65 溜飲

 ロザンナから吹き出した黒い炎が、城だけでなく街にも襲いかかる。


 まるで生き物のようにうごめき飛び火していく炎の勢いは、凄まじかった。建物や樹木に引火すると、あっという間に炎に包まれる。


「ロザンナ! お願い、止めて!」


 炎をまとうロザンナに向かって駆け出した。だけど、すぐさまネリクが羽交い締めして引き戻す。


「近付いちゃ駄目だ!」

「大丈夫! 私は自己治癒できるし!」


 じたばた暴れて抜け出そうとすると、ネリクが泣き声で怒鳴った。


「そういう問題じゃない!」


 ビクッ! としてネリクを振り返ると、顔を真っ赤にして目に大粒の涙を溜めた恋人の姿があった。


 ズキン、と胸が痛む。こんな顔をさせたい訳じゃない。……でも、でも!


「ルチアが心配なんだ! 痛い思いするのが分かってるのに行かせられないんだよ!」

「で、でも、このままじゃ……!」


 ネリクが傷ついた顔になる。ああ、違うの、そうじゃない……っ!


 ネリクが叫ぶ。


「ルチアは俺の喉が焼けるのを嫌がっただろ!? それと一緒なんだ! いくら治ると分かっていても、嫌なものは嫌なんだよ!」


 ネリクの言葉に、ハッとさせられた。ネリクには痛い思いをしてほしくないと思った私と、一緒だったのに。……私は馬鹿だ。


「本当だ……ごめん」

「ん、分かればいい!」


 ネリクが愛おしげに私の頭に頬を擦り付ける。ほう、と身体の力が抜けたのを感じて、私の行動がネリクに恐怖心をいだかせていたと知った。うう、罪悪感。


 でも今は、ロザンナを何とか鎮めないと。無理やり頭を切り替えると、ネリクに訊く。


「ネリク、あの炎を止めたいけど、できる!?」


 だけど、ネリクは首を横に振った。


「今、聖力であの子の周囲を抑え込んでいるけど、炎だけがすり抜けていっちゃうんだ」

「そんな……!」


 聖力で止められないということは、炎は瘴気だけじゃないのかもしれない。私もネリクも魔法は聖力しか使えないから、ただの炎に対しては無力だ。


「だとしたら、早くロザンナを落ち着かせないと!」

「ん!」


 やるしかない。我を失い魔力を放出しまくるロザンナに、声が聞こえるぎりぎりの所まで近付いていった。


「ロザンナ、落ち着いて!」

「みんな嘘吐き! 大嫌いなんだからあっ!」


 周りが見えていないのか、私の声も聞こえてないみたいだ。……あれ? 何か縮んでない? 炎の中にいるロザンナを目を凝らして見ようとした、その時。


「ルチア様! このマルコ、先程目が覚めました!」


 ロザンナの炎の勢いですっ転んでいたマルコが、私の前に立ち塞がった。あ、こいつのこと忘れてた。


「目が覚めた?」

「魅了が解けたってことだろ」


 嫌そうな声で、ネリクが呟く。ええと、「ずっと魅了されてりゃいいのに」と聞こえたのは気のせいかな。


 でもそうか。どうしてマルコがロザンナに突然切りかかったのか不思議だったけど、瘴気が浄化されるにつれ、黒の神獣の時に使った魅了が解けたんだ。ということは、王都中の人たちの魅了も解けたのかもしれない。


 魅了が解けたなら、きっと動ける筈だ。大火事になりつつある街から、何とか自力で逃げ出してほしかった。


 マルコは私たちの前まで来ると、手を伸ばす。


「ルチア様、お待たせして申し訳ございませんでした! この化け物が襲ってこない内に逃げましょう!」

「――は?」

「共に未来を生きると約束したではないですか! 忘れたとは言わせませんよ!」


 この非常事態に何を言ってるんだろう、この人。目の前の状況を見て何も思わないのかな。あまりにも自分勝手な言動に呆れ返り、間抜けな声しか出なかった。


「え、いや、ちょっと待って」


 マルコが私の腕を掴もうとする。ネリクは急いで私ごと後退あとずさると、マルコに向かって歯を剥きながら怒鳴りつけた。


「ルチアに何をするんだ!」


 だけどマルコは、「お前こそ何を言ってるんだ」という表情。……いや、いやいやいや。頭大丈夫か、この人。


「ルチア様は私に、魔人の元まで連れて行ったら私と夫婦になると約束されたのだ!」


 なんか誇張されてるな。


「ルチアは俺の番だ!」

「お前こそ何を言っている! お前は外に出た、つまりルチア様はこの先は私のもの――……ヒッ!」


 マルコが、ギギギ、と音が出そうな固さでゆっくりと顔を私に向けた。その顔は、恐怖で引きつっている。


 私はマルコに向かって、聖女のたおやかな笑みを浮かべてみせていた。マルコの顔面に向けられているのは、光の矢先だ。国境から王都への道中、マルコはこれの威力を嫌というほど目にしてきている。


 その分、効果はてきめんだった。


「マルコ。確か私の記憶では、貴方は瘴気を見て地下牢から逃げようとしましたが」


 ギクッとしたマルコに、更に笑顔で語りかける。弓を更に引きしぼると、マルコの顔面が蒼白になった。


「私をネリクの元へと導いてくれたのは、ロザンナ様です。しかもマルコ、貴方は私の背中に隠れて怯え、挙句の果てにあっさりと魅了されて私を剣で貫きましたね?」


 笑ってしまいそうになるくらいにビクッ! と身震いして動揺を見せるマルコ。


「み、魅了は私の意思ではございません! どうか聖女の御慈悲を!」

「お前……!」


 怒り出しそうになったネリクの口に手を当てて止めた。


「ネリク、私に言わせて」

「……ん」


 ネリクは不満そうだけど、頷く。

 

 こいつだけは、許さない。散々私を振り回して、愛してるだの言いながら脅した最低人間だけは。


 スッと笑顔を引っ込めると、冷たい表情に切り替えた。


「マルコ。貴方は非常に臆病な上、最低の裏切り者です。二度目の裏切りまでは辛うじて許せましたが、三度目はありません」

「で、ですがっ!」


 はあ、と大仰に溜息を吐いてみせる。マルコの瞳に、じわりと涙が浮かんでくる。


「裏切り者に私の傍にいる資格はありませんよ。聖女の隣には相応しくない、そうでしょう?」

「そんな……!」


 ぼたぼたと泣き始めたけど、泣き落としは効かない。ロザンナと違ってちっとも可愛くないし。あ、ネリクは大人の男だけど可愛いから効く。


「私は慈悲深いので鞭打ち百回はやめてあげようと思った以上はやめておきますが」

「む、鞭打ち? 百回……?」

「代わりにその罪深き姿を見せた瞬間、この光の矢が百本、神罰としてマルコの身体に降り注ぐでしょう」

「……え?」


 マルコがガクガクと震え出した。笑っちゃ駄目、ルチア。あとちょっとだけ我慢。


「私が十を数える間に私の視界から消えなさい。さもないと、神罰が」

「ひ……、ワアアアアアッ!!」


 マルコは四つん這いになると、叫びながら爆速で逃げ始める。


「……まだ喋ってる途中だったのに」


 思わずぼやくと、ネリクが尋ねた。


「ルチア、俺に神罰やらせて。あいつには襲われた仕返しがしたいんだ」

「当てないでね?」

「ん。一本。脅すだけ」


 ネリクは両手に光の弓矢を浮き上がらせると、私のよりも随分と太くて長い矢を構え、マルコに向かけて躊躇なく射た。


 ドガンッ! と床の石が破裂する。破片に当たったマルコが「うああっお助けえっ!」と叫びながら、炎の向こうへと消えていくのが見えた。


 私とネリクは顔を見合わせてにやりと笑った後、手を取り合いロザンナに向き直る。


 この際、マルコにはとことん悪役になってもらおう。


「ロザンナ、意地のわるーい悪者は追い払ったから、もう大丈夫! さ、炎を止めて、家族になろう?」

「家族……?」


 すると、ロザンナがやっとこちらを見上げた。涙で濡れた幼い顔は、先程よりも更に幼くなっている。


「うん、だから止めよう?」

「と、止め方分からない……っ」

「えっ!?」


 どうしよう――。


 思わず途方に暮れていると、ネリクが一歩踏み出した。

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