60 ネリクの光
森の中で食材を探してたら、突然人間の男が襲ってきた。
剣を持った黒い服の男に、一撃で沈められる。目を覚ますと、暗い小屋の中に閉じ込められていた。
ガタガタと揺れる不安定な床。外から男たちの話し声が聞こえる。会話の内容から、ネリクは荷馬車に乗せられており、人間の王都に連れて行かれる最中だと知った。
手を後ろで拘束される。排泄と食事の時だけ外に出され、無理やり口に食べ物を突っ込まれた。
最初に見た黒い服の男は、何故かいなかった。
「聖女ロザンナ様とこいつと、どんな関係があるんだろうなあ?」
ひとりの男が疑問を口にする。すると別の男が、「よせよせ、余計な詮索は身を滅ぼすぞ。ここのところ上の奴らがおかしくなってんのは分かってんだろ?」と答えた。
報酬だけ受け取ったらさっさとトンズラこいた方がいい、と話し合う男たち。その会話から、彼らがかつてルチアが住んでいた国の偉い人に雇われたのだと察した。
男たちは喋り続ける。だんまりを決め込んでいたからか、ネリクが人間の言葉を理解していないと勝手に勘違いしたらしい。
お陰で、ほしい情報は聞かずとも手に入れることができた。
「にしても、マルコ様を置いてっちまってよかったのか?」
「残党を確認するってのも何か怪しかったよな」
「俺たちをさっさと行かせたい感じだったなあ」
彼らの会話を聞いたネリクは、ハッとした。マルコという名に聞き覚えがあったからだ。
――そう。確か、ルチアを裏切り崖から突き落とした非道な男の名だ。
まさか、ルチアが死んだか確認しにきたのか! まずい、もしルチアが生きていることがバレてしまったら、ルチアの身に危険が及ぶ。
ネリクは焦り、荷台の中で暴れようとした。だけど何日も僅かな食糧しか与えられず、身体は弱り切っていて、ろくに動かない。
悔しさに唇を噛み締めながら、必死で考える。
――ならば覚醒だ。白の神獣として覚醒したら、きっとこんな荷台など簡単に壊してルチアの元へと行ける。
でもどうやって覚醒したらいいのか、ネリクには分からなかった。どうしよう、こうしている間にもルチアが危険に晒されているかもしれないのに。不安ばかりが募る。
ルチアの話を聞いていたネリクは、マルコという男の中に、単なる守護騎士以上の執着を感じ取っていた。ルチアは「自分が可愛いだけの臆病者よ」と言っていたけど、それよりもねっとりとした感情があるように思えた。
ルチアに対する執着度合いは負ける気がしないネリクだからこそ、感じ取れたのかもしれない。
嫌な可能性に気付く。もしやマルコは、ルチアが生きているのを知ったら、今度は偉い人間の命令がないから自分のものにしようと連れ去るのではないか。
こんなことをしている場合じゃない。ルチアはネリクの番になる女性なのに、他の男に奪われてなるものか――!
ネリクは次に外に出される機会を狙うことにした。男たちを突き飛ばし、走って逃げるのだ。
幸い、ルチアの居場所は朧げだけど感じ取ることができる。だからネリクは機会が巡ってくるまで、愛してやまない彼の番との出会いを思い返し、英気を養った。
――最初にルチアを見つけた時。
唐突に激しく惹かれる感覚に襲われ、呼ばれるがままに森の中を進んだ。
崖下の岩場に倒れている彼女を見つけた瞬間、ネリクは運命を感じた。柔らかくも暖かい気配を纏う血まみれの可愛らしい女性は、自分の番になる人に間違いないと。
これまで誰ひとりとして欲しいと思わなかったネリクの、初恋だった。
苦しそうな様子の彼女を見て、ネリクは必ず助けると誓う。この人を失ったら、きっと自分は一生後悔しながら生きていくことになるという確信があった。
まるで失われていた欠片を見つけたかのような気分になったネリクは、彼女が起きるのを心待ちにした。
翌朝目覚めた彼女は慈悲深くて朗らかで、そしてとても明るい人だった。ネリクを見つめる照れた顔が可愛らしくて、もっと好きになった。
彼女のことを知りたい。彼女にも自分を好きになってもらいたい。
だからネリクは慎重に少しずつ彼女との距離を縮めていった。万が一にも怖がらせないように。
他の男の目に触れさせるのは嫌だったから、必要に駆られるまでは他の魔人が近隣に住んでいることも黙っていた。幸い、彼女はネリクが殆ど喋られないと勘違いしてくれていたから、できる限り引き伸ばすことができた。
本当はもっと沢山喋りたい。喋ってネリクのことを知ってもらえれば、きっと好きになってもらえると思った。
だけど、自分に掛かっている呪いのような魔法の効果のせいで彼女が傷つくのが怖くて、できなかった。
エイダンのところに連れていくのは、ネリクにとっては大きな決断だった。ネリクの本当のことを知ったら、どう思うだろう。優しい人だから嫌いになることはないかもしれないけど、彼女は沢山裏切られて傷付いているから。
だけど、彼女はネリクの全てを受け入れてくれた。だからネリクは彼女に心からの愛を告げ、結婚を申し込んだ。彼女が照れながら了承してくれた時は、生きていてよかったと思った。
これまで散々嫌な目に遭ったのは、この幸運に巡り合う為だったのだと。
魔人の成人年齢に達していないことが分かって正直がっかりしたけど、それも次の雪が降るまでの話だ。
黒の神獣が襲いにくると聞き、ルチアを守る為なら喉が焼けることくらい我慢して頑張ろうと思った。
ルチアはネリクの光だった。出会った時から今この瞬間も、ネリクの心を明るく照らし続けてくれている。
だからあの光に向かえば、きっと再会できる――。
ネリクが決意を新たにした瞬間。
荷馬車がガタンと揺れて停止し、閉じられていた扉が開かれた。
一瞬で飛び出そうと構えた瞬間、あり得ない量の瘴気が荷台の中に押し入ってくる。
「――ッ!!」
口から鼻から、身体の中に侵入しようと試みる瘴気。必死に暴れて抵抗する中、女の声が聞こえてきた。
「貴方に会えるのを楽しみにしていたのよ、私の可愛い弟ネリク」
「な――っ」
目を剥いて女の顔を見た瞬間、女の赤い目が激しく光り。
「ねえ、お姉ちゃんと一緒に暮らしましょ? 運命なんて跳ね除けて、仲良く二人で生きましょ?」
――いやだ……!
昏くて重い考えが、どんどん押し寄せてきた。奪え、お前を虐げた者たちに報復していいのだと、自分の声がネリクを誘惑する。
――いやだ、そんなことはしない……! そんなことをしても、ルチアは笑顔になってくれない。ルチア、ルチア……!
「……ちっ。覚醒前だから簡単だと思ったのに」
なにが、と聞き返す余裕はなかった。
「貴方たち、魔人を地下牢まで運んで下さる? この子にはゆっくり時間をかけて馴染ませてあげることにするわ」
「はい、仰せのままに……」
何故か虚な目になった男たちが、だらしなく口元を緩めて女を見ている。
頭の中で暴れ回るもうひとりの自分の声を否定するだけの、苦痛な時間の始まりだった。
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