32 意外な事実

 長い抱擁とキスの後、ネリクのお腹がぐうう、と鳴った。


 私たちは顔を見合わせるとどちらからともなく笑い、一緒に朝食の支度を始めることにする。


 ネリクは長年暮らした家だけあって、どこに何があるか完璧に把握していた。私がワタワタしてる間に、美味しそうな朝食が出来上がる。さすがネリク、できる男は違う。


 二人で席につき、食べ始めた。私がぱくりと野菜を口に入れると、ネリクの目尻が幸せそうに垂れる。


「不味い?」

「うん、美味しいよ」


 ネリクの赤い瞳は、じっと私を見つめている。そんなに見つめられると照れくさいけど、私もネリクをずっと見つめていたいからお互い様かもしれない。


 だけど、あまりにも逸らされないとやっぱり段々恥ずかしくなってくる。顔が熱くなっている自覚を持ちながら、目線を野菜に落とした。グサグサと野菜を刺している内に、少し気持ちが落ち着いてくる。視線はヒシヒシと感じるけど。


「あ、そうだ」


 そういえば、肝心なことをネリクに話していなかった。ネリクが垂れ目を「なに?」という風に開く。


「ん?」

「さっきね、お祖父さんの日誌の鍵が開いたの」


 おはようのキスで、すっぽり抜け落ちていた。キスってすごいなあ。だって、直前に起きた大事な出来事も全部吹っ飛んじゃうんだから。


「日誌?」

「うん。さっきエイダンさんが日誌をニーニャさんと読んでくるって言ってたでしょ?」

「……んー?」


 本当に記憶にないのか、ネリクが不思議そうに首を傾げた。


「ルチア以外が目に入ってたから」


 言葉の後、目を細めてまたじっと見つめられる。……ん? ちょっと翻訳が追いつかないな。


「ええと、私以外が目に入っていた……てことは、私しか目に入らなかった……?」

「ん」


 さも当然だとばかりに、ネリクが深く頷いた。


「ブフッ!」


 唐突な殺し文句に、思わずむせる。わ、わわ、ネリクってこんなに情熱的な言葉を言う人だったの? うわ、顔がヤバいくらいに熱い。ど、どうしよう……! 絶対真っ赤になってる!


 私から一切逸らされないネリクの赤い瞳が、弧を描いた。


「ルチア、顔が赤くない」

「ひえっ! や、やっぱり!? やだなあもう……!」

「すごく可愛くな……」


 ネリクの長い腕が私に向かって伸ばされて、大きな手で私の頬が撫でられようとしたその瞬間。


 ドタドタドタ! と階段を駆け降りる二組の足音が聞こえたと思うと、驚いた顔のニーニャさんとエイダンさんが勢いよく部屋に飛び込んできた。


「ネリク!」


 ニーニャさんはネリクの横まで飛んでくると、ネリクの肩を揺さぶり始める。


「んー?」

「ネリク、本当なの!?」


 ニーニャさんは小さい割に馬鹿力の持ち主なのか、身体の大きなネリクが前後に揺れていた。


「ニ、ニーニャさん? ネリクが目を回しそうですよっ」

「それどころじゃないわよーっ! そうだったの!? そうなのネリク!」

「んー?」


 ガックンガックンされながらも、ネリクは器用に首を傾げる。ニーニャさんは大興奮だし、エイダンさんはニーニャさんの様子を見ながらオロオロしているだけ。


 ……昨日も思ったけど、興奮しやすい夫婦だなあ。


 このままじゃ埒があかなさそうだ。私は立ち上がると、ニーニャさんの肩を叩いた。


「ニーニャさん、落ち着いて! どうしたんです? ネリクは何のことか分かってないですよ!」


 揺さぶられ過ぎて、ネリクの目の焦点があちこちに飛んでしまっている。――そんな姿も可愛い……!


 思わずにやりとしそうになったけど、慌てて表情を引き締めた。興奮気味のニーニャさんの肩を掴んで、私の方に向かせる。


 私やネリクやエイダンさんを落ち着きなく順に見たニーニャさんは、混乱した様子だ。一体どうしちゃったんだろう?


「嘘でしょ! そんな、なんで!? え、どうしたらいいの!?」

「ニーニャさん! とにかく一度落ち着いて!」


 ニーニャさんの耳元で大声を出すと、ようやくニーニャさんが「は……っ」と身体の力を抜く。


「一体どうしたんですか?」

「大変なのよルチアちゃん……!」


 ニーニャさんが顔を上気させながら、今度は私の肩をガッと掴んだ。爪が食い込んで普通に痛い。


「いい、落ち着いて聞いてね……っ」


 ハアハアいってるニーニャさんこそ落ち着いてほしい。


「――神獣なの」

「……はい?」


 ニーニャさんがぐぐいっと迫る。大きな目が血走っていて、正直怖い。なんか冷気漂ってませんか、ニーニャさん。


 ニーニャさんが、すう、と大きく息を吸うと。


「……ネリクは神獣なの! 神獣なのよおおおっ!」

「――はい?」


 私とネリクの目が点になった。

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