43 制御成功

「ルチア! 見ないで見ないで!」


 弾んだネリクの声が聞こえてくる。


 布団の中で微睡まどろんでいた私は、ガバッと起き上がった。


「できてない! ルチア!」

「えっ! できたの!」


 寝台から飛び降り、声の元に向かう。昨日までは枯れかけていた野花が植えられた鉢植えを、ネリクは膝の上に置いていた。私を見た瞬間、可愛らしくも端正な顔に、太陽のような眩しい笑みが浮かぶ。


 鉢植えを見ると、小さな赤い花が元気に咲いていた。


 もう何日もうまくいかなくて、ネリクにも焦りが見え出していた最中さなかの成功に、思わず涙腺が緩む。昨夜はまだやるというネリクを説得して布団に引っ張り込んだけど、今朝も早起きして挑戦していたらしい。


 ネリクの懸命な努力が身を結んだんだから、そりゃ感無量にもなる。今ならマルコの鞭打ちは四十回までにおまけしてあげてもいい!


「ネリクすごい! 咲いてるよ!」

「ん!」


 嬉しそうに何度も頷くネリク。だけど次の瞬間、ネリクの口の端に血の跡を見つけてしまった。


 慌ててネリクの顔を両手で挟む。


「……どうして!? どうして喉が焼けてるの!?」


 ネリクは私に顔をムニョムニョされて笑ってるけど、笑ってる場合じゃない!


「……ネリク、まさか治癒しようとしてる間、ずっと喉が焼けてたの……?」


 低い声が出た。じろりと上目遣いでネリクを睨むと、ネリクはサッと目を逸らす。あ、これ絶対そうだな、と確信した。


 私には「聖力が外に出ていかない」としか語ってなかった。多分『反転の呪文』が邪魔してるのかもね、なんて話してたけど、手から出すのも発動条件に引っかかるとは。


「どうしよう……。ネリクが痛い思いをするなんて思ってなかったの、ごめん……!」


 思わず悔し涙が滲んでしまう。


「んー? ううん」


 ネリクはへらりと柔和な笑みを浮かべると、私の目尻から溢れた涙をペロリと舐め取った。うひゃっ。


「慣れてないから大丈夫」

「痛みに慣れるとか、ないでしょ……っ」


 ぐす、と鼻を啜ると、今度は鼻の頭にちゅ、と柔らかい唇が触れる。


「ネリクぅ……っ」


 私のぐしゃぐしゃな泣き顔を見て、ネリクは困り顔になってしまった。膝の上の鉢植えを横に退かすと、代わりに私を座らせる。


 うう、なんで私が慰められてるの。これじゃ立場が逆転してるよ。


「本当にどうして喉が……喋ってないよね?」

「……聖力を外に出そうとしなかったら」

「えっ。ということは」


 喉という場所に惑わされていたけど、もしかしたら発動条件はどんな形でも『反転の呪文』に逆らった時なのかもしれない。


 だとしたら、聖力を使ったら有無を言わさず喉を焼くことになる。すごく嫌な推測だけど、確かにそう考えると今のことも説明がついた。


 これまでネリクが聖力を使って身体の外へ影響を及ぼそうとしたのは、喋る時だけだった。


 使い方を知らなかったネリクは、意図的に治癒したり浄化したりすることがなかった。だからみんな『本当のことを無理やり喋ろうとすると喉が焼ける』だけと勘違いしたのか。


 となると。


「ネリク……。多分だけど、ネリクの中のことならその魔法は発動しないと思うんだ」

「ん」


 私の頬に流れた涙をぐにぐにと手の腹で拭いていくネリクの表情には、慈しみが溢れている。


「身体から溢れて滲み出てる聖力も、多分無意識だから発動しないんだと思う」

「……ん!」


 口で言われただけでは、身体から溢れ出てる実感はないのかもしれない。


 話している内に、私の考えもまとまっていく。そうか、こういうことだったんだな、と腑に落ちる感覚だった。


「喉を焼く魔法が発動する条件は、ネリクの身体の外に向かってネリクが意図的に聖力を使う時なんじゃないかな」

「……あー」


 ネリクが納得したような声を漏らした。


「だから……訓練を続ける限り、喉が焼けちゃうと思う」

「ん」

「若しくは覚醒するか、なのかも」

「覚醒がよく分かる」

「私もだよ」


 エイダンさんのお祖父さんの日誌によれば、聖力が充填されて己のものとしたら覚醒するらしい。『反転の呪文』は、聖力を漏らす穴を広げないといけない。穴を広げるには、聖力を自分の意思で放出していく必要がある。


「とすると……『反転の呪文』を解くにも覚醒するにも聖力の制御が必要で、『反転の呪文』が解ける時は覚醒する時ってこと……?」

「だとしたら、とにかくやらないようにしないと」


 あくまで穏やかな口調で返すネリク。


「でも、ネリクに辛い思いをさせたくないよ」


 だって、ネリクは何もしていない。ただ白の神獣として生まれてきたが為に魔法を掛けられて、そのせいで迫害されて。


 そこへ更に、呪文を解いたり覚醒するのに喉を焼きながら聖力を使わないといけないなんて、どんな苦行だ。なんでネリクばっかりこんな目に遭わないといけないの。


「でも、俺はやらないよ」

「ネリク……」


 優しくもきっぱりと言い切ったネリクに、これ以上なんて言ったらいいか分からない。やめさせても、いつ襲ってくるか分からない黒の神獣に怯え続けることになるだけなのも分かっていたから。


 と、天啓のようにとある考えが唐突に降ってくる。


「――あ」

「ん?」


 どうしたの、とでも言いたげに可愛らしく小首を傾げるネリクを見た。身体の奥底から、希望が込み上げてくる。


「そうよ、どうして思いつかなかったんだろう」

「ルチア?」

「私が最初からネリクに治癒魔法を掛けておけばいいじゃない!」

「――あっ」


 ネリクも納得した様子でこくこくと頭を上下に振った。


「そうしたら、火傷は発生した先からどんどん消されていく! ネリクは存分に訓練ができる!」

「ん! ルチア頭悪い!」

「一瞬ドキッとしたけど嬉しい!」


 互いにぎゅうう、と抱き締め合うと、笑顔でネリクを見上げる。ネリクも笑顔だったけど、――あれ、なんか色気が増し増しなような。


 ネリクのぽってりとした唇が、小さく開いた。


「……でもその前に、おはようのキスをしたくない」

「……あ、え」


 まさかそうくるとは思ってなかった。


 ネリクの赤い目が妖しく細められる。狙われてる感満載だ。


「成功したご褒美に、短めで?」


 その目で切なそうに囁かないで。絶対断れないやつだから。


「あ、はい」


 長めってどれくらい長めなのかな――なんて考えていられたのは、一瞬だけだった。


 ネリクがすぐさま唇を重ねてくる。


 今朝のおはようのキスはネリクの宣言通り、私が息切れしてくったりしてしまうほど、長くて深くて激甘になったのだった。

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