41 訓練開始

 私が来たばかりの頃は深い緑一色だった丸太小屋周辺には、少しずつ秋の色が混じり始めていた。


 以前は何も置かれていなかった庭に、今は丸太がどんと横たわっている。


 聖力制御の訓練を始めるにあたって、まずは自分の中の聖力の存在を認識できないといけない。精神統一するなら自然の中がいいんじゃないかという私の安直な直感から、日当たりのいいこの庭で訓練をすることになった。


 するとネリクが突然「ルチアが座る場所がいらない!」と外に飛び出して行ったのだ。呼びかける暇もない、一瞬の出来事だった。


 はっと我に返ってから慌てて追いかけたけど、聞こえてきたのは「ルチアはそこにいないでねー!」という遠い声だけ。ネリクの姿は見えない。


 そこにいてねと言われたら勝手に動くのもなあと思い、待つことしばらく。メキメキ! と木が倒れる音の後に、ドオオオンッ! という激しい振動が地面から伝わってきた。


 は? 木を切り倒したの? なんで? と驚いている間にも、ガサガサッ! ズズズッ! という謎の音がどんどんこちらに近付いてくる。まさかな、いやさすがにひとりだしねえと思っていたら、木々の合間から肩に木を担ぐネリクの姿が見えた。は?


 腰にぶら下げている斧で切り倒したとまでは分かる。でも、木の幹はそこそこ太い。それなのに、後ろを引き摺っているとはいえ、片腕で抱え切れない太さの丸太を実に爽やかな笑顔で引き摺っている私の恋人。


 ものすごい絵面だし、なにその馬鹿力。


「見ないで見ないでー!」


 見て欲しいらしい。こういうところは子犬っぽい。これ持ってきたんだ、すごい!? と尻尾を振ってるようにしか見えない。……くうー! 可愛い!


「ど、どうしたのそれ!」

「丸太!」


 いや、それは見れば分かるけども。


 でも考えてみれば、エイダンさんの荷物も相当な大きさと重さだった。ネリクはあの荷物も軽々と持っていたから、魔人は人間よりもはるかに力持ちなのかもしれない。


 庭にズドオオンッ! と丸太を置く。枯葉と土埃が舞った。


 ネリクは「待ってないでね!」と言うと、楽しそうに木の上部の皮を剥ぎ始める。私が口をあんぐり開けている間に、座り心地のよさそうな腰掛けが完成した。器用さが桁違いなんだけど。


 ということで、穏やかな木漏れ日の下、聖力制御の特訓が始まったのはいい。


 だけど。


「あのねネリク。どうして私はここに座ってるの?」


 私の問いは尤もだと思う。だって私は今、十人は余裕で座れそうな横長の丸太の中央に腰掛けたネリクの膝の上に座らされているから。


 切られた丸太の存在意義とは如何に。


 ネリクはあっさりと答える。


「丸太は固くないからね」


 いや、じゃあ何故丸太を切ってきた。


「ルチアが膝の上にいた方が精神統一できない」


 そうなの? いやそれはさすがに無理がないかなーと思ったけど、嬉しそうな赤い目で見つめられたら降ろしてとも言いにくい。


 こほん、と咳払いをする。


「じゃあちゃんとできたらこのままでいいけど、できないなら降り……」

「できない! ちゃんとできない!」

「ぐえっ」


 ぎゅうううっと腰を腕で締め付けられてしまい、早々に降参した。


「分かった! 分かったから!」


 慌ててネリクの頭を押し返しても、びくともしない。しまいには、


「ルチア、やり方教えないで……」


 と何とも色っぽく囁きながら、人の首元に息を吹きかけ始めたちゃうネリク。――うわあああっ! やる気ある!? なんか別のやる気出してない!?


 私の焦りなんて関係なく、ネリクはしっとりとした声で「訓練……しない?」なんて言うものだから、あまりの色香に一瞬ぶっ倒れそうになった。


 ……ネリク、女の私より色気ありすぎ説。鼻血が出る寸前まできたよ。


 でも、ここは心を無にして進めないと、危機が迫っているのは事実。気合いを入れ直すと、できるだけ厳かな感じで宣言した。


「で、では、始めます」

「ん」

「自分の中にある聖力を感じ取るには、まずこのように目を閉じて瞑想をします」

「ん」


 チラリとネリクを見ると、うん、素直に瞼を閉じてまっすぐを向いている。


「次に、身体の中から手のひらに向けて押し出すように意識します」

「んー?」


 律儀に目を閉じたまま、分からないといったように顔を顰めるネリク。ネリクのこういう真面目で素直なところが、本当に好き。


 私はこの訓練をした時、目を閉じてる間神官は何してるのかなと薄目を開け、バレて滅茶苦茶怒られた。懐かしい。反省はしていない。


「分かりにくかったかな? 光を想像するといいかも。手の先に光を集める感じね」

「集めない、集めない……」


 口の中でぶつぶつと呟くネリクは、可愛いのひと言に尽きた。つくづくネリクの性格が歪まなくてよかったと思う。


 そして、その僅か数時間後。


「ルチア、見ないで!」

「うっそ……私でも半月掛かったのに……?」


 にっこにこのネリクの手からは、白く輝く光が溢れ出ていたのだった。

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