59 雑草根性

 マルコの剣が、私の胸に沈んでいる。


 一瞬の出来事に、突き刺されている事実を認識するのに数秒かかった。


「これでルチア様は私のもの……私だけのもの……」


 熱に浮かされたようなマルコの呟きが聞こえた直後、マルコが一気に剣を引き抜く!


「……ぁあああっ!」


 思考を奪う激痛が襲った。入った時と同じく一瞬で身体の中から出て行った剣身の動きと共に、赤い線が弧を描く。


 直後、喉に迫り上がってきた血でむせ、激しく咳き込んだ。


「ガハッ!」


 苦しい、痛い、怖い、助けて、誰か助けて――!


「あ、あ……っ!」

「あらマルコ、すぐに死んじゃいそうじゃないの」


 いけない子ね、とマルコに笑いかけているロザンナ様の声が、苦痛と恐怖で思考が覚束ない私の耳に響く。


 痛い、いやだ、今すぐ治癒したい――。


 咳き込む度、口と胸から血が吹き出した。この出血量は、まずい。


 早くしないと、意識が飛んだら死んでしまう。だからお願い、早く行って、早く――!


 最早起き上がっていることもできず、膝の上でぼんやりとした表情で赤い瞳から光を放ち続けているネリクの上に倒れ込んだ。


「ルチアさん、頑張って苦しみながらネリクを呼んでね。大事なお仕事よ」


 馬鹿なこと言うなと言い返したかったけど、無理だった。


「あ……っ、うああ……っ」


 ひたすら悶え苦しむ私を見て、まだ死にそうにないと判断したらしい。


「こうしていても暇ねえ。じゃあ、私たちは上でお茶でも飲んで待っていましょうか」


 明るい声が聞こえた。――狂ってる。


「はい、ロザンナ様」


 マルコの声に、一切抑揚はなかった。完全に魅了に呑まれたんだ、と頭の片隅で思った。


 ガクガク震える身体。ぐらぐらする視界。目を閉じて叫びながら転げ回りたい衝動を必死で抑え込みながら、アルベルト様とマルコを背後に従え地下牢を去っていくロザンナ様の後ろ姿を、霞む目で確認する。


 燭台の明かりと足音が完全に去った瞬間、白濁しそうになる意識を必死で繋ぎ止め、聖力を胸に集中させた。


「く……っ、あああ……っ!」


 じんわりとした暖かさが、私から痛みを取り除いていく。傷口が急速に塞がっていくのが分かった。


 でも、あまり大量に消費しちゃダメだ。だから完治ではなく、軽く傷を塞ぐ程度に留める。


「あ、はあ、ああ……っ。あー……死ぬかと思った……っ」


 痛みの軽減と共に、少しずつ息も整っていった。


「――疲れた……」


 ――助かった。本当に幸運だった。滅茶苦茶ギリギリだったから。


 マルコは私が治癒の力を使えることを、実際に目にして知っている。


 だけどロザンナ様はネリクが自己治癒することは知っていても、


 マルコがバラしてしまったらどうしようとハラハラしていたけど、ロザンナ様が完膚なきまでに魅了したせいで、マルコは私が自己治癒してロザンナ様を欺く可能性があることを伝えることができなくなった。


 あれだけ恐れていた瘴気に魅了されてしまったマルコは憐れだけど、自業自得だとも思える。


 あの人は私を裏切りすぎた。脅しすぎた。守ってあげたいという気持ちが失せるほどに、彼は私の信頼を失わせた。


 所詮彼にとって庶民の元聖女は、従わせるべき存在でしかなかったんだろう。選民主義に生きてきたマルコの限界を見た気がした。


「雑草を舐めんじゃないわよ……っ」


 マルコがしがみついた貴族籍なんてクソ喰らえ! と聖女らしからぬ言葉を心の中で叫ぶ。あんなもの、何の役にも立ちはしなかった。


 偽聖女と糾弾されて国外追放されても、崖から突き落とされても、魔物の群れに襲われて死にかけても、私の雑草根性は萎れることはなかった。


 雑草はしぶといんだ。何度裏切られようが殺されそうになろうが、大事な人を守る為だったら私はめげない――!


 出血したせいで、身体も頭も上から重石を載せられたかのように重い。だけど、時間はあまりない。ロザンナ様たちが戻ってくる前にネリクを起こさなければ、遅かれ早かれ私は殺される。


 もう次はない。聖力の使いどころを見誤る訳にはいかなかった。


「ネリク……」


 ぼんやりとしたままのネリクの顔を私に向ける。こけてしまった頬を手のひらで撫でると、幸せだった日々を思い出した。


「……ようやく会えたね、ネリク」


 ネリクの唇を、指でなぞる。緩く開いた口は、苦しそうな短い息をしていた。


「遅くなってごめん。……どうしても困っている人たちを見捨てることができなかった」


 ネリクなら、きっと「ん」と言って笑ってくれるんだろうな。だからお願い、早くいつもの笑顔を私に見せて。「ルチア大嫌い」って言って、私を大切そうに抱き締めて。


 息を整え、最後にもう一度、大好きだったネリクの顔を見つめた。


 ……できることなら、もう一度ネリクの目に見つめられたいな。


 でも、叶わないかもしれない。


 それでも私は、ネリクを救いたいから。


 息を吸い込むと、ネリクの唇に自分の血が付着した唇を重ねる。


 身体の中に残っている全ての聖力を、ネリクの中に注ぎ始めた。

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