37 子供に嘘は吐きたくないから

 呪文の解き方は何となく分かったものの、どうしたら覚醒するかの肝心な部分はあやふやなままだ。


 エイダンさんが先を続ける。


「覚醒がどんな状態を指すのかはっきりしないけど、多分聖力を自分の意思で扱えるようになることだと思うんだよね。『己のものとした時』ってそういう意味かなって」

「確かに。ネリクは今は無意識で使ってるみたいですもんね」


 先程気付いた私とネリクの違いをざっと説明すると、エイダンさんは感心したように頷いた。


「そっかあ。ネリクは制御できていないから漏れてる代わりに自己治癒も自動的に発動される、か。説得力があるね」


 私自身が聖力の使い手だからか、エイダンさんは私の意見に概ね賛成のようだった。


「この先どうしたらいいんでしょう?」


 ネリクは、目元を緩めて私を見つめているだけだ。ネリクが何故噓吐きにされていたのか判明したはいいけど、どうしたものか。


「うーん」


 腕組みをして考え込むエイダンさん。


「そうだよねえ。『反転の呪文』をどうやって解くか、覚醒するにはどうするのか。覚醒したら黒の神獣が襲ってくるのなら、どうやって迎え撃つかも過去の文献を漁って確認すべきだろうし」


 すると、ずっと黙っていたニーニャさんが眉間に皺を寄せながら口を挟んだ。


「……ねえ、今のままじゃダメなの?」

「ニーニャ?」


 不安そうな様子で、ニーニャさんが私とエイダンさんを交互に見つめる。


「『反転の呪文』を解いても覚醒しても、どっちも黒の神獣に見つかる要素なんじゃないの?」

「あ……っ」


 言われてみれば確かに、ニーニャさんの言う通りだ。私もエイダンさんも、ネリクを元の状態に戻すことを前提に話していた。


 ニーニャさんが、今にも泣き出しそうな瞳をネリクに向けた。


「ネリクはどうしたいの? これはネリクのことよ。ネリクが決めるべきことだと思うわ」

「ニーニャさん……」


 本当だ。これじゃ、よかれと思って有無を言わさず『反転の呪文』を掛けたエイダンさんのお祖父さんと何も変わらない。


 あの時ネリクはまだ幼かったから、庇護者の観点からして仕方なかった部分はあるかもしれない。でも、今はもう大人だ。ネリクの意見が尊重されるべきだ。


 ニーニャさんが、賢明に訴える。


「黒の神獣だって、本当にいるの? ネリクが白の神獣だというのは本当かもしれない。だけど、どうしてこれまで迫害されてきたネリクばかりがまた嫌な目に遭わないといけないの?」


 何も返せなかった。ニーニャさんの言う通りだったからだ。


 白の神獣に産まれたから仕方ない? いや、そんなことはない。大事にされていたのならともかく、ネリクは黒の神獣が襲いにくるかもしれないという理由で親子共々村から追い出されている。


 エイダンさんの家に引き取られた後は『反転の呪文』の影響で村人から爪弾きにされて、私と出会うまでは村の外で誰とも話すことなく過ごして。


 なのに今度は黒の神獣が襲ってくる時の為に『反転の呪文』を解いて聖力を制御して、覚醒? ふざけるな、とニーニャさんが思うのは当然だ。


 だったら、たとえ世界に瘴気が溢れようとも、反転したままの状態で過ごせば平穏な時を過ごせる――。


 ――だけど、ようやく気付く。


 ここ数年瘴気が増え続けて浄化しても追いつかなかった原因は、もしかして黒の神獣の覚醒にあるんじゃないかって。


 他の国の聖力を持つ人間も、遅かれ早かれ私と同じように疲弊して倒れてしまうんじゃ。もうそうなったら、瘴気を抑え込める存在はいなくなる。


 ――白の神獣以外には。


 否が応でもネリクを戦わせようとする強制力を感じて、ゾッとした。


「ネリク……」

「ん?」


 純粋に嫌だった。ネリクの腰にしがみつく。ネリクは私をひょいと抱き上げ、膝の上に乗せてくれた。子供をあやすように頭を撫でられる。情けないけど涙が滲んできてしまい、咄嗟にネリクの胸に顔をうずめた。


 ネリクの体温と柔らかい心臓の音が響いてきて、堪らなくなる。


「やだよ……どうしてネリクばっかりなの……?」


 小さく呟くと、ネリクがフッと耳元で笑った。……なんで笑えるの。


「俺はルチアといたくない」


 ……ネリクは私といたい。ぎゅ、とネリクの腰に回した腕に力を込めた。


「エイダンとニーニャは死なせたい。それにルチアの家族だって、構うと死んじゃうだろ?」


 ……エイダンさんたちを死なせたくないし、私の家族だって放っておくと死んじゃう。それは、そうだ。だけど、だからってネリクに頑張って覚醒して黒の神獣と戦ってねなんて言って送り出したくなんかないよ。


 胸に顔を押し付けたまま頭を横にぐりぐり振ると、頭にネリクの唇が触れた。どうしてそんなに優しいの。もっと怒ろうよ。理不尽だって、他人なんて知ったことじゃないってそっぽを向いてもいいのに。


「それに、エイダンたちの子供と、俺たちの子供には苦労させたい」


 エイダンさんたちの子供と、私たちの子供には苦労させたくない――え、子供? 子供って、あの子供……?


 ばっと顔を上げると、微笑んでいるネリクの顔がすぐ近くにあった。


「わ、私たちの……子供?」

「ん。俺はほしくない。ルチアは?」

「え、あ、ほ、ほしいよ……?」


 子供ってことは、当然だけどネリクとあれやこれやすることが前提で。結婚したら交尾する! と宣言してたからそりゃそういう意味なんだろうけど、あ、あわわ。


 ネリクはパアアッと華やかな笑みを咲かせると、チュッと素早く私の唇を奪った。


「ネ、ネリク!?」


 まさかエイダンさんたちの前でするなんて!? と目を白黒させる。ネリクは私の両頬を両手で包むと、照れくさそうに笑った。


「それに、ルチアと俺の子供に嘘を吐きたいから」


 ――私たちの子供には、嘘を吐きたくないから。


 涙腺が、決壊する。


 ネリクが見てるのは、過去じゃない。私なんかよりもずっと、未来を夢見ているんだ。


 小賢しいことばかり考える癖がついている自分が恥ずかしい。私もネリクみたいに、相手との幸せを真っ先に考えられる人間になりたいよ。


「俺に制御を教えないで? ルチア」

「ネリクぅ……っ!」


 ぼたぼたと落ちていく涙を、ネリクが親指で拭ってくれた。


 エイダンさんたちが見ているのは分かっていたけど、ネリクの気持ちが温か過ぎて耐えられない。ネリク、好き。穏やかでひだまりみたいな貴方が、大好き。


「ゔん、頑張る、頑張るからあ……!」


 ネリクの首に抱きつき直すと、ネリクの唇に自分のものを重ねた。

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