第6話「効果はバツグン」
エイミちゃんこと猫先生の指導を受けて1時間が経過。
指導といっても、私の隣に座って口で指示するだけというものだ。
間違った場合は猫パンチが私の腕に飛んで来る。
痛くはない。むしろ可愛い。
また見たいという欲求が出てきて、ワザと間違えてやろうかと思ってしまうほどに……。
「――ねえ、ワザと間違えてない?」
ギクッとなる。二回目でバレた。
「次は顔にパンチするね」
「……はい」
――顔にパンチだと? 猫のくせに。
――よし。ワザと間違えよう。
喰らってみたら案の定痛くなかった。先生優しい。
指導を受けて二時間が経過。
――うそでしょ……すごいんだけど。
自分の動かしている両手が……自分の手じゃないみたいだ。
猫先生の指導は実に的確で効果的。ほとんど進まなかったところは一瞬で終わり、次にぶつかる壁もほいほい切り抜けていく。あんなに悩んでいたのが嘘のよう。
――人間の作った本よりわかりやすいってどういうことよ。
猫に負けた人類という現実。そして編み物界の危機を勝手に感じながらも指導は続く。
そうして二時間が経過したところで「あ」と先生が言い出す。見ると先生は居間の壁に掛かっている丸いアナログ時計を見上げていた。
「そろそろ帰らないと」
「え」
時計の針を見て気づく。いつの間にか日付が変わる時刻だ。
――って、え? 猫って時計見るの?
犬や猫は体内時計じゃないのかと思っていると先生は私の傍を離れ、玄関のある廊下側へと向かって歩いていく。見送らなくてはと私も立ち上がって居間の戸を開け、一緒に廊下へ出る。先生はスタスタと先に進んでいく。
「また来てくれますか?」
静かに歩く先生の丸い背中に問う。正直猫の手が必要だ。
「うん」
背中で先生は答える。そして「まだ全然ダメだし」と追加。グサッと釘が胸に刺さるがほんとその通り……。
「次はいつになりますか?」
「私が行こうと思ったとき」
実に猫らしい。
だからわかりましたと頷く。そのときがくるまでこっちは待つしかない。
「あ、そうだ先生。授業料」
近くにペットフードを売ってるところなんてホームセンターかコンビニぐらいしか知らない。
「コタツで温まらせてもらうだけでいい。ここ休憩所として最適だから」
「え、そんなんでいいんですか?」
我が家は夜に徘徊する先生が一休みする場所として丁度いい場所にあるという。なんて安い授業料。いくらでもどうぞ。
またねと言って先生は玄関の戸を前にする。
「……」
でもそれだけで戸の前で動きがピタッと止まる。じーっと戸とにらめっこしだした。
どうしたんだろうと思ってすぐに気づく。「あーはいはい。どうぞどうぞ」と玄関の戸をガラッと開けてあげる。居間の戸だって開けられないのだ。猫一匹でこの重たい玄関の戸を開けられるわけがない。
「気をつけてくださいね」
「ん」
先生は私が開けた玄関の引き戸からそろりそろりと出て行くと、小さな足跡を残して雪と暗闇に溶けていった。
――帰り道大丈夫かな。
深夜に車はあまり走らない町とはいえ、ちょっと心配。
でも夜の徘徊が好きって言ってたから、夜道には慣れてるだろうし大丈夫か。
――ん? ちょっとまて。ドア開けられないならどうやって次家に入るの?
インターホン鳴らせるならいいけど、できないならまた二階の窓を開けておかなければならないのか。でも次いつ来るかわかんないぞ。
――ま、明日考えるか。
どうすればいいのかわからないまま、その日はとりあえず寝た。
そして翌日の夕方。夕飯の材料を買いに行った帰りにまさかの先生はやってきた。誰もいないうちの玄関の前でお座りをして待っていたのである。
「先生。どうしたんですか?」
「明日お邪魔できるかなって」
「明日の夜ですか?」
「うん」
「大丈夫ですけど、旦那いますよ?」
「あなたの旦那が寝た後で。いつも何時に寝てるの?」
「22時には」
「じゃあ22時過ぎに玄関の戸を叩くから開けてね」
それだけを言って先生は去ろうとする。
「あの、今からウチで温まっていきませんか? これからお鍋作るんですけど」
「いい。あなたの旦那がひっくり返る」
――そうでもないぞ。旦那は私以上になんでも受け入れられるタイプだ。
「それにご主人が帰宅する時間だから。その前に帰ってあげないと」
あーなるほどと納得し、先生を見送ってその日は終わる。
そして宣言通り翌日の夜にやってきた。言われた通りの時刻に玄関にいったら戸をカリカリして。
それから毎日夜の22時ぐらいにやってくるようになった。
必ず旦那が寝た後にやってくる。早く寝ないときは23時になったりすることもあった。どうやら先生は家の外から旦那が今寝ているかどうかがわかるらしい。
旦那が偶に夜中に起きて水を飲みに居間へ下りてくることもあったけど、その際先生はコタツの中へ隠れるようにしていた。
そんなに隠れなくても、うちの旦那なら大丈夫だよと言っても先生は絶対に姿を現さない。
「私がここに来る理由言わない方がいいでしょ?」
「え」
「手袋のこと。バレないようにしているんじゃないの?」
――う、猫に気を遣われるとは。
「……編み物やってること近所では知られているんですけどね。幸いなことにまだ旦那の耳には入ってないみたいで」
「じゃあ急いで仕上げないと」
「旦那に秘密にしてるって先生に言いましたっけ?」
「言ってないけどね。わかっちゃう」
「どうして?」
「サプライズ好きな子は多いから。旦那さんへの愛が伝わる」
「……先生っていくつなんですか? 人間の年齢だったら絶対私より上ですよね」
「残念。あなたよりだいぶ若い。まだ10代の美少女だから」
「なんでそんな秒で見破られる嘘つくんですか」
「猫だから」
声は確かに若い女性。でも話す内容は猫っぽく思えるだけじゃなく、年上の女性っぽい感じを出すことがある。妙齢の女性ってやつか。
ほんとに、なんとも不思議な猫先生だ。
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