35 『反転の呪文』
集落に連れて来られた時から現在に至るまで、ネリクは覚醒していない。
にも関わらず、エイダンさんのお祖父さんが会った直後に感じ取ったほど、ネリクからは聖力が漏れていた。
エイダンさんが重々しく言葉を紡ぐ。
「ネリクのお父さんの実年齢は分からないけど、見た感じはかなり若かった。だから祖父は、先に生まれている筈の黒の神獣もまだ幼くて覚醒前だからネリクも無事だったんじゃないか、と推測したんだ」
「あ、こっちだけじゃなくて向こうもってことですね」
「うん、恐らくはね」
だけど、相手が幼いからといって、いつ覚醒するかなんて分からない。
ひとまずは見つからないようにネリクから漏れ出す力を抑えようと考えて、『反転の呪文』を使うことにした。
エイダンさんが、眉間に深い溝を作る。
「この呪文の本質は、対象の属性を反対にすることだったんだ」
「じゃあネリクの場合は、黒の神獣に気配を悟られない為に聖力を封じて闇属性を付けたってことですか?」
「そういうことだね。思ったことと反対の言葉を喋ったり魔法が使えないのは、意図しなかった付随的な効果だったらしい」
属性だけを封じ込めようとしたのに、その他も諸々反転してしまったってことか。そのせいで事情を知らない住民から爪弾きにされたと考えると、釈然としないものがあった。
あ、と気付く。
ということは、もしかして――。
「もしかして、角が生えてないのも呪文の影響なんですか?」
「うん、その可能性が高いね」
ネリクのご両親とも普通の魔人と変わらなかったから、とエイダンさんが答えた。
うーん、余計になんとも言えない気持ちになる。私の手を握り続けてくれているネリクをちらりと見た。当たり前のように、柔らかい微笑みが返ってくる。
ネリクは今、どう感じているのかな。白の神獣だと言われて集落から追い出されて、お母さんが亡くなったら厄介者扱いされて、悔しくなかったのかな。自分ばっかりって恨んでないのかな。
私だって聖女をしてる最中に瀕死の状態に陥った時は「なんで私だけ」と思った。なのに、ネリクはこれがずっとだったんだから。
伝承が正しいのなら、ネリクは黒の神獣が撒き散らす瘴気を浄化できる唯一の存在なのに、厭われて蔑まれて。あんまりだ。
「……疑問なんですけど」
考えれば考えるほど、ネリクばかりが損してることに腹が立ってきた。自然と、声がどんどん低くなっていく。
「は、はい」
私の声色の変化を感じ取ったのか、エイダンさんが怯えた様子で姿勢を正した。
「どうしてお祖父さんはネリクの喉を焼こう、なーんて思ったんでしょうね?」
「――ひっ」
これまでで一番低い声が出た。エイダンさんが、思わずといった風に怯え声を漏らす。
エイダンさんは完全にとばっちりだけど、ここは八つ当たりされる役どころなので耐えて下さい。ごめんね!
心の中で一応謝っておくと、キリッとしてると私は思っている視線をエイダンさんに向けた。更にビクビクし始めたから、もしかしたらキリッじゃなくてギリッかもしれないけど。
「そ、それなんだけどね……っ」
慌てたようにパラパラと日誌をめくると、とある頁で止まる。
「ここに書いてあったんだけど、『反転の呪文』は一ヶ所にでも綻びがあると穴から漏れていくらしい。最終的に反転したものがまた反転――つまり最初の状態に戻っちゃうらしいんだ」
「なるほど?」
もっと詳しい説明を寄越しなさいと暗に伝えると、エイダンさんは大きな体を縮こまらせた。
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