11 ネリク

 半泣きで布団の中に潜り込んだ私に、男が声を掛ける。


「服は着なくていいか?」

「着るわよーっ! 着るに決まってるでしょ!」


 顔だけ出して泣き声で返した。男は慌てた様子で棚を漁り始める。「これ? うーん」とか言いながら引っ張り出してきたのは、男の物らしい質素な上下の服だった。


「ん。服」

「ありがと……」


 だけど男は、突っ立ったまま私の前から動かない。……ええと。


「あ、あの?」


 すると男が、へらりと照れくさそうに笑った。


「手伝……」

「い、いい! 着替えるところ、見ないでえっ!」


 半ば叫ぶように言うと、男は驚いた顔でピューッと急ぎ部屋を出ていく。男の背中が向こうの部屋に消えたのを見届けると、大きな溜息を吐いた。心臓がドキドキいっている。


「もう……嘘でしょ……っ」


 顔が火照っているのが、自分でも分かった。――どうしよう、裸を見られちゃった。


 多分昨晩私の血だらけの服を脱がせて身体を拭いてくれたのもあの人だろうけど、あれは介抱だから見られたことには数えない! だけど、さっきは思い切り見られた。しかもあの人、ちょっとニヤけてたし!


 いやあああああっ!


 心の中で叫びながら布団の上を転がる。昨日の大量出血と転がったせいで、目眩がしてきた。


 あ、これ、気を付けないとぶっ倒れるやつだ。素っ裸のまま寝台の外で倒れたら、きっと恥ずかし過ぎて精神的に死ぬ。


 これ以上恥部を晒さない為に、目眩が去るまでじっと耐えた。


 しばらくしてそろーっと起き上がる。まだ若干クラクラするけど、いけそうだ。振り返り、男が覗き見していないことを確認した。貸してもらった服を身に着けていく。


 上下ともブカブカなので、ズボンは付いている紐でぎゅっと締める。上は油断すると肩が落ちてきてしまうので、気を付けないと胸元が見えそうだ。


 壁に手を伝いながら歩いていく。足が重いけど、聖力が完全回復すれば大丈夫そうだ。つくづく聖女でよかった、と思った。


 マルコの苛つく顔が一瞬脳裏をよぎったけど、ペイッと追い出す。こんなことなら、神罰のやり方を勉強しておけばよかった。やり方があるかどうかも知らないけど。とりあえず、あいつにはいつか絶対復讐してやる。


 部屋から顔を覗かせると、台所と食卓が見えた。今いる寝室よりも広い。獣の耳の男は、台所で鍋を掻き混ぜているところだった。


 なんでこの人は獣の耳が生えているんだろうとか、なんで目が赤いのに私を助けたんだろうとか、疑問は色々とある。でも、とりあえずは悪人じゃなさそうだ。


 だって、食べようと思えば私が気絶している間にガブリといけただろうし、それ以外の目的で襲おうと思えばそれだってできた筈だから。


 何もしなかった上に手当てまでしてくれたということは、すぐに殺されたり襲われる可能性は低いんじゃないか。


 それに。


「あ、あの」


 声を掛けると、男がパッと振り返る。張りのある男らしい顔には、人のよさそうな笑みが浮かんでいた。垂れ気味の大きな赤い瞳が、きらきらと輝いている。……可愛いな、この人。


 これ、この笑顔。明るい表情だし、しかも何となく純粋そうというか作られた感がない。


 アルベルト様やマルコみたいな本音を顔に出さない人間ばかり見続けてきたから、私の心眼は鍛えられてる筈。だから多分この人はあんまり裏表がなさそうだな、という直感は間違ってないと思う。


「あの、服、ありがとう」

「ん」

「助けてくれたのもあなた?」

「ん」


 非常に短い返事だけど、嘘は言ってなさそうだ。


 じゃあやっぱり昨日私の服を脱がせて全身を拭いてくれたのも……このことについては、今は忘れることにした。深く考えちゃ駄目、ルチア。


 部屋から出ると、男に近付く。あ、鍋から最高に美味しそうな香りが――。


 ぐきゅるるるる、とお腹が鳴ると、男がくすりと笑った。笑うと目尻の横にできる横皺に、思わず目を奪われる。……うわ、可愛くない? この人。やっぱり可愛いよね、うん、可愛い。


 すると、突然冷たい言葉を言い放った。


「飯は食わないだろ?」

「食べます! 食べさせてええっ!」


 男はアハハと笑った後、私の頭をぐしゃぐしゃと大きな手で撫でる。えっ!? うひゃっ! 訳が分からない!


「俺、ネリク」

「ネリク? あ、名前?」


 男は頭から手を下ろすと、こくんと頷いた。動作がひとつひとつ、可愛らしくてよろしい。それこそ騎士のマルコくらい背の高いしっかりした体つきの人なのに、幼さが感じられる。案外若いのかもしれない。


 男が私を指差したので、慌てて「ルチアよ!」と教えた。


「ルチア」

「そう、ルチア」

「えへ……ルチア」


 満面の笑みで私の名前を呼ばないで。最高に可愛いすぎて、今一瞬鼻血が吹き出しそうになったから。


 ネリクはお皿を取り出すと、きのこが沢山入ったスープを注ぐ。二人分のお皿を慣れた手付きで食卓に運ぶと、「ルチア」と私を手招きした。


「あ、はいっ」


 食卓に向かい合って座ると、カゴに入っていたパンを指差す。


「パン」

「いただきます!」

「ん」


 片言しか喋られないのか、ネリクの言葉は短い。


 ――なら、昨夜聞いたと思った言葉は私の夢だったのかな。「お前は絶対殺してやる、だから絶望しろ」とか言ってた気がするけど、だったらそもそも連れて帰らないで放置していれば済んだ話だろうし。


 スープは熱々で、きのこと何かのお肉の味が染みてものすごく美味しい。


「ネリクは料理上手なのね! すごく美味しい!」

「ん」


 ネリクは私が食べる姿を見ながら、ずっとニコニコしていた。

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