57 黒の一族

 ロザンナ様とネリクのお父さんは、黒の一族と呼ばれる黒の神獣を崇拝する一族の出身だった。


 神獣の血が色濃く残る、神子の家系。神子の番は、魔力が強い者が一族の中から選ばれる。決定権は長にあり、誰にも拒否権はなかった。


 黒の神獣は赤目を持って産まれる。百年以上もの時を、黒の一族は赤目の子供が産まれてくるのを待ち望んでいた。


 そしてとうとう、悲願の黒の神獣が誕生した。それがロザンナ様だ。


 黒の神獣は、瘴気を生み出し魔物を使役することができる。ロザンナ様を手懐ければ、長い歴史の中で気付けば人間に居場所を奪われてしまった彼らが、かつての栄光を取り戻すことができる。


 黒の神獣はその強大な力から制御が難しいと考えられたけど、幼い頃から飼い慣らせば可能な筈。黒の神獣を滅ぼす白の神獣は、同じ片親、つまりお父さんがそれ以上子供を作らなれければ産まれることはない。


 お父さんは有無を言わさず軟禁された。閉じ込められた家に訪れることができるのは、男性のみ。例外は、娘のロザンナ様だけだった。


 軟禁先で、お父さんはロザンナ様を可愛がった。一族の意向に沿う必要なんてない、お前の好きな人生を歩めばいいと繰り返し言い聞かせた。黒の一族の考えには、彼は最初から反対だったのだ。


 ロザンナ様も、自分を世界征服の道具としか見ていない一族の魔人たちよりも、優しい父親の方が好きだった。ロザンナ様の母親は、ロザンナ様を黒の神獣として崇め奉り大切に扱ってはくれるものの、「恐れ多い」と言って娘としては愛してはくれなかった。


 ロザンナ様が五歳になったある日。黒の神獣を早く覚醒させたいと目論む一派が、ロザンナ様に瘴気を注ぎ込むことを提案した。幼い内に覚醒させた方が自我を持たせないで制御できるのではという話を聞いたお父さんは、ロザンナ様が遊びにきた時を狙って二人で逃げ出そうとした。


 そして捕まった。


 引き離された二人は、各々忘却の魔法を掛けられた。全てを忘れてしまったお父さんは、何故幽閉されているのか理解できず、いつも食事を届けてくれていた馴染みの男に「一度でいいから外の世界を見てみたい」と願った。


 馴染みの男――お父さんと仲のよかった弟は、兄の処遇を憐れんだ。兄が黒の神獣の子を作り出してくれたから、彼は好きだった相手と結婚することができた。何故兄ばかりがこんな目に遭わなければならないのか――。


 兄、そして記憶を奪われ毎日瘴気を吸い込むことを課されて苦しむ姪を見ていることしかできなかった弟は、黒の一族への不信感を募らせていた。


 だから「二度と戻ってこないと約束してほしい。ここに貴方がいると誤魔化し続けるから」と告げると、闇夜に紛れて兄を逃した。


 外の世界に出たお父さんは、とある魔人の集落に辿り着いた。そこでひとりの美しい女性と出会い、彼女を虐げていた夫から彼女を救い出し、家庭を作った。


 彼は幸せだった。彼女との間に、白い髪の子供、ネリクが産まれるまでは。


 村長が慄きながら口にする『白の神獣』という言葉が、なくした筈の記憶を刺激する。流れるように村から追い出され、それでも家族を守ろうとしていたお父さんだったけど、とうとうある日思い出してしまったのだ。


 自分には守るべき娘がいたと。彼女は味方もなく、覚醒して黒の神獣になることをひとり怯えていると。


 恐らくは、ネリクから滲み出す聖力が、お父さんにかかっていた忘却の魔法を解いたんだろう。


 全てを思い出したお父さんは、ネリクのお母さんに包み隠さず事情を話した。愛する妻は貴女だけ、だけど守ってやらないといけない娘がひとり残されたままだと。


 お母さんは、お父さんを励ました。ネリクには自分がついている。お父さんは娘を連れて逃げてきてほしいと伝えた。戻ってきたら、今度は四人家族として幸せに暮らそうと。神獣の言い伝えなんて関係ない、愛情をたっぷり注いでいこうと。


 お父さんはお母さんとネリクと別れると、黒の一族の集落に戻った。


 自分を逃してくれた弟の元を密かに訪れ、三年もの間不在をバラさないでいてくれた弟に感謝をしつつ、全てを話した。


 弟は全面的に協力することを約束してくれた。それほどに、お父さんがいない三年の間のロザンナ様の変わりようは見ていられないものだった。


 お父さんは記憶喪失のフリをして、「黒の神獣様にお仕えしたい」と長に懇願した。弟に黒の神獣の偉大さを語られ、ようやくその素晴らしさに気付いたのだと。


 長は、お父さんの信心には嘘偽りないと思い、年々扱いが難しくなってきていたロザンナ様の世話役に彼を任命した。


 ロザンナ様は、感情の薄い笑わない子に育っていた。吸い込み続けた瘴気のせいか、気分を害すと周囲に瘴気を撒き散らし、時には誰かを傷つける。それを悪いとも思わないようになっていた。


 お父さんは、みんなの前ではロザンナ様を崇め、二人の時はロザンナ様に優しく語り続けた。


 最初は全く反応を示さなかったロザンナ様は、少しずつお父さんの声を聞くようになっていく。


 ネリクという弟がいると話して聞かせるとロザンナ様の反応がよくなることに気付いたお父さんは、積極的にネリクとネリクのお母さんの話をすることにした。ロザンナ様がカッとなって瘴気で襲わないよう制御できるようになったら、黒の一族から逃げて家族で幸せに暮らそうと。二人ともロザンナ様に会えるのを楽しみに待っていると。


 少しずつロザンナ様の心に温かみが戻ってきて、ニ年年が経つ頃。ロザンナ様は記憶を取り戻さないまでも、幼い頃にお父さんから与えられ続けた愛情の温かさをようやく思い出した。もしかしたら、新たに教わったのかもしれない。


 だけど、別れは唐突に訪れる。


 黒の一族に伝わる瘴気を生み出し続ける狭い祠に、ロザンナ様は定期的にみそぎとして籠もらされていた。瘴気を身体に取り込み、徐々になじませる為だ。


 瘴気を浴びると、自分の奥底にある破壊欲や残虐性が表に出てきて、暴れまくる。その日、ようやく衝動を抑えたことができたロザンナ様は、迎えにきてくれたお父さんに抱きついて甘えた。


「これで会いに行ける!?」

「ああ、よく頑張ったロザンナ!」


 二人は喜び合い、次の禊の前に逃げ出そうと幸せ一杯に未来を語った。


 その場面を、長に見られてしまっていた。


 二人はすぐさま引き離され、お父さんは裏切り者として毒を飲まされ、帰らぬ人になる。


 お父さんの亡骸を見せられたロザンナ様は――。


 覚醒した。

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