34 夜逃げの理由

 伝承の内容のあまりの苛烈さに、気付けばあんぐりと口を開けていた。


 喉がすっかりカラカラだ。喋ろうと思ったら声が出なくて、慌ててごくんと唾を嚥下する。


 逸る気持ちを抑えつつ、厳しい表情のエイダンさんに尋ねた。


「あの、同一の血というのはどういう意味ですか?」

「僕もまさかとは思ったんだけど、本当にそのまさかだったんだよね」


 エイダンさんの指がパラパラと頁をめくっていく。すると、とある場所で止まった。


「ここなんだけど」


 私とネリクが、本を覗き込む。エイダンさんが開いた場所には、お祖父さんによる『同一の血』の見解が記されていた。


「……『過去に誕生した一対いっついの神獣は、必ず神官の血族から産まれていた』?」


 神官の血族?


「エリンさんは神官……」


 私の問いに、エイダンさんは首を横に振る。つまり、神官の血筋は……お父さんの方だった?


「もしかして……ネリクのお父さんにはすでに別の家族がいた?」

「うん。その可能性が高い」


 エイダンさんが唸った。昨日の話では、魔人の結婚感は人間よりも厳格だ。一度番になれば、基本二度と他者と番うことはない。


 でも。


「……記憶喪失だったから、家族の記憶もなかったってことですか」

「そうだと思う」


 エイダンさんが俯いてしまった。隣に座るニーニャさんの表情は、固い。伝承が本当ならば、ネリクには兄か姉がいることになる。だとすると、ネリクのお父さんはある日家族のことを思い出して帰っていったのか――。


 それは……悲しい。どちらの家族にとっても、悲しい出来事だ。


 エイダンさんが、フー、と長い鼻息を吹く。


「話を戻そう。産まれたばかりのネリクの髪の毛が白かったことから、長はすぐに伝承を思い出した。元々魔人は祖先が神獣と言われているから、もしかしたらネリクは先祖返りみたいなものなのかもしれないね」


 聞いてますよ、という意味で頷いた。


「ネリクのお母さん、エリンさんは伝承を知らなかった。お父さんの方も知らないと言っていたけど、時折こめかみを痛そうに押さえていて大丈夫なのか、と長は思ったらしい」


 もしかしたら、ネリクの白い髪を見て眠っていた記憶が呼び覚まされた――とか?


「二人ももう知ってる通り、長はかなり臆病というか、すぐに不安になってしまう人でね。用心深いのは決して悪いことばかりではないけど、この時彼はとにかく『黒の神獣に襲われたら集落が死滅してしまう』という考えに取り憑かれてしまった」

「あ……それでネリクたちを集落の外に?」

「そうらしい」


 なるほど。黒の神獣が白の神獣を殺しにくる際に、集落も襲われちゃったらどうしようと考えたのか。……確かに考えられなくはないけど。


「あそこは元々森の中で夜を迎えそうになった時の避難小屋で、長年使われていなかったものを提供したそうだ。必要な物は持っていくから頼むから集落から出ていってくれと、長はネリクの両親に頭を下げたらしい」

「産まれたばかりの子供を連れて、ですか?」


 あまりの身勝手さに憤りを感じてしまい、思わず低めの声が出る。するとネリクの手が私の膝の上にあった手に重なり、優しく握ってくれた。堪らなくなってネリクを見る。悲しそうな表情には見えるけど、微笑んでいた。……ネリクってば。


「伝承のことを伝えると、二人は『家族や住民には迷惑を掛けられない』と了承して、夜逃げの形で移動した。そこから三人の森の中での暮らしが始まったけど、何ヶ月かした頃に長が様子を見に行った時、お父さんの姿がなかったそうだ」

「理由は何か言ってなかったんですか?」


 エイダンさんは首を横に振る。


「外に出かけてますとしかエリンさんは言わなかったらしい。長はできるだけネリクと過ごす時間を短くしたかったみたいでね、深く考えずに帰ったそうだ。でも、その後何度訪れてもお父さんはいない。いつも外に出かけてます、とだけ言われたようだよ」


 確かに森の中で食材を探している可能性だってあるけど、何度も続けば怪しいと思わないんだろうか。どれだけ臆病なんだろう、その長は。


 会ったこともないけど、会ったら嫌いになりそうだ。もうすでに嫌いだけど。


「ちなみに集会には言わなかったんですか? 黙っている理由が分からないんですけど」


 神獣が現れたとなれば、集落だけの問題ではなく魔人全体の問題になるとは考えなかったのかな、と不思議に思うと。


 エイダンさんが、目を伏せたままボソリと答えた。


「それが……白の神獣が覚醒するまでの間、面倒を見させられるんじゃないかと考えてしまって、怖くて言えなかったらしい」

「な……っ!」


 そりゃあ長だから、集落のみんなの命を守りたいという気持ちも、義務感だってあるだろうことも分かる。


 だけど、集落から追い出して中途半端に生活用品を渡して恨まれないように恩を売って、でも怖いから守る気もさらさらなくて。どれだけ自己中心的なの。


「エリンさんだってネリクのお父さんだってそれにネリクだって、守らないといけない住民じゃないですか!」

「うん……そうなんだよ、そうなんだけど……長はね、自分の身の回りを守ることで精一杯になってしまったらしい」


 せめて集会で相談してくれていたならば、もしかしたらネリクのお父さんがいなくなる前に対処できていたかもしれないのに。


「だから彼は、エリンさんがある日亡くなっているのを発見するまで、誰にも言わずにいた。でもとうとうネリクがひとりきりになってしまった以上、白の神獣を放置して死なせてはならないことも分かっていたから緊急集会を開いた、という訳らしい」

「……その長、一度殴りに行っていいですか」


 ボソリと呟くと、ネリクが「手が痛くなくなるよ」と言った。手が痛くなるからやめてって意味だろう。……優しいな。ネリクはとことん優しいな。目頭が熱くなった。


「そこで当然集会は紛糾して、切れたうちのお祖父ちゃんが『ネリクが見つからなければいいんだろう!』ってネリクに魔法を掛けたんだ」


 それが『反転の呪文』だったのだ。

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