62 覚醒

 ――……る。


 懐かしい、柔らかくて低い声が、耳に届く。


 瞼の向こう側は、真っ白に輝いている。一体どこにいるのか確認したいのに、どこもかしこも力が入らなくて、瞼が開かない。


 ……これってもしかして、私やっぱり死んじゃったのかな。


 ネリクはちゃんと目を覚ますことができたのかな。


 最期に目を合わせたかった。彼の目をしっかりと見て、もう大丈夫だよって言ってあげたかった。


 すると、また声が聞こえる。


 ――……てる。


 なんで悲しそうな声なんだろう。どうしてこんなに胸が締め付けられるのかな。


 ――……してる、ルチア……ッ!


 あ、呼ばれてるのは私だ。これは彼の声だ。そうか、ちゃんと起きられたんだ! よかった……!


 と、唇が柔らかいもので塞がれる感覚があった。そこから流れ込んでくるのは――火傷しそうなほどに熱い、聖力。


 今にも千切れようとしていた身体の中を巡る命の糸が、少しずつ聖力を吸い込んで太さを取り戻していく。


「――ルチアッ! ああ、ルチア、目を開けて!」


 唇を離した彼が、涙声で叫んでいた。


 ……泣かないで。私も悲しくなっちゃうよ。


 身体をぎゅっと支えられながら、再び唇が重ねられる。ぐんぐん聖力が身体の中に入ってくるのが分かった。


 ――そんなに私に注いだら、ネリクが困っちゃうよ。覚醒して、あんな意地悪なお姉ちゃんの瘴気なんて浄化しちゃわないとなんだから。


 また唇が離れると、後頭部を支えられて耳元で呟かれた。


「君なしには生きられない、お願いだ、目を開けて……っ! ルチア、愛してる……!」


 ――ん?


 ちょっと。どういうことよ。


 愛してるの反対は、『愛してない』。……え、嘘でしょ。待って待って、これはさすがに私もひと言いわずにはいられない。


「ひど……っ」


 声が出た。


「ルチア!?」


 涙でぐちゃぐちゃになった声が、私の名前を驚いたように呼ぶ。


「ルチア! よかった……っ!」


 瞼の向こうが眩しくて、薄目を開けてはみたけどよく見えなかった。


 低い声を出す。


「愛してないって、どういうことよネリク……っ」


 思った以上に低い声が出て、ネリクがビクッとしたのが分かった。


「あ、愛してなくない! 愛してるっ!」


 叫ぶように言った直後、顔中にキスが降ってくる。相当泣いているのか、触れたところから顔が濡れていった。


「頑張って会いにきたのに……酷い」

「えっ、ちが、ルチア、見て! 俺を見て! ほらほら!」

「この薄情者ぉ……っ」

「ルチア、信じてってば!」


 わーっ! と混乱した風にネリクが騒ぐ。


 何度か瞬きをしている内に、段々と目が光に慣れてきた。


 私を腕に抱き、赤い目に涙を一杯溜めて至近距離から私を見ているのは、大分痩せちゃったけどネリクに間違いない。間違いない、けど。


「え? ネリク、髪の毛の色が白……んむぅっ」


 ネリクは奪うように私に唇を重ねると、まだ足りないとばかりに何度も顔の角度を変えては荒々しいキスをしてきた。


 わ、あの、苦し、……落ち着いてーっ!


 ネリクの肩を拳で叩くと、ネリクがハッとして顔を離す。私の顔を見つめると、またじわじわと涙が溢れてきていた。なにこの可愛い生き物。


「ルチア! 俺ね、覚醒したんだ!」

「か、髪白いね」


 ゼーハー言いながら応えると、ネリクが嬉しそうに笑って頭の天辺を指差す。


「見て! 角も生えたんだよ!」

「え?」


 本当だ。ネリクの頭の天辺から、小指一本分くらいの小さい角が生えている。癖っ毛のうねりの中にほぼ隠れているけど、ちゃんと角だ。ちょこんとした感じがネリクっぽい。


 私をキュンとした顔で見つめながら、ネリクが言った。


「もう俺に『反転の呪文』はかかってないよ。だからさっき言った愛してるっていうのは本当の意味だから、信じて?」


 小首を傾げるネリクの愛らしさに、鼻血が出そうになる。でも、今出したら多分死ぬ。今度こそ帰ってこられない気がする。耐えるのよ、ルチア!


 ネリクは嬉しそうに続ける。


「ルチアが俺に聖力をたっぷり注いでくれたから、身体の中に入り込んでいた瘴気は浄化できた。今は身体の中から聖力がどんどん湧いてきてる。ルチアの聖力はすごく美味しかったから、栄養満点だったのかもね」

「お、美味しいって」


 ネリクの言葉に、顔が赤くなってくるのが分かった。


 出会った当初はほぼ喋らなかったネリクが『反転の呪文』の話をした後は喋るようになったから、「本当はちゃんと喋る人だったんだな」と思った。だけど、本当のネリクはあんなものじゃなかったみたいだ。だって勢いが凄いもん。


「だって優しくて甘かったよ? ルチア自身と一緒だね」


 キラキラ発光しながら、キザな台詞を事もなげに口にするネリク。


「うっ眩しい……っ」

「あっごめん。眩しいよね? でもルチアの可愛い顔がよく見えるから明るい方がいいな」

「ブフッ」

 

 なにこの破壊力。私の恋人って、こんなにお砂糖みたいに甘い人だったっけ。――あ、甘いや。言葉にしないだけで元から甘々だった。


 すると、ネリクは急に笑顔を引っ込めて私を見ると、苦しそうに言った。


「……ルチアが死んでしまったらどうしようかと思った」

「それは私だって! ネリクにもしものことがあったらって思って、必死だったんだよ!」

「へへ、嬉しい」


 ちゅ、と鼻の頭にキスを落とすネリク。ああああ、あっまい!


 再び顔中にキスが降り始めて、というか人前じゃないよね!? と今更ながらに思って周囲を確認する。私はネリクに横抱きにされていて、白く光る球状の中にいるように見えた。


「ここは……?」

「俺の翼の中だよ」

「へ? 翼?」


 肩越しにネリクの背中を覗き込むと、――確かに白い翼が生えている。大きな翼が光りながら私を包んで守ってくれていたらしい。……え、ええええ!?


 ネリクがにっこりと笑った。


「ルチアが目を覚ますまでは誰にも邪魔されたくなかったからね」

「あ、ありがと……いやちょっと待って、外の様子はどうなってるの?」

「外は姉とか言ってる人が瘴気で攻撃してきてるよ」


 あっさりと答えるネリク。


「ネリク……」

「ん? なあに?」


 本来なら、ネリクは人間とは何も関係ない。ハダニエル王国が滅びようが、痛くも痒くもない。


 だけど。


「ネリク……! お願い、私の家族がこの街にまだ住んでいるの……!」

「……ルチアのお父さんとお母さんだね?」

「ごめん、本当にごめんね、勝手なことを言ってるのは分かってるの……っ」


 ネリクは優しく微笑むと、こくりと頷いた。


「大丈夫、瘴気は絶対に浄化してみせる。だって、ルチアの両親にまだルチアをください、幸せにしますって伝えてないからね」

「ネリク……!」


 だからお願い、と囁くネリクの顔を見上げる。


「……もう離れたくない。俺から絶対離れないで」


 心臓をぎゅっと鷲掴みにされた気持ちになった。ネリクの首に腕を巻き付け、隙間なんてないくらいにきつく抱き締める。

 

「――うん、絶対に離れないよ」


 どちらからともなく、微笑み合った。


 もう絶対に離れない。例え今度こそ死んでしまうかもしれなくても、私は最期の瞬間までネリクと共にいるから。


「――いくよ。しっかり掴まって」

「うん!」


 ネリクはスーッと息を吸って呼吸を止めた後。


「……ウオオオオオオッ!!」


 獣の咆哮のような声を上げつつ、翼を開くと同時に聖力を放出した。

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