うものを調達したり彼のために生活環境を整えたりと色々大変だったが、それもすぐに落ち着き、彼の打撲傷の大半が治った頃には二人はすっかり仲良くなっていた。

 一人きりだったはずの帝国生活でこうして可愛い同居人を持てたことはとても嬉しい。この世界に転生した意味は彼と出会うためだったとさえ思えるくらい。


 そんな平和な日々の中、ルクティアの胸に一つの不安があった。

 それはフェルネット伯爵家からの抗議。もしも見つかったら彼を守るためにどう動いたらいいのか、とずっと考え続けていた。

 しかしルクティアの懸念は杞憂に終わることになる。なぜなら、フェルネット伯爵家の不正が暴かれ、やけになった伯爵家が反逆を起こしたりなどのいざこざがあった末に、伯爵を筆頭に伯爵家の人々が処刑されたと風の噂で耳にしたからだ。


「これでもう、僕はいじめられないで済むんだ……」


 その話を聞いて心から安心したように笑ったヴィーゼの顔が忘れられない。

 これからもし彼を苦しめる者が出てきたら全力で守ろう。彼をギュッと抱きしめ、そう誓った。


 伯爵家が潰れた以上、たとえ虐げられていた子だとしても身分を明らかにしたらヴィーゼへの風評被害があるかも知れない。

 だから伯爵処刑後も彼の存在を伏せたまま、ルクティアは滞在させていた。だから誰にも知られないだろうと、そう思い込んでいたのだ。


 ――帝都からとある人物がやって来るまでは。




「フェルネット伯爵家の生き残りを養っていたというのは、貴様だな?」


 ルクティアたちの屋敷に強引に押しかけてきた彼は、偉そうにこちらを見下ろしながら言った。

 いいや、偉そうではない。事実偉いのだ。この国では、皇帝の次に。


 長い白髪を後で束ねた細身の美青年。その名をフランソワ・ジェ・マンディンという男は、帝国の皇太子だ。

 そして彼に出会って初めて思い出したのは、前世で読んだ恋愛漫画のヒーローに他ならないということだった。


 『氷の皇子』。

 絶対零度の視線、誰にも心を許さぬその姿から陰に陽にそう呼ばれていた彼は、追放された公爵令嬢であるヒロインルクティアと出会い、強引に帝都に連れて行ってしまう。

 実はヒロインルクティアとフランソワ皇太子は幼少の頃に会ったことがあり、そこでの一目惚れだったという。擦り寄ってくる女どもに飽き飽きし、初恋を拗らせていた皇太子はヒロインルクティアを見つけるなり囲い込んで溺愛をしはじめるのだった。


 ――そこまで思い出して、ルクティアは「あっ」と声を上げた。

 フランソワは、ヒロインルクティアだけには笑顔を見せるが、彼女のためなら陰で何人殺したって構わないような人間として描かれていたのだ。つまり紛れもないヤンデレヒーローだったのである。しかも、ヒロインルクティアを極度に呪縛していた。


 前世、ヤンデレ彼氏に殺されたルクティアにとって、絶対の絶対の絶対に避けたい相手。それが今目の前に立ち、氷を思わせる薄青の瞳で睨みつけてきていた。


「ごきげんよう、皇太子殿下」


 声を震わせないよう必死に務め、できる限りの笑顔でフランソワを見つめ返すルクティア。

 しかし直後、それは失策だったと気づいた。だってフランソワは溺愛ヤンデレヒーロー。ルクティアが笑顔など見せようものなら……。


「フェルネット伯爵家の生き残りを差し出せ。そうすれば貴様が不当に匿ったことを不問とし、俺の城へ招いてやろう」


 こういう風に、すっかりその気になってしまうのだから。


 ルクティアはスパダリヒーローに愛されたいわけではない。ただヴィーゼとの幸せな毎日を守りたいだけである。

 たとえ何があってもヴィーゼを守ると決めたのだ。その誓いを曲げることなんてできないし、絶対にしない。


「皇太子殿下のお言葉には従いかねます」


「なぜだ」


「ヴィーゼくんはもう、私の大切な家族です。差し出すことなんてできません」


「……どうしたんです、姫様」


 部屋の奥で眠っていたヴィーゼがのっそりと起き出し、心配そうに声をかけてくる。

 ああ、今日も可愛い。ルクティアは思わず頬を緩ませ、彼を腕に抱き込んで柔らかな毛を撫でた。


 その一部始終を見ていた皇太子フランソワはしばらく絶句していた。

 が、さすがは『氷の皇子』。すぐに平静さを取り戻すと、吐き捨てるように言った。


「特別に今回は貴様の無礼、不問としてやろう。……だが必ずまた会いに来るからな。ルクティア、せいぜいその時まで待っているがいい」


 そして踵を返し、さっさと出て行ってしまうフランソワ。

 てっきり無理矢理にでも城へ連れて行かれるか国から追い出されるかのどちらかだと思っていたルクティアは、安堵に胸を撫で下ろすと共にあまりにもあっさりとした終わりに首を傾げずにはいられない。


「でもまあいいわ。私にはヴィーゼくんがいるだけで、充分だもの。……好きよ、ヴィーゼくん」


「クククッ。姫様、僕も大好きです」



 うちのフェレット獣人がキュート過ぎる。

 そう思いながら彼のもふもふな毛皮に顔を埋め、キスの雨を降らせるルクティアなのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 その後フランソワはなぜか毎日のように屋敷にやって来て、ヴィーゼをひたすらに愛でるルクティアをなぜかただじっと眺め続けるようになったりしたのだが、ルクティアは無視し続けた。

 まさか彼がもふもふを堪能するルクティアの笑顔に惚れ込んでいるなんて、思いもせずに。


 裏でヴィーゼとフランソワがバチバチ火花を散らし、彼女の夫になるのは自分だと言い合っていることなど、知りもせずに――。

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虐げられフェレット伯爵令息は姫君のお気に入り 〜サクッと婚約破棄を終わらせた転生公爵令嬢、最愛のもふもふフェレットを溺愛します〜 柴野 @yabukawayuzu

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