第7話「女子会」


「先生って好きな食べ物あるんですか?」

「ない」

「ほんとですか?」

「本当にない」

「焼き魚じゃないんですか?」

「でたそれ。猫だから必ず好きなんて勝手な思い込み。嫌いな子だっているよ」

「まぁー確かに。漫画とかサザエさんのオープニングで植え付けられた思い込みではあるかもです。先生は嫌いな方なんですか?」

「私は好きな方」

「じゃあ手袋完成したらお礼に焼きますよ」

「いい。いらない」


 どうにも先生は欲がない。

 何かを欲しがらない。本当に我が家で温まるだけ。

 編み物の方は大分うまく進んでいる。当初は先生がじーっと私の手元を見ていることが多かったけど、最近ではそれも少なくなった。今みたいに雑談しながら編み物してるなんてことが多くなってきている。


「じゃあ食べ物以外で何か好きなものは?」

「……匂い」


 ――匂い?


「お香とか香水とかですか?」

「そっちじゃなくて季節の。夏の朝とか秋の金木犀とか」

「あーなるほど」

「海や雨の匂いとかも好き」

「海行ったことあるんですか?」

「何回かね。ご主人に連れてってもらった。泳いだりはしなかったけど、ずーっと荷物番させられてた。潮風が気持ち良くて一日中波の音聴きながらボーっとした」

「いいですね」

「あとは食べ物絡みだけど秋とか春にお庭でお魚を焼く匂いも好き」

「わかります。帰り道のごはんの匂いはサイコーです」

「いまどき庭で焼いてるところなんてなかなかないけどね」

「基本おうちですからね」

「うん。あとはカレーの匂いも好きだったりする」

「猫がカレーですか?」

「食べられないけどね」

「食べたらびっくり」

「カレーやシチューは匂いだけでお腹いっぱいになる」

「お鍋はどーですか?」

「匂いよりも音を聴いてる方が好き」

「ぐつぐつぐつって?」

「それと家族の談笑もね。それを聞きながら寝転ぶのが好き」

「コタツの中で丸くなってるやつですね」

「実は中は嫌い。足が当たること多いから」

「子供はおならしますしね」

「そうそう」

「匂いだけじゃなくて雰囲気や音も好きなんですね」

「うん。今の時期なら風のない夜に降る雪が好きかな」

「わかるかも。周りが雪でいっぱいになるとシーンとなりますよね」

「うん。気持ちも静かになる。そんな日はどんなに寒くても夜抜け出す」

「先生の深夜徘徊ってそういう理由もあるんですか?」

「エリちゃんの所や他のお友達に会いに行くのもある。昼はご主人が外出しているときしか出られないし」

「なるほど。友達の家に行きがてらついでに雰囲気や匂いを味わったりするわけですね」

「そ」

「車とか大丈夫なんですか?」

「車道は通らないようにしてる。屋根とか塀を使うわ」

「この町の住宅街なら確かにそれだけで移動は可能ですね。でも雪で滑ったりしないんですか?」

「へーき」

「あ、そういえば」

「ん?」

「魚の話に戻るんですけど、今日ご近所の人が七輪でお魚焼いてました」

「そうなの?」

「はい。仲の良いご近所さんで――」と午前にあったことを話す。それは近所にあるお茶屋さんへ行った帰り道のことだった。



 とある家の敷地を横にして歩いていたとき。美里香ちゃんの声を聴いた私の足は一旦停止した。


「七輪なんて初めて使ったー」


 そして続く声に耳を澄ませる。


「七輪使ってお魚焼いてるところなんて今どき滅多にないよね。家に魚焼き器あるし。なんならフライパンでもできちゃうし」


 今度は竹下さんの声だと、声のする方に向かって歩いていく。そして竹下さんのご実家に無断侵入。


「でもこうしないとね」

「最近隣町に行ってるって」

「え、あそこ車通り多いのに」

「いくら面倒見良くても、ちょっと危ないよね」

「あとで言っとこう」


 そう話す二人の背中に「あぁやっぱり」と声を掛ける。庭で立ち話をしている二人がこっちを向く。

「あれ、佐藤さん」と美里香ちゃん。

「こんにちはー」と私の無断侵入を叱ることなく普通に挨拶してくれる竹下さん。そして二人の間には雪をどけた場所に一台の七輪が。

「お魚?」と大きめの七輪の上を覗く。さんまが三匹。

「ええ。お昼はお魚にしようかなーって、七輪借りて二人で一緒に焼いてたんです」と美里香ちゃん。


「佐藤さんお昼食べました?」

「ご一緒しません? もう一匹ありますよー」


 そう笑顔の二人に言われる。台所でお味噌汁と白米も炊いており、冷ややっこにお漬物付きだと言われてや〇い軒の定食を思い出す。こんなランチに誘われるなんて生まれて初めて。


「ごめん。もう食べてきちゃったの」

「あらら。てっきりお魚の匂いに釣られたのかと」

「いやいや、猫じゃないんだから」


 お邪魔するのは悪いので早々に二人と別れる。そして三匹焼いてたけど、あとの一匹はどうするんだろうという疑問があったが、それは家を出た後に判明する。「あら佐藤さん」と樋ノ内さんご登場。

「二人にお呼ばれしちゃってね」とこれから女子三人でさんまを食べるのだという。さんま女子会。

「それじゃあね」と樋ノ内さんと別れる。


 ――女三人でさんまかぁ。


 雪積もっているとはいえ、今日は快晴のいいお天気。

 女三人が焼き魚を食べるなんてことやってるのはここだけだろう。

 でもそれが、なんとも和む。



「――ってなことがありましてね。お昼まだだったら私も混ざりたかったですよ」

「今度はあなたの方から誘ってみたら? そのご近所さん達も編み物やってるんでしょ?」

「その前にまずはこれを完成させたいですね」とだいぶ形になってきた手袋をかかげる。

 それをじーっと見た先生は「うん」と言ってまたコタツの中にもぐり、私がいるのとは反対側の方へ顔だけ出して目を閉じる。


 そうやって先生が私の手元を見ないことが多くなった。

 私の手も、止まることが少なくなった。


「――そろそろ帰らないと」


 たっぷり温もった後、先生は立ち上がる。

 いつものように玄関まで見送って、そして家を出る前。先生は私を見上げる。


「――また明日」


 それだけ言って白猫は家を出た。

 いつもどおりの言葉といつもどおりの表情で。

 でも、どこか違うなと先生を見送る私は一人玄関の前に佇む。せっかく温まっていた体が冷えていくことをなんとも思わないほどに。

 姿が見えなくなって、少しして、ひんやりした体で思った。


 ――そろそろ。お別れなのかな。

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