22 エイダンの話

 再び、四人とも居間の椅子に座る。


 エイダンさんが、静かに話を切り出した。


「まず最初にルチアちゃんに理解してもらいたいんだけど、ネリクはルチアちゃんを嫌いだなんて思ってないからね」

「……はい」


 ネリクの手が、離すもんかとばかりに私の手をきつく握り締める。


 不安そうな彼の表情を見る限りは、エイダンさんが言っているのは本当なのかもと思えた。


 でも、だったらどうして私のことを「大嫌い」だなんて言ったんだろう。あの時のネリクの口調に、迷いは一切ないように聞こえたのに。


 エイダンさんが、穏やかな眼差しでネリクを見つめる。


「ネリク。ルチアちゃんにアレを見せてあげて」

「ん」


 ネリクは私と目を合わせると、舌をべーっと出した。さっきの血が唇にこびりついているのが、痛々しい。もう口の中に血は残っていないみたいだけど、あれは一体何だったんだろう。


 長く伸ばした血色のいい赤い舌の根元の方には、黒い焼け焦げたような円形の文様がある。読めないけど、細かい字が書いてあるような。


 これはまさか、魔法陣? お城の祈祷台にあった魔法陣を小さくした物にも見えるけど、何でそんなものが舌の上に。


「これ……なに?」


 状況が呑み込めなくて、舌を出したままのネリクに尋ねた。


「魔法陣」


 舌を引っ込めると、ネリクは真面目な表情で答える。やっぱり魔法陣なんだ。


「魔法陣って……なんでこんなところに」

「……うう」


 困ったように視線を彷徨さまよわせるネリク。あ、答えにくい質問をしちゃったらしい。


 エイダンさんはネリクを優しい眼差しで見た後、私を見て微笑んだ。


「僕が説明するよ」


 ネリクが、あからさまにホッとした表情を浮かべる。真剣な眼差しになったエイダンさんが、身を乗り出してきた。


「ネリクの舌に付いているのは『反転の呪文』というものでね。僕の祖父がネリクに掛けた魔法なんだ」

「エイダンさんのお祖父さん、ですか?」


『反転の呪文』なんて、聞いたこともない。でも人間より魔法が身近な存在の魔人だから、もしかしたら人間が知らない魔法は沢山あるのかも。


 少し困ったように眉を垂らすエイダンさん。


「そう。――どこから話そうかな……僕の家は代々魔術師だよってところからにしようか」


 へえー。じゃあ、エイダンさんも魔術師なのかな。気になったけど、今はネリクの話だ。エイダンさんの話の続きを待つことにした。


「祖父はこの辺りの集落の中でも、飛び抜けて優れた魔術師だったんだよ」


 エイダンさんが、懐かしそうな目で遠くを見つめる。


「各集落の代表が集まって情報交換をする集会にも毎回出席していてね。跡継ぎだった父と一緒に参加したある時、帰りが遅いねえなんて母と話していたら、見知らぬ小さな男の子を抱いて帰ってきた」

「まさか、ネリク……ですか?」


 エイダンさんが目元を綻ばせながら頷く。


「そう、大正解。年は五歳くらいに見えたよ。……へへ、可愛かったなあ」


 口許まで緩むエイダンさん。ネリク好きが溢れてるなあ。


「聞いたところでは、どの集落もネリクを引き取りたくなくて押し付け合っていたそうだよ」


 引き取りたくない? 何でだろう。


「祖父は醜い争いを見かねて『うちが引き取る!』と啖呵を切った。『弱虫どもが!』って言ったら日頃はうるさい奴らが黙り込んで爽快だったって笑ってたのが格好よかったなあ」

「弱虫? どういう意味でですか?」


 エイダンさんがすまなそうな顔で首を横に振る。


「ごめん、聞かされてないんだ。僕もまだ子供だったし、祖父も父も詳しいことは『まだ早い』って教えてくれなくてね」

「そうですか……」


 この話を聞いて分かるのは、ネリクは別の集落から来たらしいことと、お祖父さんの一存でエイダンさんの家に引き取られてきたってことだけだ。


「でね、祖父が僕にしっかりと言い聞かせたんだ。『ネリクには見つからない為の魔法が掛かっている。必要になった時の解除方法は父さんが知っているが、いずれお前にも引き継ぐ』と」

「見つからない為? それはどういう……」


 この質問に対しても、エイダンさんは首を横に振った。え、どういうこと?


 悲しそうに眉を垂らすエイダンさん。ニーニャさんが、そっとエイダンさんの少し猫背になってしまった背中を撫でた。


「……順番に話すよ」


 エイダンさんが、小さく微笑んだ。

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