16 『出来損ない』

 小川に沿って、朝の少し肌寒い森の中を進む。


 身体が汗ばむくらいの距離を歩いていくと、段々と人の声らしい喧騒が耳に届き始めた。


 私の手を握るネリクの手に力が込められる。そのことから、ネリクが緊張しているのが分かった。


 考えてみたら服を買いに行くだけなのに、この警戒のしようはちょっとおかしい。ネリク以外の魔人は、そんなに恐ろしい存在なのかな。


 ネリクが片言すぎて魔人の基礎知識すらない私にとっては、ネリクが取る態度が得られる情報の全てだった。


 普段は穏やかな笑顔ばかりのネリクの横顔には、緊張が走っている。耳を澄ませて気配を窺っているのか、茶色い獣の耳がピク、と動いていた。


 ……いや本当に、ただ服を買いに行くだけなんだけど。


 ただ、多少歩きはするけど、意外と近くに他の魔人が住んでいるらしい。だとしたら、いつか彼らと予期せず遭遇する可能性だってある。


 その時に彼らが人間に対してどういう感情を持っているのかを知っているのと知らないのとでは、私の対応も変わってくるんじゃないか。


 しっかりとネリクの手を握り返すと、周囲の様子に目を配り耳を澄ませながら進んでいく。ネリクの家の周辺には存在しなかった、明らかに人が踏み締めたと思われる道が現れた。道の両脇には、伐採した木や切り株がある。明らかに人の手によるものだ。


 喧騒がどんどん大きくなってくる。と、ネリクがボソリと言った。


「入り口」


 ネリクが指差した前方には、ひとつひとつが人の頭の大きさ程度の岩が積み重ねられた壁がある。岩の隙間には小石が詰められて、粘土か何かで補強されていた。


 ネリクの背よりも高く積み上げられた壁の上の部分には、尖った木の枝がこちらを向いて突き刺さっている。随分と物々しい。


「ネリク、あれは?」

「防御柵。魔物避け」


 簡素な答えに、どうやら魔人にとっても魔物は敵らしいと知る。やっぱり魔物と魔人は別物なんだと思うと、ホッとした。私が倒した魔物とネリクが実は血縁関係でしたなんて言われたら、さすがの私も罪悪感にさいなまれてしまう。


 集落を外壁で取り囲んで、上を飛び越えて来られないように対策をしているんだろう。この間私を襲った大鴉みたいなのは避けようもないけど、狼のような魔物はこれで入れない。


「魔物は魔人も襲うの?」

「ん」


 だとしたら、この辺り一帯を浄化したのは魔人にとってはいいことだったのかもしれない。万が一殺されそうになったら「私、魔物を倒せます!」と主張してみよう。ちょっとは考慮してくれるかもしれない。


 丸太でできた門は、今は開かれている。ネリクの背中に隠されながら門を潜ると、門の内側にさすまたを持った屈強そうな男が二人、立っていた。二人とも、ネリクと同じような獣の耳を持っている。


 だけど、ネリクとの決定的な違いがあった。こめかみ付近からねじれた角が二本生えていて、目は黄色や茶色で、赤目じゃなかったのだ。


 ヤギみたいに少し緩く曲がった角を持つ方が、ネリクを見て馬鹿にしたように笑う。


「よお、『出来損ない』。相変わらず湿気たツラしてんなあ」


 ネリクは男に一瞥をくれただけで、何も答えなかった。……あれ、この魔人さん、普通に喋ってるよ。魔人片言説はここでさよならとなる。


 それにしても『出来損ない』って随分だなあ。ネリクは家事完璧な大型犬男子なのに!


 もうひとりの羊のようにくるりと円を描く角を持つ方が、私に気付いて不審げに太い眉をしかめる。


「おい、ソイツは誰だ?」


 ネリクはその質問にも答えようとはせず、私の手を引っ張って二人の横を通り過ぎようとした。


「おいっ! またいつものだんまりかよ!」


 羊魔人がネリクの肩を掴んだけど、ネリクは口をつぐんだまま相変わらず何も答えない。片言のネリクのことだ、いきなり怒鳴られて咄嗟に答えられないんじゃ!


「あのっ、私ネリクと一緒に住んでるんです! 怪しい者じゃありませんから!」


 突然喋り出した私に驚いたのか、門番の二人が目を大きくして私を見た。


「え……一緒に住んでる……? 女……?」

「嘘だろ……『出来損ない』の癖に俺たちよりも先に女と……?」


 何かに衝撃を受けたらしく、頭を抱えたり胸を押さえたりしている。どうしたんだろう。


「――フッ」


 鼻で笑う音を出したのは、ネリクだった。私の肩を抱くと、すり、と頬を私の頭に擦り寄せる。男たちから、野太い呻き声が聞こえてきた。大丈夫かな。


「買い物」

「あ、うん」


 ネリクに促されて中へ進む。やっぱり気になって後ろを振り向くと、門番の二人が肩を落としているのが見えた。何だか空気まで淀んでいるように見える。


 ネリクに尋ねた。


「あの人たち、どうしちゃったの?」


 ネリクが目元を綻ばせる。


「敗北」

「は、敗北……?」


 端的すぎて全く意味が分からない。首を傾げると、ネリクが前を指差した。


「ルチア、あっち」

「あ、うん」


 よく分からないけど、ネリクのことを『出来損ない』と侮蔑した奴らが何かでネリクに負けたってことなんだろう。


 ネリクが勝ったならいいかと思い直す。


 ネリクに肩を抱かれると、集落の中へと向かった。

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