55 再会

 コツ、コツ、とロザンナ様が鳴らす靴の音が、螺旋階段に大きく響く。


 ロザンナ様を追うように迫ってきていた瘴気は、私たちが移動すると呼応するように退いた。


 後ろを見上げる。一定の間隔を開けてついてきているところをみると、単に近寄れないだけなのかもしれない。


 私の聖力は、自他共に認める浄化特化型。ここに来るまでバンバン光の矢を放って魔物を倒してきたけど、聖力はまだたっぷり残っている。


 多分、魅了の魔法を使っているのはロザンナ様だ。魅了が聖力の前では効かないことは、彼女自身が暴露している。


 物理攻撃はどう見ても得意そうじゃないし、見たところアルベルト様も帯剣していない。自称私の下僕のマルコさえ血迷ってまた私を殺そうとしなければ、治癒の必要もない。


 だから余程のことがない限り私の聖力が簡単に枯渇することはないから、きっと大丈夫だろう。


 だけど。


「ルチア様、瘴気に取り囲まれています……っ」


 人の腕にひっつきながら身体を縮こまらせている、私の護衛騎士。……心底邪魔なんだけど。


 こいつ、私の手足になって私を守り抜くんじゃなかったのか。なんで私の腕を掴みながらビクビクしてるのか。


 ロザンナ様に楯突く勇気がどうのと言っていたのは何だったのか。これだから口だけの男は。


 これ以上マルコを相手したくない。目線を先に行くロザンナ様に向けると、背中に問いかけた。


「……どうして私が来るのを待っていたのですか」


 ロザンナ様がちらりと笑顔で振り返る。


「あの子、思ったよりも頑固なのよ」

「は?」

「ルチアルチアって、笑ってしまうくらい貴女の名前を繰り返すのよ。愛されてるわねえ」

「私の名前を……」


 ぎゅっと胸が苦しくなった。突然攫われて見知らぬ場所に無理やり連れて来られて、どれだけ怖かっただろう。


 私の名前をどんな思いで呼んでいたのかと考えると、今すぐにネリクを抱き締めたくなった。


 ネリクがここに着いてから私の名前を呼んでいたから、ロザンナ様は私が生きていてもそれほど驚いた様子がなかったのかな。


「怪我なんてさせてないでしょうね……!」


 唸るように問うと、ロザンナ様は呆れたような笑みを見せた。


「やあね、あの子に怪我なんて意味がないことは知ってるでしょう?」

「……ッ!」


 やっぱりこの人、ネリクの正体が白の神獣だって知ってる。でも、どうして?


「あの子があまりにも話を聞いてくれないから、ちょっと拘束してるだけよ」

「は……?」


 自分のこめかみがビキッと音を立てたのが分かった。


「一体ネリクに何の恨みがあってこんなことをするんですか!」


 問い詰めてやる!


 駆け下りようとすると、「ルチア様! なりません!」とマルコが必死で私を引き戻す。ああもう、さっきから邪魔ばっかり!


「マルコ、離しなさい!」

「ルチア様、お願いします!」

「い……っ!」


 マルコの馬鹿力に絞められて、私の二の腕がギリリと痛んだ。


 私たちの様子を横目で見ていたロザンナ様が、鼻で笑う。


「私を助けてくれたの? 偉いわねマルコ」

「! 私はそういうつもりではっ」


 マルコの顔に焦りが浮かんだ。


「ふうん? まあいいわ。さあ、この奥よ。ついてきて」


 暗くて気付かなかったけど、地下牢まで降りてきたらしい。腹いせに二の腕を思い切り振り払うと、マルコが急いで手首を掴み直した。


 なによ! と振り返って睨みつけると、マルコが素早く耳元で囁く。


「ルチア様、私の心は貴女のものです! 信じて下さい!」

「はあ?」


 さっきのロザンナ様の言葉で、私がマルコの愛を疑ったと思ったのかな。おめでたい頭だ。


 じろりと睨むと、マルコが更に慌て出した。


「なんとしてでもここから抜け出せるよう、必ずや機会を窺います……! 私が将来を共にしたいのはルチア様だけなのです!」


 この自惚れ男、いい加減口を閉じてほしい。ネリクを解放する話はどこにいったのよ。


 ふん! と前を向こうとすると、背後から抱き竦められてしまった。こいつ、またこれ!


「貴女以外はいらないのです……っ! 愛してます、愛しているのです!」


 耳元に息が吹きかかる。うげえ! もう、自分に酔った男に付ける薬はどこにあるの!


「ちょ、いい加減に……っ」


 そろそろ本気で光の矢をぶっ放そうかと思ったその時、前方から呆れ返った声が飛んできた。


「マルコ、早くしてくれる? 私はルチアさんの協力が必要なのよ。私を怒らせる前に来てくれると嬉しいのだけど」


 ロザンナ様がそう言った瞬間、ザザザザッと瘴気が襲いかかるように触手を伸ばす。


「ひっ!」


 マルコは慌てて抱きつくのをやめると、私の手首を掴み直した。……はあ。


 左右に並ぶ鉄格子の独房には、他に人はいない。いや、何箇所かボロ布の中に白っぽい何かがあるのは見えたけど……うん、見なかったことにしよう。怖すぎる。


 と、先を歩いていた二人が足を止めた。地下牢の突き当りに着いたらしい。


 最奥には少し開けた空間があって、通路との間に鉄格子はない。だけど代わりに、壁に打ち付けられた鎖がぶら下がっていた。


 横の台には様々な拷問具が並べられていて、おぞましさに思わず小さな悲鳴が出る。


 ロザンナ様は一歩中に入ると、振り返って私に言った。


「ルチアさんだけこちらへ」

「私もルチア様と!」


 マルコが言った直後、ロザンナ様が「アルベルト様、お願いしますわ」と甘ったるい声を出す。


「ああ、愛しのロザンナ」


 アルベルト様は燭台を拷問具の横に置くと、振り向きざまマルコに襲いかかった。


「な! アルベルト様!?」


 アルベルト様が素早い動きをするとは思っていなかったのか、マルコは一瞬で背後を取られてしまう。


「ルチアさんを離してあげてくれるかしら?」

「ぐ……っ」


 マルコの首を腕で絞め上げたアルベルト様の顔は、幸せそうに微笑んだままだ。なのに腕には筋が浮き出ていて、彼が遠慮なく力を込めているのが分かる。


 魅了ってこんなに恐ろしいものなんだ。言葉を失った。


「アルベルト様、殺さないで下さいね。まだその男には使い道があるので」

「ああ、分かったよ、愛しのロザンナ」


 暗い中でも、マルコが苦しそうに顔を赤らめているのが分かった。


「マルコ、離して下さい。お願いです」

「ルチ……ッ」


 涙を滲ませながら悔しそうに呻いたマルコが、ようやく手を離した。


「いい子ね、マルコ」


 ロザンナ様が可愛らしい声で褒める。


「さあ、こっちよ。来て」


 ロザンナ様に手を引かれて、暗い壁に導かれる。


 ただの暗闇だと思っていた場所に、黒い塊が見えた。


 ロザンナ様が語りかける。


「ネリク、起きてる? 貴方が待ち望んでいたルチアさんが来てくれたわよ」


 黒い塊は動かない。


 ……なんで、どうしてこんな目に。


 もう、止まらなかった。


「――ネリク!」


 塊に駆け寄り、目の前で膝を突く。手を触れたら、暖かかった。涙がドバッと溢れてくる。


「ネリク、ネリク!」


 手でまさぐると、ふわふわの耳に触れた。――ああ……っ! ネリクだ、ネリクだ……!


「う……」


 懐かしいネリクの声が、くぐもって聞こえてくる。


「ネリク、私よ! お願い、顔を見せて……!」


 ボロボロ泣きながら身体を床に伏せて、髪の毛で隠れていた横向きの顔を探し当てた。薄暗い中、痩せてしまったネリクの輪郭が浮かび上がる。


 ――こんなにもやつれて……!


「ネリク! しっかりして!」

「う……?」


 ゆっくりと閉じていた瞼が開かれる。


 発光する赤い瞳の光が、周囲を照らし出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る