56 ロザンナの正体
ネリクの視線が彷徨う。意識が混濁しているのか、動きが緩慢だ。
「ネリク! しっかりして!」
ぐったりとしているネリクの脇に腕を入れて、渾身の力で起き上がらせる。
「う……」
健康的に筋肉が付いていた筈の身体が、すっかり痩せてしまっていた。背中に触れた瞬間、浮き出た骨の固さにとうとう嗚咽が漏れる。
「こんな……酷い……っ」
膝の上に背中を乗せて、頭を抱きかかえた。ネリクの首に嵌められた首輪に繋がった鎖が、ジャラ、と重々しい金属音を立てる。
ぼんやりと宙を見つめているネリクの赤い瞳は、これまで見たこともないくらいに明るく発光していた。まるで命の炎が最期に華々しく燃えているように思えてしまう。いやだ、そんなこと考えたくもないのに……!
「ネリク、私だよ、ルチアだよ……!」
泣き縋っても、ネリクの反応は薄いままだ。
すると、やや離れた場所に立って見下ろしているロザンナ様が残念そうな声を出した。
「あら。折角愛しのルチアさんが来てくれたのに、無反応なの? てっきり目を覚ましてくれると思ったのに」
「……どういうことですか!」
怒り任せにを振り返る。ロザンナ様は憎たらしいくらい可愛らしく小首を傾げながら、何でもないことのように言った。
「覚醒前ならこちら側に引き込めると思ったの。だからこの子に濃いめの瘴気を注ぎ込んでみたのよ」
「こちら側……?」
何を言ってるんだろう。瘴気を注ぎ込んだ? ネリクは覚醒前とはいえ、無意識で浄化できるほどの聖力の持ち主だ。そんなのが効くとは思えない。
「大分いいところまではきてるのに、あとちょっとのところで跳ね返されるのよ。『ルチア』って言いながら」
「ネリク……!」
ぎゅ、と頭を抱き締めても、ネリクは苦しそうに呻くだけだった。
ネリクの中で、私はそんなに大きな存在になってたんだ。嬉しいのと同時に、早く助けにきてあげられなかったことを激しく後悔する。
もっと急いだらよかったんだ。魔物に困っている死にかけの民を無視して……そんなこと、私にできたのかな――。
選び切れない欲張りな自分の心が、心底憎い。
「早く瘴気を受け入れて馴染めば楽になれるのに、強情なんだから」
「なんてことを……!」
ネリクがぼんやりとしているのは、ネリクの中でネリクと瘴気が戦っているからなんだ。今この瞬間も。
ロザンナ様がほわりと笑う。
「この子は私と同じ。運命に翻弄されて、生まれた時から未来を勝手に決められて。可哀想に」
「ロザンナ様……?」
ロザンナ様が、私の横に静かに膝を突いた。滑らかな仕草で、ネリクの頭を撫でる。……え? どうして? 捕まえて拷問してたんじゃないの?
「ずっと会ってみたかった。道具としてしか認識されない私を、この子ならお父さんと同じように私として見てくれると思っていたわ」
『お父さん』。……まさか、ロザンナ様は……。
「この子、すごく強情なのよ。ちっとも私に従順になってくれないの。運命になんて逆らって、私たちを型に嵌めようとした世界を屈服させましょうって説得したのに、『ルチア』としか言わないんだもの」
ロザンナ様の手が、ゆっくりと離れていく。
「ネリクの……お姉さん……?」
私の呟きに、ロザンナ様は笑顔を返した。
「私を理解してくれるのは、私と真逆の運命を背負わされたこの子だけ。最後まで私を娘として守ろうとしてくれたお父さんにそっくりなこの子だけ……」
「お父さんは……亡くなったんですか……?」
ロザンナ様が、悲しそうに頷いた。
「お父さんはね、私が生まれた時に黒の一族に幽閉されてしまったの。黒の神獣を、ひいては黒の一族の存在を脅かす白の神獣を誕生させない為に」
「黒の一族?」
「そうよ。お父さんは神獣を生み出す神子の家系だったの。魔力の強い女と番わされて、黒の神獣が生まれるまで解放されることのない、憐れな生贄の家系」
「な……っ」
私の横にしゃがんだままのロザンナ様が、頬杖を突きながら微笑む。
「――そうね、貴女には知る権利があるわね。教えてあげるわ、私とこの子のことを」
するとロザンナ様は、ぽつりぽつりと彼女と彼女の一族について話し始めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます