18 ニーニャ

 エイダンさんが、慌てた様子で玄関をウロウロし始めた。


「どうしよう、ネリクが女の子を連れてきたぞ! やっぱりここは正装かな!? いや、その前に居間にお通ししないと! あ、美味しいお菓子ってあったっけ!?」


 娘が突然彼氏を連れてきた母親みたいになってるけど、大丈夫かな。


 ネリクは慌てるエイダンさんには慣れているのか、落ち着いた様子で「エイダン、ニーニャは?」と尋ねている。


 ん? また新しい名前が出てきた。ニーニャさんって誰かな。


 と、エイダンさんがホッとした笑顔に変わった。


「そうだ、ニーニャに聞けばいいのか!」


 エイダンさんは「ニーニャ、ニーニャ!」と叫びつつ、どこかへ走って行く。随分と慌ただしい人みたいだ。


 ネリクは私の肩を抱くと、家の中に入って玄関の扉を閉めた。ここで待つのかな。


「ネリク、ニーニャさんってどなた?」

「ニーニャ? エイダンのつがい


 ネリクは私の背中側に回って私を引き寄せると、乱れた私の髪の毛を手で梳き始めた。……えへ、何だか毛繕いされてるみたいで擽ったい。


「番?」

「ん」


 番ってなんだっけ? あ、動物とかでいうところの夫婦か、と理解する。魔人は夫婦のことを番と呼ぶのかな?


 私の髪を整え終わったネリクが、にこりと笑う。集落の通りを歩いた時と比べて、穏やかな表情だ。この様子からも、ネリクがエイダンさんたちには気を許してるんだな、と分かって嬉しい。


 実は、ネリクが全くのひとりきりじゃなかったと知って、かなりのところ安心していた。全く味方がいなかったら、魔人という種族全体にいい印象を持てなかっただろうから。


 しばらくすると、エイダンさんが「ニーニャ早く!」とひとりの女性をぐいぐい引っ張りながら戻ってきた。


「エイダン、どうしたのよ! まだ洗濯物が途中……えっ!?」


 私たちの前に連れてこられたのは、頭の天辺に可愛らしい角を一本生やした、猫っぽい耳の優しそうな雰囲気の若い女性だった。彼女が噂のニーニャさんらしい。


 彼女はネリクを見た直後、腕の中に当然のように包まれている私を見て、大きな緑色の目を更に大きく見開く。


「ま……まあまあまあっ!」


 最初は驚いた顔だったのが、次第に可愛らしい笑顔に変わっていった。


 あ、絶対この人いい人だ。それで分かった。


 ちなみにネリクは、大体いつも私にくっついている。はじめの頃こそドギマギしていたけど、その内「うん、今日も懐かれてるな」に安定した。だからもういちいち動揺なんてしない。何だったら、くっつかれないと「機嫌悪いのかな?」と思うくらいには慣れた。


「――歓迎会! いえ、その前にこんな格好で挨拶なんてっ!」

「ニーニャ! お菓子の用意はある!?」

「それよりも飲み物! ああ、居間が片付いてないわっ!」


 エイダンさんだけでなく、今度はニーニャさんまで右往左往し始める。大丈夫かな、この夫婦。


 ニーニャさんが、目に涙を溜めつつ感無量とばかりに声を張り上げた。


「こんな日がくるなんて! 生きていてよかった!」

「ニーニャ! 僕も同じ気持ちだよ!」

「お祝いしなくちゃ!」

「そうだねニーニャ!」


 あ、だめかもしれない、この人たち。


 結局。


 私たちが居間の椅子に座り、果汁水とお菓子の山が目の前に並ぶまで、二人の大騒ぎは続いたのだった。



 ニーニャさんが、照れくさそうに笑う。


「あはは、興奮して我を失っちゃってごめんなさいねえ」

「え、いえ」


 まさか「はいそうですね」とは言えない。愛想笑いを返すと、ニーニャさんが興味津々といった様子で向かいに座る私とネリクを交互に見た。


「で、今日はどうしてここへ?」

「あ、私の女物の服が必要になりまして」

「あー! そういうことね!」


 確かにネリクの家にないものねえ、とニーニャさんが腕組みをしながら頷く。エイダンさんが「盲点だったな!」と額をペチンと叩いている意味が分からない。


 席に座らされるなり、大興奮の二人からの質問攻めに遭った。


 私は聞かれるがままに、ハダニエル王国のお城にいたこと、偽聖女と言われて追い出された上に崖から突き落とされたこと、魔物に襲われて死にかけていたらネリクに拾われたことも全部話した。


 ……だって、勢いが凄いんだもん。魔人に話して大丈夫かとか、考える余裕は一切なかったし。


 ちなみにエイダンさんもニーニャさんも、私が人間であることに対して「へー。初めて見た」という薄い感想しかなかった。ネリクに角がないことも気にしてないようだから、もともと偏見がない心優しい人たちなのかもしれない。


「なーるほど! だからいつもならもう少しこまめに顔を出してくれるネリクがちっとも来なかったのか!」


 私の話をひと通り聞いたエイダンさんが、腑に落ちた様子でぽんと手を叩いた。


「そりゃあ守りたい女の子がいたら、片時だって離れたくないわよねえ!」


 と、ニーニャさんがにやつく。


「ネリクってば、顔を見せたかったらひと言あればよかったのに」


 私が脇腹を突くと、ネリクはムッとした顔で首を横に振った。ネリクの様子を見たエイダンさんが、微笑ましげに目を細める。


「ルチアちゃんのことが心配で置いていけなかったんだよなあ」

「ん」


 こくんと頷くネリク。ぐ……、文句なしに可愛いです。


 エイダンさんたちの説明によると、ネリクは狩った獲物を売ったり日用品を買う目的で、大体半月に一度は顔を見せていたらしい。


 なのに、突然ぱったり来なくなってしまった。時折半月以上間を開けることもあったから、二人とも「たまたま不足品がないのかな」と考えていたらしい。


 だけど、今回はひと月が経っても来ない。二人は「いくらなんでもおかしい、病気でもしているんじゃないか」と心配し、今日明日辺りにエイダンさんが様子を見に行く予定でいたんだそうだ。


「看病する可能性も考えて保存食や日用品も用意していたんだよ」とエイダンさんが指を差した先にあったのは、両手で抱え切れないほどパンパンに詰められた麻袋だ。……ネリクの家の日用品がやけに充実していた理由が、何となく分かった。


 ニーニャさんが手を叩く。


「じゃあ、ルチアちゃんと女子二人で買い物に行ってきていいのかしら!?」


 鼻息が荒い。


「ん」

「それがいい! 値切りまくれ、ニーニャ!」

「任せて!」


 もしかして、ネリクが真っ先にこの家に私を連れてきたのはその為だったのかな、と思った。何故なら、エイダンさんが実に嫌そうな顔でぼやいたからだ。


「……集落の奴ら、ネリクだけだと吹っかけてくるんだよ。本当腹立つったら」


 ――ああ、あり得る。


「待っていてネリク! ルチアちゃんが最高に可愛くなる服を厳選してくるから!」


 拳を握り締めるニーニャさんの勢いにも引かず、ネリクは「ん」と微笑んだのだった。


 ……大丈夫かな、私。

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