48 腹の探り合い再び

 どうやってあの険しい崖を下ってきたのかと思っていたら、前に私が突き落とされた場所から少し離れた所に、傾斜の緩い箇所があったらしい。


「さあルチア様、お手を」


 崖を登るにあたり、マルコが手を差し伸べてきた。


 この手にニ度も突き飛ばされた身としては、迂闊に信用したくない。二度あることは三度あるって言うし。


 私が躊躇っていると、普段はキリリと真っ直ぐな眉毛が情けなく垂れた。


「……そうですよね、まだ私を信じられないですよね」


 当たり前でしょと返してやりたかったけど、マルコは清廉でたおやかな聖女ルチア像を信じ切っているので、あまり素は出したくない。


 私が大人しかったのは、元気な最初の頃は憧れの騎士様に護衛してもらうなんてと緊張していたのが原因で、後半は単に聖力が切れて喋る気力もなかったからに過ぎない。


 でもそんなことはマルコには関係ないんだろうなあ。完全に私を憧れの存在として見てるもんなあ。


 ここでうっかり素を出した瞬間、「思ってたのと違った」と途中で投げ出されたら、ネリクを救出できなくなってしまう。


 だからネリクの元に辿り着くまでは、なんとしてでも分厚い猫を被り続けるしかなかった。


「……三度目はありませんよ」


 仕方なく手を出すと、マルコは感動したように茶色い瞳を細めた。


「もう二度と離しません」


 私の手を恭しく握ると、手の甲にキスをする。そういうのは要らない。顔を引きつらせても、マルコには通じなかった。この鈍感男め。


「では上がりましょう」


 マルコに手を引かれながら、他より傾斜が緩いとはいえかなり険しい崖を慎重に登っていく。黒い騎士服を着たマルコの、筋肉質な背中を眺めた。


 瞳と同じ茶色の短めに刈られた髪が、谷に吹く風に揺れる。


 マルコの話が本当ならば、マルコが私に対する想いを自覚したのは、アルベルト様が私とマルコの仲を疑うような発言をしたその瞬間。


 それまではすぐに倒れる私が心配なだけと思っていたマルコは、聖女をよこしまな目で見ていると指摘されて「その通りだ」と驚き、つい私を突き飛ばしたらしい。突き飛ばさないでよ。


「ルチア様は尊い存在です。恋焦がれる私の気持ちがルチア様を穢してしまうのではと考えた瞬間、頭が真っ白になってしまいました」と頬を赤らめながら言われた。そこ、照れるところかな?


 懺悔以降、マルコは好意を一切隠さなくなった。事ある毎に言われるけど、まさかこれ、ネリクの所に着く時まで延々と聞かされるのかな。好意がない相手に好意を語られても、苦行なだけだよ。


 崖の途中で、道が途切れる。向こう側に飛ばないといけないらしい。


「私が先に渡りますのでお待ち下さい」


 岩と岩の間を、マルコが軽々と飛んだ。マルコは微笑みながら振り返り、私に片手を伸ばす。無愛想だった人間が突然笑顔だらけになると、普通に怖い。


「さあ、飛んで下さい。必ず受け止めますから」


 いまいち信用できないなあ、という考えが顔に出ていたんだろう。マルコが必死になった。


「信じて下さい! 私はもう二度とルチア様のお側を離れません!」


 いや、ネリクさえ取り戻したらさっさと離れてくれ。


 マルコが泣きそうな顔で懸命に訴える。


「信じて下さい!」

「……落としたら神罰を覚悟して下さいね」

「ルチア様にいただける神罰ならば、喜んで受け取らせていただきます!」


 ちょっとそれ、落とすって暗に言ってない?


 マルコは基本クソ真面目な性格。いまいち意思の疎通がうまくいかないことは前から度々あったけど、今も不安しかない。


「さあ、ルチア様!」


 あまりにもマルコの顔が必死なので、落ちた瞬間光の矢で打ってやろうと考えながら、思い切って跳躍した。


 飛んできた私をマルコはあっさり受け止め、ついでとばかりにぎゅうぎゅう抱き締める。


「ちょ……マルコ!」


 私が怒ると、マルコは幸せそうな声を漏らした。


「信じて下さってありがとうございます!」


 信じた素振りを見せる度にこれをやられるのか。思わずうんざりしてしまったのは仕方ないと思う。


「……先へ進みましょう」

「はい!」


 ――ああ、不安。


 マルコが前を向いた時を見計らって、聞こえない程度の小さな溜息を吐いた。



 無事に崖の上に到着した。振り返ると、ネリクと暮らしていた深い森が眼下に広がっている。


 必ず戻ってくるからね、と心の中で森へ語りかけた。


 岩の近くに置かれていたひとり分の荷物を、マルコが背負う。


「さあ行きましょうか」

「そうですね。王都に着く前に追いつかないと」


 すると、マルコが大仰に首を横に振る。


「申し訳ございません。魔人を連れて帰ることは決定事項でしたので、予め荷馬車を用意していたのです」

「……は?」

「私はこの地にルチア様がご無事でいらしている予感がしてならず、魔人を捕らえた時点で別行動を取るつもりでいたのです。なので我々は歩きです。馬車に追いつくのは不可能かと」


 ちょっと待て。あ、だからマルコは先に行けってああも焦りながら言っていたのか! 自分と荷馬車の距離を広げる為に。


 まさか懺悔に時間を掛けたのもわざとなんじゃないか、という疑念が湧いた。あり得る。


「祈祷台の地図で白い箇所を見つけた瞬間から、ルチア様が必ず生きていらっしゃると確信していました。それに、次に会えたら王都を離れてルチア様と家庭を作ろうと思っておりましたので……」


 照れた様子で鼻の頭を掻くマルコ。いやふざけんな? 絶対あんたなんかと家族なんて作らないからね?


 本当、マルコは自分勝手だ。私の気持ちなんてはなから考えてないのが明白だし。そもそも突き落とした人間と夫婦になれるって考えは絶対おかしい。


 ふと、マルコが口にした言葉に気付く。


「――祈祷台の地図? どういうことですか?」

「この国は現在、瘴気に呑み込まれようとしているのです」

「えっ」


 ちょっと待って、ロザンナ様が聖力を持ってなかったとしても、ここは緩やかに瘴気が増えていく予想だった。なのになんで、ふた月も経たない内に呑まれそうになってるの。

 

 私の二年半に及ぶ努力が一瞬で水の泡かと思うと、頭がくらくらしてきた。


 マルコが申し訳なさそうに上目遣いで見る。


「今や、王都にも魔物が出現するようになってしまいました」

「そんな……!」

「ルチア様の養父母の様子が気になり出掛けに確認して参りましたが、魔物が急激に増え、なかなか国外へ移動する目処が立っていないようでした」

「なんですって!」

 

 とっくに国を出たと思っていたのに、まさかまだ国を出ていなかったなんて。


 まさかこれも黒の神獣の影響――?


 マルコの話を統合してみる。マルコはロザンナ様に捕まえろと言われた魔人ネリクの正体は知らないみたいだ。祈祷台の地図で一箇所だけ白い部分があったから、まさかそれが白の神獣なんていう神がかった存在だとは思いもしなくて、てっきり私が生きていると思い込んだ。


 事実私は生きていたけど、ここに来てから私は一切浄化していない。


 だけど、今ここでマルコの盛大な勘違いを正すとどうなるんだろう。


 マルコは本当にネリクを助けてくれるつもりがあるのか、正直今は判断つかない。


 ――また腹の探り合いか……。


 行きは私の命がかかっていて、帰りはネリクの命がかかっている。つくづく私とマルコはそういう運命なのかもしれないな、とまた小さく溜息を吐いたのだった。

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