58 ロザンナの目的
「――覚醒と同時に、全部思い出したわ。お父さんと私が記憶を奪われていたこともね」
ふふ、とロザンナ様が小さく笑った。そのままスッと立ち上がる。
「唯一の味方でいてくれた叔父さん一家だけは逃した後、手始めに全員瘴気に襲わせてみたの。そうしたら、素直な
「それが……魅了ですか」
「ええ」
ロザンナ様がにっこりと邪気のない笑みを浮かべた。
「私からお父さんと待ってくれていた家族を奪ったあの人たちには、ぴったりの罰じゃない?」
ロザンナ様はくるりと背中を向けると、コツ、コツ、とアルベルト様に拘束されたままのマルコの前へ進む。
「ある時ね、人間の国の中心に祈祷台というものがあると聞いたの。国土の地図が実際のものと連動していて、瘴気の濃さが一目瞭然なのだと」
この話のどこに祈祷台に繋がる要素があったのか。さっぱり分からなくて、声を発せないままロザンナ様の姿を目だけで追った。
「だから思いついたのよ――国土を瘴気で真っ黒にしたら、祈祷台の地図を見てネリクの居場所が分かるんじゃないかって。だってあの子は白の神獣だしね」
「――ッ!」
そうか……だから瘴気は次から次へと湧いてきて止まらなかったんだ。ネリクを見つける目的があったから。
ロザンナ様が、マルコの右腕に手を添える。マルコが助けを求めるような怯えた目を私に向けた。
「国土に瘴気をばら撒いて、貴女の力を使い果たさせてやろうと思った。なのに傀儡を使って何度確認しても、貴女が頑張るからちっとも計画が進まないじゃないの」
拗ねたように言われても。
「だから私は聖女になって、直接祈祷台から瘴気を注ぐことにしたの」
「まさか……っ! 私が倒れている間に祈祷台から瘴気を注いでいたのですかっ!」
くすりと妖艶に笑うロザンナ様。
「ええ、そうよ。あれはいいわね。とても効率よく国土を瘴気に染めることができたわ」
道理で瘴気が全然弱まらない筈だ。私が浄化したすぐ後に、同じ場所から瘴気をばら撒いていたんだから。私の努力って……。
「――なのに、一年経っても貴女は諦めない。私はね、最初はここまで人間に深入りするつもりはなかったのよ? 黒の一族の悲願なんて私にはどうでもよかったし」
マルコの剣を、ロザンナ様がするりと抜く。引きつった顔のマルコの右手に、剣の柄を握らせた。――え、何をしようとしているの?
「全然埒が明かないから、城の人たちの魅了を強めたの。後は簡単だった。貴女を追い出して、ネリクを見つけて。――これでようやく幸せに暮らせると思ったのに」
ロザンナ様が、マルコの右肩にこてんと頭を乗せる。マルコは今にも泣きそうな顔になっていた。また私に愛を疑われる! とか思ってるのかな。
「――なのに、またルチア! ルチアルチアって、ネリクは貴女のことだけ!」
ロザンナ様が、突然頭を振り乱しつつ叫んだ。マルコが心底怯えた顔になっているのが、若干だけど憐れみを誘う。あの様子だと、多分訳が分かってないんだろうな。黒の神獣がなにかを理解していないと、ロザンナ様の話はチンプンカンプンだろうし。
ロザンナ様が、金切り声で怒鳴り続ける。
「こんなに会いたかったのに! ネリク以外私の味方はいないのに、貴女はどこまでも私の邪魔をする!」
はあ、はあ、と肩で息をしていたロザンナ様が次に顔を上げた時、彼女のありきたりな色をしていた瞳が、赤く光っていた。
「憎い……! 聖女ルチア、誰からも求められる貴女が憎い!」
突如、赤黒い光がロザンナ様の身体から放たれる!
「うっ!」
瘴気の衝撃波が、ビリビリと肌に当たった。物凄い量……!
咄嗟にネリクの頭を抱き締める。自分ごと浄化を掛けるけど、浄化した先から瘴気が襲ってくる。むせ返るような量の前に、息苦しさを覚え始めた。
ロザンナ様の艶めいていた白い髪が、根元からじわじわと黒に染め変えられていく。
と、唐突にフッと瘴気の嵐が止んだ。
「え……」
そこに立っていたのは、黒髪に赤目の、ネリクと同じ獣の耳を持った、頭の天辺に一本の角が生えた魔人だった。
「だからね、私考えたの」
「な、なにを」
「私と同じことをしたら、ネリクも覚醒するかなって」
「同じこと……?」
「ええ」
ロザンナ様の顔に浮かぶのは、無邪気な笑みだ。――怖い。
「大好きな人が目の前で死んだら、きっとネリクもこっち側にきてくれるわ。ああでも、一瞬だと今は現実との境目が分からなくなっているだろうから、徐々に死んでもらう方がいいかしら」
「は……?」
言っている意味が一瞬分からなかったけど、段々と理解してくる。つまり、ロザンナ様は私をネリクの目の前で殺そうとしているってこと?
今や聖女らしさなんてどこにもなくなった禍々しい気配を撒き散らしながらも、ロザンナ様の可愛らしい顔は相変わらずあどけなさを含んでいる。
この人は、心が成長できなかったんだ――。
彼女の楽しそうな笑顔を見て、ようやく腑に落ちた。
お父さんを殺された時から、彼女の中の時は止まってしまったんだろう。なんて……なんて悲しいの。
「ロザンナ様」
「なあに? 命乞いでもしたいの?」
べったりとマルコに身体を寄せているロザンナ様が、面倒そうに答える。先程から静かだったマルコの顔からは、いつの間にか恐怖の色が消えていた。じっと私を見ながら微笑んでいる。
……お守り程度の浄化じゃ間に合わない量の瘴気を浴びたからだ。
「魅了を使ってネリクを手に入れても、ネリクの心までは手に入らないですよ」
「な……っ! うるさい、うるさいうるさいうるさいっ!」
それまでの聖女然とした表情をかなぐり捨て、牙を剥いて叫ぶ。マルコの腕を引っ張ると、私を指差した。
「さあ、騎士マルコ! 偽聖女ルチアを殺すのよ! ただし、すぐに死なないように手加減しなさい!」
すると、マルコが顔を歪める。
「う……や……っ、私は……ルチア様を手に入れ……っ」
魅了に呑まれかけているマルコは、それでも首を横に振って抵抗を見せた。彼の想い方は間違ったものだったけど、私を愛している気持ちだけは本物だったのかもしれない。
たとえそれがどんなに歪んだものだったとしても。
ロザンナ様が、赤目を更に光らせてマルコの耳元で誘惑する。
「マルコ、可哀想に。あの子は貴方のことなんかこれっぽっちも好きじゃないわよ」
「え……?」
苦痛に歪んだ目が、私を捉えた。
「でも貴方があの子を殺したら、あの子は永遠に貴方のものよ。どう? 素敵じゃない?」
「ルチア様が……私のものに……」
「さあ、手に入れるのよ。愛しの聖女を」
「うあ……」
ふらりとマルコが一歩踏み出す。旅の途中何度も見せた狂信者の眼差しを、真っ直ぐ私に向けた。
「マルコ……」
――即死にはきっとならない。だったらまだ起死回生の機会はある筈……!
あとはもう、自分の幸運を祈るしかなかった。ネリクが一緒に怪我をしないように、ネリクの頭を膝の上にそっと置く。大好きなふわふわの耳を撫でていると、恐怖と絶望で叫び出したい気持ちを辛うじて抑えることができた。
大丈夫、貴方のことはきっと私が守るから。愛してる、愛してるネリク――。
マルコが私の胸のすぐ下に剣先を付けた。
息を止め、恐怖の瞬間が訪れるのを待つ。
「ルチア様、愛してます……っ」
「――ぐあぁ……っ!」
へらりと笑いながら涙をひと筋流したマルコの剣が、私の胸にぐさりと突き刺さった。
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