31 解錠
『反転の呪文』の効果で、ネリクが喋る内容は全て言いたいことと反対になってしまった。
呪文の強制力に逆らって本当のことを喋ろうとすると、喉が焼かれる。
『反転の呪文』は、元々そういう呪文なんだろうか。痛みを恐れさせて、嘘を吐くことを強制させるだけの魔法。
だとしたら、なんて残酷な呪文なんだろう。
考えれば考えるほど、ネリクを守る為と言って引き取った魔術師のお祖父さんの言葉と矛盾しているようにしか見えなくなってきた。
見つからないようにする為の魔法と言いながら、その実、ネリクを相当悲惨な状況に陥らせている。
だけど。
もしこの『嘘吐き』の効果が、実は
何かに見つからない為に、ネリクを隠す必要があったのは確かだ。でも隠すことと嘘を吐かせることに何の関係があるんだろう。どう考えたっておかしい。
もしも魔物が近寄ってこない体質と自己治癒能力が、隠したかったネリクの本質の一部ならば。
この先に、もっと何か大きなものがある――?
それは、直感だった。
考えてみたら、どうしてネリクは普段人嫌いなのに私のことだけは気になったんだろう。
どうして私は魔人という種族すら違うネリクのことを、最初から怖がらなかったんだろう。
私たちは何の疑問も持たず、最初から一緒にいるのが当たり前みたいに過ごしてきた。
短くなってしまった自分の白髪を摘む。……まさか?
それがどういう意味を持つのか、私には分からない。秘密は全部、この日誌に隠されているから。
考え込んでしまった私を静かに待ってくれていたエイダンさんを見上げる。
「エイダンさん」
「うん?」
本に描かれた魔法陣を指差した。
「この魔法陣は、鍵の呪文ですか?」
私の問いに、エイダンさんは笑顔に変わると頷く。
「そうだよ。施錠の呪文が記されているところまでは僕にも分かるんだけど、他に何か追加されているんだよね。それがさっぱり分からなくて」
属性魔法はひと通り試して、どれも注ぎすぎると本が燃えそうになってしまったそうだ。
エイダンさんのお祖父さんは、エイダンさんなら大丈夫だと思ってネリクを託した。裏を返すなら、エイダンさんが知っている方法で解錠できるということにならないかな。
「あ」
ピンときた。簡単、『反転の呪文』、更にネリクの反対しか喋れない言葉。
「エイダンさんっ!」
「えっな、なに!?」
私が突然大声を出したものだから、エイダンさんは大きな身体をビクッとさせてしまった。なんだか申し訳ないけど、大事なことだから許して。
私、もしかして分かっちゃったかもしれない。
「あの! 施錠の魔法って試しました!?」
「……え?」
エイダンさんが目を大きく見開く。
――そして結果は。
「まさかこんな簡単なことだったなんて……っ」
エイダンさんの大きな手の上で、解錠されたお祖父さんの日誌が開かれていた。
「なんだよそれ……!」
へなへなと床に座り込むエイダンさんの目には、光るものが見える。ホッとしたのか、それとも悔し涙なのか。
項垂れ具合があまりにも萎れた花みたいで可哀想で、尋ねるのは控えた。私にも優しさはあるしね。
「反転と解錠をかけて、まさか開けるのが施錠の呪文だなんて……!」
「お祖父さんって冗談が好きな人だったんです?」
あ、しまった。ついこの口が余計なことを。
エイダンさんは涙目で私を見上げると、更にがっくりと肩を落とす。
「うん、お茶目な人だった……」
それが答えになっていた。お祖父さんは「子供だから考えたら分かるよね?」というつもりでいたのかな?
だけど多分お祖父さんが思っていたよりもエイダンさんがくそ真面目すぎて、こんな単純な答えに長年辿り着くことができなかった。
「遊び心ってやつですかねえ」
他に慰めの言葉も思いつかなくて、相変わらず項垂れているエイダンさんに言った。
「遊び心……こんな重要な問題に遊び心を持ち込むなよおじいちゃーん!」
エイダンさんが、天井に向かって泣き声で吠える。
するとエイダンさんの声を聞きつけたのか、階段をバタバタと降りてくる音が近づいてきた。
「ルチアッ!?」
飛び込んできたのは、やはりというかネリク。ゆるい癖のある髪の毛が四方八方に広がっていて、今の今まで熟睡していたことが窺える。
「ネリクお前なあー。ここは心配するのは僕のことじゃないの……?」
下唇を出していじけ顔をしてみせても、ネリクはきっぱりと言い切った。
「ルチアが一番大事じゃない」
「ぶれないなあ……」
恋ってすごいよね、なんて遠い目になってしまったエイダンさんを華麗にやり過ごして、ネリクは私の元に駆け寄ると正面からぎゅっと抱きつく。寝起きのホカホカの体温が気持ちよくて、思わず目を瞑ってじーんと味わってしまった。
今日も私の未来の旦那さまは可愛いです。
「おはようルチア」
「おはようネリク」
むぎゅ、とネリクに抱きつき返すと、ネリクも更にむぎゅむぎゅと抱き締めてくる。
と、ネリクが私の耳元で囁いた。
「おはようのキス?」
「え?」
顔を上げた途端、チュッという音を立ててネリクが私の唇を奪う。ネリクは嬉しそうに微笑むと、ぺろりと自分の舌を舐めた。う、うひゃ。
「ネリク、ルチアちゃんが固まってるよ?」
「エイダンはこっち向いてて」
「ええ……嘘だろ、先にここにいたのは僕らだよ……」
それでもエイダンさんはやれやれといった様子で苦笑すると、立ち上がって腰をトントンと叩きながら部屋を出ていく。
階段前で振り返ると、手に持った日誌をピラピラを振った。
「ちょっとニーニャとこれを読んでくる。だからまだ帰るなよ? いいなネリク! 頼むから勝手に帰らないでね!?」
このしつこい感じだと、ネリクは常習犯なのかもしれない。
「んー?」
そして気のない返事。ちょっと口の端が上がってるから、本気じゃないんだろう。
でもエイダンさんはその真面目さからか、気付かなかったみたいだ。
「ちょっ! じゃあルチアちゃん! 君は分かるよね!?」
必死なエイダンさんが哀れになったのと、私だってネリクの事情を知りたいので、「任せてください!」と笑顔で保証する。
ほっとした様子のエイダンさんが、階段の奥に消えていった。ネリクは私の後頭部に手を添えると、額をコツンとくっつける。
「もう一度」
「へっ」
「おはようのキス」
「えっあ、う、うん?」
どうすればいいの!? と再び焦り始めると、ネリクが顔を斜めにして近づいてきて――。
今度は長くて甘いおはようのキスを交わした私たちだった。
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