8 魔物に襲われる

 激痛が走る部分を中心に、聖力を順繰りに注いでいく。次第に、ひどく痛む箇所が減ってきた。


 空が暗くなり、満天の星空が頭上に現れる頃。


 ようやく何とか起き上がれるまでに回復する。治癒が得意な術者だったらもっと早く治せただろうけど、私はこれが限界だった。むしろよく頑張った方だと思う。


 私が倒れていた場所は、崖下の岩場。岩場の先には、深い森が広がっていた。


 傷はほぼ治ったとはいえ、大量出血した上に聖力もかなり消費してしまった。今から安全な場所を探して森を探索するほどの気力は、残ってない。もう心底疲れた。「生還したよ! ざまあみろマルコ!」とはしゃぐ元気は、今の私にはなかった。


 自分の服を見てみると、無惨なまでに血だらけ。私が落ちた場所には、血でできた人型があるし。うわあ、これ私じゃなかったら確実に死んでるよ。


 それにしても。


 ――確か、魔物って血の匂いに寄ってくるんじゃなかったっけ。できたら血だらけの服は脱ぎ捨てて、途中でマルコが用意してくれた服に着替えた方がいいかも。


 幸い今のところ、動物も魔物の姿も見かけていない。だけど、彼らが活発になるのは夜だと聞いたことがある。


 つまり、早々に移動した方が安全ってことだ。


「くぅ……っ」


 震える身体に鞭を打ちながら立ち上がった。くらりと立ちくらみがしたけど、痛みはない。


 そうだ、ここで着替えて服を脱ぎ捨てて、崖下の影に身を潜めよう。どうせ誰も見てないし、と鞄に重い手を伸ばしたその時。


 黒い霧のようなものが、ジワリと森の影から漂い始めていることに気付いた。木立の暗闇から流れ出る煙が、岩場を少しずつ黒色に侵食していく。


「え……っ」


 ――こ、これってまさか。


 と、霧の中からグルル、と低い唸り声が響いてきた。闇の合間に光るのは、一対の赤い瞳。


 ――魔物だ。


「やば……っ!」


 魔物の目は、闇夜に赤く光るのが特徴のひとつ。


 普通の獣との違いは、彼らが瘴気から生まれて瘴気があればあるほど強くなること。それと――聖なる力に弱いことだ。


 ……生き物を殺すのは、正直言って抵抗がある。魔物を倒す行為については、祈祷台から浄化をする時にいつだって考えずにはいられなかった。


 自分は今、命を消し去っているのだと。できることなら、何も殺したくない。でも大切な人は救いたい。常にその葛藤と戦っていた。今だってそうだ。


 だけど、私だって死にたくない。だったら――。


「……やるしかない!」


 知識として、聖力を矢に変えて攻撃する方法は学んでいた。実は、聖力貯金があった頃に試したこともある。しまい方が分からなくて放ってしまったら壁にヒビが入ってしまい、マルコがあんぐりと口を開けた時以来、試してなかったけど。


 両手に聖力を溜めて、頭の中で弓矢を思い浮かべる。すると私の手の中に、白く光る弓矢が浮かび上がった。


「――えいっ!」


 ビインッ! と心地よい音を立てて、光の筋が魔物に一直線に飛んでいく。


 弓矢の経験なんて皆無だけど、不思議と外れる気がしなかった。


 矢は吸い込まれるように黒い毛むくじゃらの眉間に突き刺さると、魔物と共に宙に掻き消える。


「よし!」


 え、私、結構すごくない? と自画自賛してみたけど、高揚は一瞬だった。


 黒い霧の中に、次々と赤い目が浮かび上がってきていたのだ。


 その数、……え、ちょっと待とうか。数え切れないよ!


 慌てて鞄を引っ掴む。必死で崖に登れる箇所がないかを探した。


 これまでマルコと旅をしてきた時には野宿もした。でも、夜間でも魔物には出会わなかった。それだけ私の加護が国土に行き渡っていた証拠だろう。


 だけど、国境近くだと効きが悪い。祈祷台の地図上でも、国境線は軒並み黒が濃かった。


 なんでも、隣の国にはみ出すと相手国の加護と打つかり合って魔法の干渉がとなんとかとか、というのが朧気ながら記憶にある。


 つまり、私が今いる場所が正にそうということだ。


 今いる岩場では、前後左右更に上からも襲われ放題だ。ひとりで戦うにはいい場所とは言えない。


 ――せめて崖の上に登ることさえできるなら。


 瘴気も上がってきにくそうだし、だったら魔物も襲ってこないんじゃないか。何となくの直感で思う。


「登れる所、登れる所――あった!」


 崖とはいっても、真っ直ぐ切り立っている場所だけじゃない。緩やかな傾斜になっている所もあれば、逆に反り出してぶら下がりでもしなければ登れない場所もある。


 半分這いつくばりながら、崖を登っていく。両手を離しても立てる場所まで辿り着いて見上げると、まだまだ地上は遥か遠く。


 ……あんな高さから落ちて、よく生きてたなあ。一瞬遠い目になった。護衛騎士の意味を改めて問いたい。もう会いたくないけど。


 背中を壁につけて、眼下を見渡す。森から出てきた魔物の群れが、無数の赤い光を私に向けて唸っていた。ひいいっ! 多い!


 先程まで私がいた岩場は、すでに彼らに占拠されてしまっている。


 多少なりとも登ってきたのは正解だったみたいだ。彼らは登ってこようとはしているものの、失敗しては地面に落下している。落ちて自滅してくれないかな。


 これなら、登ってきた相手だけを倒せば、聖力を朝まで保たせられるかもしれない。結論に達すると、光の矢を構える。


 魔物に向けて「マルコ! この恨み、覚えてなさいよ!」と叫びながら、次々に矢を放った。

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