15 ルチアの願い
翌朝。
朝食を済ませると、ネリクは私の頭に大判の布を掛け、首の周りに余った部分を巻き付け始めた。端を頭の後ろでキュッと結び合せると、私の周りを回り始める。
「あの、ネリク? 何してるの?」
「顔と髪」
なるほど。出ている所がないのを確認しているらしい。
「全部隠せってこと?」
「ん」
ネリクはやけに真剣な表情だ。彼が特別お人好しだっただけで、他の魔人に人間だとバレると拙いのかもしれない。
ヒヤリとした。助けてくれたのがネリクで本当によかった。
髪も、ということは、白い髪もあまり見せちゃいけないのかもしれない。やっぱり魔人は魔物と何かしら関係があるのかな。
ネリクが片言過ぎて説明してもらえないのがもどかしいけど、こればかりは仕方ない。
「わ、分かった。気を付ける」
一体どんな魔人がいるのかは未知数だから、ここはネリクの言うことに従った方がいいんだろう。
「ん!」
ネリクは赤い垂れ目をキリリとさせると、おもむろに私の手を握った。
「あっち」
小川の流れに沿って進むらしい。ネリクは時折キョロキョロと周りへの警戒を見せながら、私の手を引っ張っていった。
笑っちゃいけないんだろうけど、一所懸命さが如何にもネリクといった感じですごく微笑ましい。ネリクの手は大きくて温かくて、全身全霊で私を守ろうとしているのが直に伝わってくる。
温かい感情が、私の中でじわじわと広がっていった。
私はずっと、守る側だった。なのに守っていた相手に殺されそうになって、浄化していた魔物と同じ赤い目を持つ魔人に守られているなんて、ひと月前の私に言っても信じないと思う。
毎日が穏やかで、気絶しそうなほどの苦しみが過去のものになっているなんて、今でも夢としか思えない。
そういえば、マルコにもしょっちゅうこうして触れられてたなあ、と思い出した。でも、今みたいなドキドキも安堵もなくて、絶望に近い焦燥感しかなかった。
あの時は、どうやってマルコを騙すかしか考えていなかった。腹の探り合いをして、結果として私は勝負に負けた。
悔しさと恨みは当然今もある。だけど、あのまま城に閉じ込められて祈祷を続けていたら、遅かれ早かれ死んでいた。限界が訪れる前に追放という形であれ外に出られたのは、結果として正解だったのかもしれない。
たとえそれが、冤罪を掛けられた上、崖から突き落とされたことで得た自由だとしても。
私が国土全域の瘴気を浄化していたのはひと月前まで。すぐに瘴気で埋め尽くされて魔物が大量発生することはないだろうけど、着実に数は増えていく。ロザンナ様に、本当に聖力の欠片もなかった場合には。
森の中は明るくて、小川は木漏れ日を反射して煌めいている。今ここにいるのが夢なのか、城に囚われていたことが夢だったのか。あまりの違いに頭が錯覚を起こしそうだった。
私は限界だった。沢山訴えたのに、偽物扱いされて追い出された。だからもう関係ない。
――なのに。
罪もない民が魔物の恐怖に脅かされているのに、私だけ幸せでいいのかな。
不要だと思われたから殺されかけたのに、それでも私の中のどこかから「本当に目を逸していていいの?」という声が聞こえてくる。
後ろを振り返れば、私が落下してきた大地が見えた。
あの日以降、魔物には出会っていない。多分、この辺り一帯の瘴気を浄化しちゃったんだろう。瘴気が漂っていてもおかしくない国境付近の森の中にいるのに、ネリクと過ごすあの家の周りの気配は澄み切っているから。
その代わり、これまで感じなかったものを感じるようになっていた。
何か嫌なものが、あっちの方向にある。ここ数年私につきまとっていた焦燥感を
すると心配になるのが養父母たちのことだ。みんなは無事に脱出したのかな。気になったところで、確認する術もない。今更私が何を言ったところで、もう――。
「――ルチア?」
ネリクが、心配そうに私を見下ろしている。
崖を見て眉をしかめた後、泣きそうな目になった。
「……帰る?」
「か、帰らない! 帰る訳ないでしょ!」
慌ててネリクの隣に追いつくと、ネリクの肩に頭を寄せる。
「……ここにいるよ」
「一緒?」
「うん。ネリクと一緒にいる」
「……えへ」
ネリクがいなければ、私はとっくに死んでいた。面倒くさい事情を抱える私を、ネリクは最初から親切に献身的に面倒をみてくれた。
事ある毎に感じられる、ネリクの孤独。私がいることでネリクの寂しさが消えるなら、ネリクの傍にずっといたい。例え私たちの種族が異なっていても、私が守りたいと思うのはネリクだから。
それが、私の偽ざる心からの願いだった。
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