第2話 理想と現実

 幼い頃の夢は、絵本に出てくるような白馬に乗った王子様が迎えに来てくれて幸せになることだった。

 金色の髪に青い瞳。すらっとした体格に、高身長。

 

 しかしそれが絵本の中の世界でしかないと分かった時、やっぱり普通が一番と思うようになっていた。

 それなのに……。


「なにこれ、つめたい」

「あら、ごめんあそばせ。まさか、そんなとこに人がいるなんて思っていなくて。手桶の水を交換しようとしたとこですわ」

「やだ、ちょうどキレイになって、良かったのではないんですの?」


 殿下の執務室へ向かう途中。

 角から出て来た令嬢が私に水を浴びせた。

 もちろん避けれるわけもなく、ドレスはずぶ濡れだ。


 ぽたぽたでは済まない量の水がドレスから滴り落ち、床に大きな水たまりを作った。

 それにしても、わざとかけておいて一体何なの?


 言い返したい言葉と気持ちを、ぐっと押さえ付けた。

 この手の人たちは言い返したところで、余計に付け上がらせるだけ。

 悪質ないじめには、無視が一番いい。

 それにこれはただの水。

 雑巾をしぼったバケツの水よりは、まだマシだと思おう。


 そこまできて、私はふと考えた。


「あれ? 雑巾の水?」


 どうして私は、そんなこと知っているのだろう。

 こんな風に誰かから嫌がらせをされるのは、初めてだと思うんだけど。

 だいたい、バケツって何だっけ。


 なんなのと思うのに、頭の中には青く円柱のモノがくっきりと思い浮かんでいる。

 そう、こんな誰かが水をかけられるといった光景をどこかで見たことがあるような気がした。


 でも、いつどこでだろう。

 されたことは初めてなのに、何かしらこの感覚は。


 何か大事なコトを忘れてしまっているような……。

 なんだかそれが水をかけられたコトよりも、なんか気持ち悪い。


「ん-」


 片手でこめかみを押さえ下を向く。

 私が頭を抱え込んで困っていると思い込んだのか、歓喜の声が上がる。

 さすがにたち悪すぎじゃないかとも思うのだが、今の私にはそれもどうでも良かった。


「アンジュ!」

「殿下……」


 バカ騒ぎが聞こえたのか、それとも偶然なのか。

 殿下が渡り廊下を抜け駆け寄って来た。

 びしょ濡れの私を見て何が起きたのか分からない殿下が、辺りを見渡す。


 すると先ほどの令嬢たちが、背を向けてそそくさと逃げ出した。

 急いだところで、登城記録を探れば犯人など簡単に割り出せてしまうだろうに。


 全く、自業自得ね。ん-、自業自得?

 そんな言葉、ココにあったかしら。益々、頭の中が混乱していく。


「一体何があったんだ。びしょ濡れではないか」

「殿下、あの……」


 まるで泣いているかのような私を見た殿下は、手に拳を作り怒りに肩を震わせる。


「誰だ! 俺の愛するアンジュにこんなことをする人間は! 護衛騎士は何をしている」

「いえ。執務室まではすぐだからと、私がお断りしたのです」

「そんなことはどうでもいい。このままではアンジュが風邪を引いてしまう」

「大丈夫です殿下。私に触れては殿下まで濡れてしまいます」

「構わん」

「いえ、そういうワケには……」


 殿下が気にしなくても、私が気にする。

 ただでさえ、私達には大きな身分差があるというのに。

 いくら番とはいえ、こんなところを誰かに見られてしまったら、何を言われるか分からない。


 しかし殿下は気にすることなく、私の手を掴み歩き出した。


 それにしても確かに何かを思い出しそうだったのに、あれはなんだったのかしら。

 殿下の顔を見た瞬間に、思い出せそうだった何かが消えちゃった。

 あと少しだったのになぁ。


 モヤモヤとした胸の違和感はいつまでも消えなかった。


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