66 作戦

 ネリクがロザンナの前に膝を突く。


「……ええと、ロザンナ」


 戸惑いがちに、小さなロザンナに話しかけた。


「……お父さん、白くなっちゃってるよ」


 見た目が三歳くらいまで戻ってしまったロザンナの喋り方は、舌っ足らずになっている。


 ネリクが小さく息を呑んだ。ロザンナの記憶がどんどん失われていっているのを、彼女の言葉から察したんだろう。


「……お兄ちゃん、て呼んで」

「お兄ちゃん?」

「そう。俺はロザンナの……お兄ちゃん。お父さんじゃないんだ。で、ルチアは俺の番だからお姉ちゃん」

「お兄ちゃんと、お姉ちゃん……へへ」


 ロザンナは照れたように笑うと、嬉しそうに私の方を見た。


 ロザンナから吹き出す黒い炎の勢いが、少しずつ小さくなってきている。急がないと、このままだとロザンナが消えちゃう……!


 ネリクが手のひらを上に向けて、ロザンナの前に出した。


「今からロザンナの身体に、聖力っていうその黒いのを抑える力を入れる」

「お兄ちゃん、止めてくれるの……?」

「ああ。炎が止まったら、後は俺の……兄さんがきちんとした呪文を掛ければ大丈夫だから」


 私たちに『反転の呪文』は唱えられないけど、エイダンさんならできる。だから魔人の森に着くまでの間、身体の中に聖力を入れて瘴気の暴走を抑える、というのが私が提案した作戦だった。


「ありがと、お兄ちゃん……ううっ」

「……ロザンナ!」


 急がないと、ロザンナが保たない。


 ネリクの腕を掴み、ネリクの目を見つめながらしっかりと頷く。


「ネリクは注入に集中して! 私が貴方を癒やし続けるから!」


 ネリクはほわりと笑うと頷き返してくれた。


「うん。二人でやろう」


 ロザンナに向き直る。


「ロザンナ、苦しいかもしれないけど頑張ってくれ」

「が、頑張る……っ」


 黒い炎を纏ったロザンナの小さな手がネリクの手に重ねられると、ネリクが両手で包んだ。途端、ネリクの手が炎に包まれて表面が赤黒く燃え始める。


「ネリク!」


 少しでもネリクの痛みがなくなるようにと、急いで聖力を傷口に注いだ。私とネリクの身体が、白色に輝き始める。


「ふん……っ!」


 ネリクの手から、ロザンナの手に向かって聖力が流れていくのが感覚で伝わってきた。殆ど浄化されてしまったとはいえ、それでも私では黒の神獣には敵わない。だからネリクにお願いするしかない代わりに、精一杯ネリクの援護をしたかった。


「くう……っ」


 ロザンナが辛そうに顔をくしゃりとしかめる。早く、早く抱き締めてあげたい。


「ロザンナ、頑張って!」

「うん……っ」


 ネリクも辛そうにこめかみから汗を垂らしている。


「頼む……っ!」


 ネリクが苦しそうに呟いた直後、ロザンナの中にあった最後のくさびがパリンと割れるような感覚がやってきた。


「は……っ」


 止めていた息を吐くような音がして、いつの間にかぎゅっと閉じていた瞼を開く。


「ロザンナ……?」


 そこにいたのは、まだ赤ん坊と言ってもいいくらいの幼い女の子だった。


 ネリクが笑顔で振り返る。


「ルチア、ロザンナの炎が消えてる」

「本当だ! よかった……!」

「ほら、怪我もない! ルチアのお陰だよ!」


 ネリクの手を見ると、確かに火傷の跡は残っていなかった。本当によかった……!


 ぽてんと足を投げ出して座っていた彼女が、私たちを不思議そうな顔で見上げている。


「にーちゃ? ねーちゃ!」


 きゃっきゃっと純粋な笑みを浮かべながら手をぺちぺち叩くロザンナを見て――。


「家族……、だから……っ!」


 ぶかぶかの服ごとロザンナを抱き締めると、私は声を上げながら泣いた。



 嵐のような慟哭が過ぎ去った後。


 ふと、とあることに気付いた。


「あれ……? 火事が収まってきてる?」


 高台になっている城から見下ろせる王都は、ついさっきまでは赤い炎と黒煙で先が見えなかった。なのに今は黒い煙は燻っているものの、王都の姿が見える。段々と鎮火してきている? でも一体どうやって?


 ネリクを仰ぎ見る。


「ネリク、炎を消したの?」

「ううん。できなかったし、この子に聖力を注ぐのに集中してたから」


 ネリクも不思議そうな顔をして小首を傾げた。


 と、ネリクがロザンナを抱いた私の肩を抱いてキョロキョロする。


「どうしたの?」

「いや、今そこで燃えていた火が消えたような気がして……」

「え?」


 私たちが立っている瓦礫の先には木が生えていて、そのいくつかはまだ炎が燃え盛っている。すると私たちが見ている目の前で、突然炎が木ごと一瞬で凍りついた!


「えっ!? 魔法!?」


 こんな強力な魔法を使うなんて、まさか魅了が解けた黒の一族がロザンナを取り戻しに!? 


 ロザンナをぎゅっと抱き締めると、警戒していたネリクが「……あー」と間延びした声を漏らす。


 燻る煙の向こうからひょっこりと顔を覗かせたのは、大きな人と小さな人の影。


 大きな方の影が、大声を上げた。


「……ネリクいたあああああああっ!」

「あ、エイダンさんだ」


 煤だらけになっているエイダンさんが、ドスドスと土煙を立てながら泣き顔でこちらに駆け寄ってくるじゃないか。


「やっと会えたっ! 心配したんだよおっ!」

「あー、うん」


 どうしてエイダンさんがここにいるんだって顔を隠しもせず、ネリクがあっさりと返した。


「ルチアちゃーん! よかった、会えたわーっ!」

「ニーニャさんまで! え、どうしてっ!?」


 小さい方の影は、やっぱりと思ったけどニーニャさんだった。ニーニャさんもかなり煤で汚れている。


 でも、二人とも怪我はなさそうで、元気そうに見えた。


「ネリクー!」とエイダンさんが泣きながらネリクに抱きついてネリクが「く、苦し……っ」と肩を叩くのを横目に、ニーニャさんが素通りして私に駆け寄る。


 私の腕の中のロザンナを驚いたように見た。


「やだ! ネリクったら我慢できなかったの!?」

「が、我慢!? いやいやニーニャさん、私産んでないですから!」


 てへ、と舌を出して笑うニーニャさん。掠れた悲鳴声を上げているネリクを振り返ると、ひらひらと手を振る。


「あらネリク! よく見たら白くなってるじゃないの!」

「ぐふっ、ニーニャ……! た、助け」

「本当だネリクううううっ! 覚醒したんだね、僕は嬉しい!」

「ぐえっ」


 ネリクが蛙が潰れたような声を漏らした。大丈夫かな。


「あの、ネリクが苦しそうですけど……」

「きゃーっ! 白いネリク、可愛いっ! ていうかこの子も可愛いんだけど!」

「本当だ! ネリクに似てるよっ!」


 ネリクをがんじがらめに抱き締めたままのエイダンさんが、目を輝かせる。


「う……っぐるじ……」

「あのー……」


 聞いちゃいない。この人たち、興奮するとこれが定番なんだな。


 絞められて顔が真っ赤になっているネリクが、赤い瞳に涙を滲ませて助けを求めるように私を見る。


「ル、ルチ……ッ」

「あ、あのお、二人とも、話を……!」

「かっわいー! ねえねえ、お名前なんていうの!?」

「あ、おじちゃんはエイダン、こっちのおばちゃんはニーニャって」

「誰がおばちゃんよっ!」


 きゃーきゃーわーわーと嬉しそうに大騒ぎする夫婦の前では、私たちは無力だった。

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