29 疑問

 結局その晩は、ネリクと同じ寝台で寝た。


 エイダンさんが「いいかネリク? 本番は結婚してからだからね?」と不安そうに繰り返していて、ネリクがうるさそうに「んー」と返していたのがおかしかった。


 というか、本番って言うな、本番って。生々しすぎるから。


 ネリクが先に寝台に横になると、当たり前のようにおいでと両手を伸ばす。私ももうすっかり慣れたものだ。ネリクが作った空間にすっぽりはまると、すぐにギュウウッと引き寄せられた。ふふ、温かい。


 布団を被り頭に唇を押し当てられながら「おやすみ」「ん」と言い合う、いつもの流れ。


 でも、今夜は少し違った。


「ルチア、おやすみのキスしたくない」


 暗くなった部屋で、ネリクの赤い目が淡く光る。


「恋人じゃないから」

「え……っ。あ、う、うん……」


 ネリクの言葉を脳内で翻訳した途端、身体がかああっと熱くなった。恋人だからおやすみのキスをしたいってことだ。い、いいのかな? でもさっきキスは経験したし……よし!


「ど、どうぞ……!」


 でも、自分からする勇気はまだなくて、目をぎゅっと瞑る。ネリクの顔が近付いてくる気配が感じられた。


 でも、なかなか触れない。


 あれ、まだかな? と思った直後、ふにゅりと柔らかい物が唇に重なる。あ、これがそう? と薄目を開けると、想像以上に近くからネリクの赤い目が私を見つめていた。


 日頃の無邪気さとは異なった色気を感じる熱の籠った眼差しに、どくん! と心臓が一気に飛び跳ねる。


 ネリクは私の下唇を軽く食んでからゆっくり顔を離すと、微笑んだ。


「おやすみ」

「お、おやすみ……っ」


 ネリクが私の頭を引き寄せて、胸に押し当てる。すると、見た目は落ち着いているネリクの鼓動が耳に響いてきた。


 ……トクトクトク、とやけに早い。


 ドキドキしているのは私だけじゃなかったんだと思うと、安心すると同時に嬉しく思う。だって、私がネリクをときめかせているなんて夢みたいだから。


 ネリクの匂いを、鼻腔一杯に吸い込む。両思いになった多幸感に包まれながら、静かに目を閉じた。



 翌朝、鳥たちのさえずりにパチリと瞼を開ける。

 

 目の前には、口を半開きにしながらぐっすり寝ているネリクがいた。


 私の身体に回されている腕をそっと退けても、起きる気配はない。癖のある黒髪を優しく撫でると、ネリクの口角が嬉しそうに上がった。


 寝台からゆっくり立ち上がると、肩まで布団をかけてあげる。ネリクがむにゃむにゃ言いながら、布団の中で縮こまった。……今日も朝から可愛いなあ。


 ネリクは昨日までずっと、私と喋りたくても誤解されたらと思って喋ることができなかった。私がエイダンさんとネリクの会話を聞いて誤解したような事態が起きるのを、恐れていたんだと思う。


 だから、私をエイダンさんたちの所に連れてくるまで待った。でも魔人の集落に連れてくるのは嫌だったらしいから、かなり葛藤はあったんだろう。


 穏やかな寝息を立てているネリクの顔を、上から覗き込む。幸せそうな微笑みを浮かべたままスヤスヤ寝ているさまは、幼い子供のようだ。普段は私が身動きするとパッと目を覚ますから、これはとても珍しいことだった。


 多分ネリクは、ようやく肩の力を抜くことができたんだと思う。これまでずっと言いたいことを我慢していたから、私が想像する以上に沢山悩んでいたんじゃないかな。


 それが昨日、ようやく全てを曝け出すことができた。曝け出したことを私が受け入れたから、肩の力が抜けちゃったのかも。そう考えると、やっぱり可愛い。三つも年上だけど。


 ネリクが私に嫌われたらどうしようと思ってくれていたと知ってから、私の心はネリクとは反対に落ち着きがなくなった。


 ネリクの気持ちも知らずに呑気に過ごしていた自分が、嫌になる。鈍感にもほどがある。毎日抱きしめられて甘やかされてたのも大型犬に懐かれている感覚で、恋愛感情を持たれてるなんて思ってもみなかった。


 だけど私の方は、ネリクの優しくて穏やかで頼りになるのに滅茶苦茶可愛いところにどんどん惹かれて、いつの間にか大好きになっていた。


 ――私はネリクに何もしてあげられていないのに、どうしてネリクは私を好きになってくれたんだろう。


 魔人と違ってネリクを馬鹿にしないから? だったらネリクは、私以外のネリクを差別しない人間の女の子を先に拾っていたら、私じゃなくてその子を好きになっていたのかな。……考えただけで、モヤッとした。


 考えても詮無いこととは分かっていても、私の特技といえば聖力くらいしかない。ロザンナ様と比べても胸は少ないし、顔も絶世の美女とは言えないし。こういう時、冷静に判断してしまう自分の感性がやや切なかった。


「……あれ?」


 聖力で思い出す。そういえば、どうしてネリクは魔物が彷徨く森の中にひとり暮らしをしていても平気だったんだろう。


 魔人の集落を取り囲む壁の堅牢さを見ても、昨日のエイダンさんの話を聞いても、明らかに魔物は魔人の敵だ。だけどあの丸太小屋の周りには、魔物避けは一切なかった。


 ネリクがまだ寝ているのを確認する。昨日ニーニャさんに買ってもらった女物の服に着替えながら、考え込んだ。


 ネリクとネリクのお母さんは、ずっとあそこに住んでいた。ネリクのお母さんの死因は何らかの病によるもので、魔物は関係ない。


 つまり、魔物には襲われていないってことだ。でもなんで?


 着替えが終わって、ネリクはまだスースーと気持ちよさそうな寝息を立て続けている。部屋を出ると、扉を静かに閉めた。


 階段を降りて、居間を覗く。と、エイダンさんが雨戸を開けているところに遭遇した。


「エイダンさん、おはようございます」

「ああ、ルチアちゃん、おはよう!」


 にこやかなエイダンさんを見ていると、血は繋がっていなくともやっぱり兄弟だなあと思える。のんびりとした雰囲気が、とてもよく似ているのだ。


「エイダンさん、朝早いんですね」


 あはは、とエイダンさんが頭を掻いた。


「いやねえ、実は昨日ルチアちゃんにネリクのことを話した後、やっぱり祖父の日誌を開けられないかと思って朝から睨めっこしてたんだよ」

「日誌……あ、それですか?」


 言われてみると、エイダンさんの手には一冊の本がある。


「そう、これ。ルチアちゃんも見てみる?」

「はい、是非」


 エイダンさんが差し出した本を両手で受け取ると、背表紙を眺めた。

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