46 ルチア、捕まる
私の口を覆う、節くれだった大きな手。
腕で拘束された直後、身体を木の幹に強く押し付けられた。
警戒している様子のマルコを、目だけを動かして見上げる。
……驚いた。なんでマルコがここにいるの? アルベルト様に私の首を持ってこいとでも言われたのかな? うっわ、ありそう。
にしても、身体をぎゅうぎゅう押し付けられている上に、手首も痛いくらい強く掴まれている。これじゃ全く身動きが取れない。
隙間を探して抜け出そうと、身体をよじってみた。すると、マルコが更に身体を密着してくる。完全に押し潰される形になってしまった。
ギッと睨んでみたけど、マルコは何かに警戒しているのか、木の向こう側に目線を固定したまま私を見ない。もう、なんなの!
頑固そうな顎、冷たさを感じる切れ長の瞳が印象的な整った顔は、以前とちっとも変わっていなかった。
人を突き落としたんだから、ちょっとくらい後悔の念に駆られて憔悴とか……してなさそうだなあ。うん、マルコはしない。肌艶よくて腹立つな。
王城にいた時は、生真面目な彼が時折見せる笑顔に癒やされていた。日頃多くの感情を表に出さない瞳に私を心配する色が浮かぶと、心が温かくなった。
私には確かに、彼のことを「いいな」と思っていた時期があった。大人で立派な騎士の彼が、小娘で庶民の私に懸命に心を砕いてくれるのが嬉しかった。恋愛よりも憧れに近い感情だったと、ネリクを心から愛した今なら分かるけど。
でも、それは過去の話だ。もうこの顔をいくら見ても、懐かしさも喜びも込み上げてはこない。
王城にいる時は、この腕だけが頼りだった。浄化後に気絶しても、彼ならば私を守ってくれると信じていた。
――私を守っていたのと同じ手でアルベルト様の前で突き飛ばし、ダメ押しのように崖から突き落とすまでは。
「んんんっ!」
大声を出そうすると、焦り顔のマルコに小声で鋭く囁かれた。
「ルチア様、お静かに願います! 貴女の存在がばれたら拙い!」
「んん!?」
私の存在がばれたら拙い? 意味が分からない。
とにかく、大人しく捕まってるつもりはない。驚きすぎて一瞬全部が吹っ飛んでいたけど、私はネリクを探さないとなんだから!
「んんんんっ(離して)!」
だけど、懸命に藻掻いても、鍛えられた騎士の前では私は無力だった。
マルコは私の口をきつく塞いだまま、誰かに向けて声を発する。
「ヨハン、そこにいるか!」
「は! マルコ様、どう致しましたか!」
男の濁声が返ってきた。
え、本当に誰?
目を大きくしてマルコを見る。すると、何故かマルコが私に向けてこくりと頷いた。いや、多分絶対違うから。何も通じ合ってないよ、私たち。
「ヨハンたちは、捕獲した魔人を連れて先に王都へ帰還せよ!」
は? 捕獲した……魔人?
ガン、と頭を殴られたかのような衝撃を受ける。捕獲って、なに。ちょっと待って、どういうことよ!
少し遠くから、男が大声で返事を寄越した。
「は! マルコ様はどうされますか!」
「私は魔人の住居を探し、残党がいないかを確認した後に王都へ戻る!」
「畏まりましたーっ!」
何を言ってるの? 魔人ってもしかして、え、ネリクのこと?
言いようのない不安が頭の中に膨れ上がる。
……嘘だ。ネリクは捕まっちゃったの? なんで、どうして? ネリクを王都に連れていってどうするつもりなの?
直後、金縛りが解けたかのように現実へと引き戻された。
「――んんんっ(ネリク)!」
顔を左右に振り、身体を懸命によじり拘束から抜け出そうとする。すると、マルコがチッと舌打ちをした。
一瞬だけ私を見た後、ヨハンに向かって早口で指示を出す。
「いいか、魔人は殺すな! それがロザンナ様のご命令だ! では行け!」
「はっ!」
はあ!? ロザンナの命令!? 一体どういうこと、説明しなさいよマルコ!
怒鳴りつけたいのはやまやまだけど、いかんせん唸ることしか許されていない。ああもうっ! この馬鹿力!
茂みの向こうから、「お前は足を持て!」「はっ!」という声が聞こえた後、話し声が遠のいていく。
目頭が熱くなり、涙がボロボロと溢れ出てきた。
――嫌だ! ネリクを連れて行かないで!
流れた涙が、私の口を塞ぐマルコの手を濡らす。
「はっ!? ル、ルチア様っ!?」
私の涙を見た途端、何故かマルコが慌て出した。散々好き勝手にやっていた癖に、今更なによ!
ギッと睨みつけたけど、泣いているからか迫力が足りないらしく、へにょりとマルコの眉が垂れ下がるだけだった。
「ルチア様……あの者たちにルチア様のお姿を見られたら、ルチア様の御身がどうなるか私にも予想がつかないのです……」
お願いです、ルチア様をお守りしたいのです。苦しそうな掠れ声で懇願するマルコを、精一杯睨む。塞がれている口から、ひく、ひく、と嗚咽が漏れた。
立ち去った男たちの気配を窺いながら、マルコが恐る恐るといった様子で尋ねる。
「私はただ、ルチア様を危険に晒したくないだけなのです……あの、手を離すので大声を出さないでいただけますか……?」
私を崖から突き落とした張本人が、私を危険に晒したくないと訳の分からないことを言っている。
と、何故かマルコの瞳が濡れ始めたじゃないか。――は? なんでマルコが泣くの? 泣きたいのはこっちの方なのに。もう泣いてるけど。
マルコは唇が白くなるほどキツく噛み締めた後、震える声で囁いた。
「ルチア様、お会いしたかった……!」
マルコの手が、私の口から離れる。
なに馬鹿なことを言ってるんだと怒鳴りつけようと思った。だけど嗚咽のせいで、咳き込んだだけだった。
マルコは私を木に押し付けたまま、愛おしそうに両手で私の顔を挟む。
「もう二度と裏切りません……! 貴女が恋しいあまり、私の手で殺して私だけのものにしてしまおうとした愚かな私を、許して下さいますか……?」
――は? 恋しい? ……ちょっと待って、何言ってるのこの人。
ぞぞ、と悪寒が背中から首筋にかけて走った。いや、無理。理解できないし……!
「お慕いしております、私のたったひとりの聖女よ……!」
「……ッ!」
マルコは無理やり私の顔を上に向かせると、震える指を私の唇に押し付けてきた。
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