52 幸せだった

 マルコに手を引かれながら、王都に入った。


 これまで幾度も魔物暴走スタンピードの被害に遭ってきた王都は、現在は背の高い頑丈な石壁に守られている。石壁の周りは掘がぐるりと囲み、小さな魔物では侵入は難しい。


 東西南北の計四箇所に門があって、夜間には跳ね橋が閉じて中に入れなくなる。日中は跳ね橋は降りているけど、門には常に兵たちが警戒にあたっている、筈だった。


「ここまでとは……」


 日頃私以外のことでは動じるないマルコですら、目の前の光景には驚いたらしい。頑固さを感じる顎は、閉じられないのか緩く開いてしまっている。


「酷い状態ね」


 声を潜めつつ、私も言わずにはいられなかった。


 城門下には酒瓶が幾つも転がっていて、兵と思われる男たちも同じように転がっている。最初死んでいるのかと思ってドキッとした。だけど、時折地響きのようなイビキが聞こえたから、酔っ払って寝ているだけみたいだ。


「……見咎められなくて丁度いいです。行きましょう」


 全くやる気のない兵たちの横を素早く通り過ぎた。


 城門を潜った先には、兵舎や馬場、それに畑がある。以前は軍馬たちが駆け回り、畑には緑が広がっていた。


 だけど今はどうだ。餌を与えられていないのか、軍馬は痩せ細り、ふらついている。畑は瘴気で覆われた空のせいか、茶色くくすんでしまっていた。


「なんてこと……」


 瘴気は魔物を作り出し、人を襲う。そんな認識しかなかったけど、この様子を見れば瘴気が人間の心に影響を及ぼすものだと理解せざるを得ない。


「町はもっと酷い有様かもしれません。私の背に隠れていて下さい」


 緊迫した様子でマルコが声を掛けてきた。卑怯者のマルコに言いたいことは山のようにあったけど、彼が言っている内容は間違ってない。


「……ええ」


 苛立ちを抑えながら、マルコの言葉に従った。


 目的を履き違えちゃ駄目だ。私はネリクを助けたい。今マルコを敵に回したら、ネリクの元まで辿り着けないかもしれないから。


 薄茶色の畑を通り過ぎると、ポツポツと人家が見え始めた。更に進めば、やがて平民街、更に貴族の居住区がある。


 ――全ての中心にあるのが、かつて私が閉じ込められていたハダニエル王国の中心、王城だ。


 マルコの背に隠れながら街の様子を窺う。


 街中は活気がない。歩いている人はまばらにいるけど、誰の目も虚ろだ。


 子供が「お腹空いたよう」と泣いている。周りに大人はいるのに、誰も振り返らない。物を壊す音がしたと思うと怒鳴り声が聞こえ、叫び声がした後はシンと静かになった。


 目を見開いて声がした方角を見ていると、マルコが手をクン、と引っ張る。


「構わず進みましょう。恐らくどこも同じような状態です」

「……ええ」


 街中に悪臭が充満していて、口と鼻をマントで押さえた。


「食糧は腐り、排泄物も放置されているようですね」


 同じく騎士服の袖で鼻を押さえているマルコが、唸るように低い声を出す。


 あまりの惨状に、悔し涙が滲んできた。


 身に覚えのないことで偽聖女と罵られて、言い訳もできないまま追い出されてたあの日から、わずかニヶ月しか経ってない。


 これで責務から逃れられると思っていたら、自分の専属護衛騎士に崖に突き落とされて死にかけて。何とか回復して起き上がったら、大量の魔物に襲われて。


 あんまりだと思った。国の為、大好きな家族の為にと頑張った結果がこれかと。


 でもだからこそ、ネリクに出会ってからは戻ろうという気持ちには一度もならなかった。王都方面に不吉な気配を感じてはいたけど、私をゴミのように捨てた国に未練はなかった。


 二ヶ月間、私は幸せだった。ネリクの優しさに包まれて、ネリクに愛されて、人を心から愛するのはこんなにも満ち足りたことなんだと初めて知った。


 あの森には、幸せな未来があった。あの場所でネリクと結婚して、可愛い子供たちと笑いながら生きていける。人とは違う運命を背負ってきた私だって、人並みの幸せを手に入れられる。


 まばゆくて幸せな未来がくるのだと、信じて疑わなかった。


 ――その間に、祖国が瘴気によって取り返しがつかないほどに荒れてるとも知らずに。


 嗚咽が漏れないよう、必死で堪えた。喉が苦しくて痛い。でもこの顔をマルコにだけは見られたくなかったから、マントで涙を拭った。


 この男にだけは、もう二度と弱っている自分を見せたくない。


 マルコの背中を睨みつけた。

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