54 聖女ロザンナ
最後に姿を見たのは、新聖女降臨一周年記念式典でアルベルト様の隣にいた時だ。
儚げなのに女性らしい身体。あどけなさと
ロザンナ様の横で虚ろな微笑を浮かべているのは、見る影もなくやつれてしまったアルベルト様だ。
手に持つ燭台は斜めになっていて、受け皿から溶けた蝋が指に垂れている。熱いだろうに、一切反応を示さないのが不気味だった。
「ねえマルコ。どうして戻ったことを教えてくれなかったのかしら?」
私を抱き抱えたままのマルコの腕が強ばるのが分かった。
マルコが緊張している――?
ちらりと振り返ると、マルコの目が不安そうに揺れている。
まるで縋られるように、ぎゅっと力が込められた。
「さ、先程帰還したばかりなのです」
「へえ? どうして死んだ筈の偽聖女と一緒にいるの?」
「……っ!」
「情けをかけたの? うふ、お優しい護衛騎士だこと」
「な、情けなどでは……っ!」
私を抱き上げたまま、じり、と後退る。
ロザンナ様が、艶美な笑みを浮かべたまま一段上ってきた。彼女の動きに合わせたように、瘴気が壁伝いにじわじわと私とマルコを取り囲んでいく。――このままだと、完全に囲まれる。
「マルコ、降ろして!」
抱え上げられている状態では、浄化もできない。マルコは泣きそうな目で私を見ると、いやいやをするように首を小さく左右に振った。
「お、お傍を離れません……っ」
あのふてぶてしいマルコが、こんなにも怖がっている。その事実が、何よりも恐ろしかった。
一体何がそんなに怖いのか。ここにいるのは前聖女と現聖女、それにぼんやりしているアルベルト様だけで魔物はいないのに。
確かに瘴気はあり得ないほど濃い。だけど、私たちを囲んではいても呑み込んでいない。もしかしたら、瘴気は直接人に触れられないのかも? だから魔物を生んで襲わせるのかもしれない。
あ、と気付いた。マルコは私から離れた瞬間瘴気に呑み込まれると思ってるのかな。
内心苛つきながらも、慰めるような優しい声を出した。とにかく邪魔なので、まずは引き剥がしたい。
「マルコ、大丈夫よ。貴方は私のお守りを持っているでしょう?」
強張っていたマルコの表情が、ほんの少し
「あ……っ、ルチア様の
「ええ。これまでもマルコを守ってくれたでしょう?」
多分寄せ付けない効果があるのは髪の毛じゃなくて血の方だし、なんなら瘴気が魔物になってしまったらこの程度じゃもう効かないことは、谷から突き落とされて血溜まりを作ってからも攻撃されまくった私が証明している。
だけどそれをマルコに伝える義理はなかったし、とにかく早く降ろしてほしい。
「だからお願い、降ろして頂戴。ね?」
「は、はい……っ」
ようやくマルコが私を床に降ろした。でも腕は相変わらず私を抱き寄せたまま。怯えた様子で周囲を見回している。邪魔なんだけど。
この間に、完全に瘴気に取り囲まれてしまった。浄化しない限りは、これの外には出られなさそうだ。
と、私たちの会話を興味深そうに聞いていたロザンナ様が、納得したように大きく頷く。
「そういうことね! どうしてマルコだけが影響を受けないのか、不思議に思っていたの!」
「……どういうことです?」
ロザンナ様は、頬に手をあてながらアルベルト様にしなだれかかる。アルベルト様はずっとロザンナ様だけを見つめていて、これまで一度も私たちの方を見ようとはしなかった。
アルベルト様のデレデレとした情けない姿には、凛々しく美しかった面影はどこにもない。
「ねえルチアさん、どうして私がマルコに魔人の捕獲を頼んだか分かります?」
「……いえ」
質問の意図が分からない。探るようにロザンナ様を見る。
何故かロザンナ様は楽しそうだ。……気味が悪い。
「それはね、マルコだけが影響を受けていなかったからよ」
「は……?」
意味が分からず、口をぽかんと開けた。ロザンナ様はくすくす笑いながら先を続ける。
「他の人間に捕獲を頼むと、魅了が解けちゃうのよ。折角私のことを大好きな人がひとり減っちゃうでしょ? 捕まえにいった挙げ句、一緒に逃げられても困るし」
やっぱりあれは魅了だったんだ! でも一体どうやって? ロザンナ様がやったことなの? それとも、もしかして黒の神獣が――。
「何故かマルコは魅了にかからない。だけどアルベルト様に対する忠誠心はあるじゃない? なら魔人を捕まえる場にいても私たちを裏切らないでしょ? 本当にいい駒だったわ」
ネリクに会うと魅了が解ける? それってもしかして、ネリクの聖力が魅了を解いちゃうってこと? ――だとしたら。
キッとロザンナ様を睨みつける。
「ロザンナ様はあの人の正体を知ってるんですね!? 教えなさい! 貴女は何を考えて彼を捕らえたのです! どうして国がこんなになるまで瘴気を放置したのですか!」
するとロザンナ様は、おかしそうに笑いながらあっさりと答えた。
「あらあ、だって私、浄化なんてできないもの。ルチアさんだって分かってたでしょ?」
「は……っ」
頭をガン! と殴られたような衝撃を受ける。と同時に、「やっぱりか」とすんなり納得してしまった。
背中越しに密着しているマルコが小刻みに震えている。と思ったら、ぎゅ、と更に引き寄せるじゃないの。だから邪魔だってば。
「ルチア様……っ」
これじゃ矢面に立っているのは私の方で、守られているのがマルコなんだけど。やっぱりこの人、肝心なところで情けないなあ。ネリクのところまで連れて行くって言ってたのに。あ、でも、私が自力で行ったらあの強引な誓いは反故できるかも。
ロザンナ様が、実におかしそうに笑う。
「人間って馬鹿よねえ。こんな髪の色ひとつでころっと騙されちゃって、本物の聖女を追い出しちゃうんだもの。あの時はおかしかったわあ」
「なんで私たちを騙すようなことをしたのよ!」
噛みつくように怒鳴ると、ロザンナ様はとうとう堪え切れなくなったとばかりに、高らかに笑い始めた。
「アハハッ! 所詮男なんて、女の見た目にころっと騙されちゃうのよねえっ」
「このっ!」
掴みかかろうとしたら、「ルチア様っ」と後ろから羽交い締めにされてしまう。もう、マルコ邪魔! うざい!
しばらく楽しそうに笑っていたロザンナ様が、涙を軽く拭いた。
「ルチアさん。実は私ね、貴女が来るのを首をながーくして待っていたのよ?」
「は?」
ギッと睨みつけると、ロザンナ様は「やだ、こわあい」なんて言ってアルベルト様に引っ付く。いちいち挙動がムカつく!
「こちらへ一緒に来て下さる? 貴女に会わせたい人がいるの」
「え……っ」
思わず息を呑むと、ロザンナ様はくるりと背を向けて再び階段を下り始めた。
「貴女も会いたかったんじゃないの? ――大切なネリクくんに」
ネリク!? やっぱりネリクはこの下にいるんだ!
もう、会いたい以外何も考えられなかった。
「――会わせて!」
「ルチア様! 罠かもしれません!」
マルコが止める。
「罠じゃないわよ。あの子、ずっと貴女に会いたがっていたの。きっと喜ぶわ」
「行きます!」
「ルチア様……っ」
泣きそうな顔になりながら、マルコが拘束していた腕の力を抜いた。
「……お傍は離れませんからね」
掠れ声でマルコが言う。私は返事をしなかった。
ようやくネリクに会える……!
私の中にはもう、ネリクに会いたい、ということしかなかった。
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