第2話 ハーマンに抱きつかれました

 朝早く起こされると、すぐに廊下や階段などの掃除をさせられました。この屋敷はとても広いのですが、それを私も含めて3人のメイドでしなければなりませんでした。メイド長は指示をするだけで、自分ではなにもしない人でした。他の二人のメイドによれば、以前は七人のメイドがいたそうですが、次々と辞めてしまったということです。


「ここで働くにはあまり綺麗だといろいろ不都合が起こるのよ。あなたも危ないわね」


 意味深なことを言われ同情の目を向けられました。


 いったいなにが起こるというのでしょう?


 あまりの忙しさにそのお話もすっかり忘れて、私たちは朝食の準備にかかりました。厨房に行きコックのお手伝いをするのです。伯父様たちの食事や、モクレール侯爵家で働いている人たちの食事を用意するのは大変でした。この広いお屋敷には執事・侍女・侍従もいれば、御者・馬丁・庭師も住み込みで働いているからです。


 慌ただしい食事の準備と後片付けに追われます。やっと、私が朝食を食べることができるのは、皆さんが食事を済ませた後でした。熱々のスープと焼き上がったばかりのパンは、その頃には冷め切っており、放置されたパンの端はすっかり固くなっていたのでした。


 かつての食事の時間は家族団らんの楽しい時間でした。でも、今は使用人専用の食堂で他のメイド二人と冷めたスープをすすります。


「あらぁ。やっと食事にありつけたのね? あんたはこれからも一生メイドなのよ。私と従姉妹なんて思わないことね。大体、私より綺麗なんて生意気なのよ」


 わざわざ使用人専用の食堂にまでやって来て意地悪を言うニコルに驚き、ふたりのメイドたちはそそくさと別のテーブルに移動していきました。

 使用人専用の食堂にはたくさんの丸テーブルが置かれており、自分の好きな場所に座って良いことになっていました。


 その後は各部屋のお掃除をするのですが、メイド長は私にニコルとハーマンの部屋を掃除するように言いました。朝食の時以来、二人のメイドたちは私と目をあわせないようにして避けられている気がしました。


「私がなにか気に障ることをお二人にしてしまったのでしょうか?」


「違うのよ、そういうことじゃないわ。ただ、あんたと仲良くしているとニコル様に意地悪されそうだからごめんね。それに、ニコル様と従姉妹ってことなら私たちとは身分が違うもの」


 せっかく仲良くなれそうな気がしていたのに、今はとてもよそよそしくて迷惑そうにしています。ですが、使用人の立場としたら、私と仲良くするのは得策ではないと思うのも当然なのかもしれません。悲しい思いでハーマンのお部屋を掃除していると、後ろからハーマンが抱きついてきました。


「きゃぁーー、なにをするのですか? やめてくださいってば。放して」


 一向に放してくれないハーマンに困っていると、モクレール侯爵夫人が部屋の前を通りかかり顔をしかめました。掃除中の部屋の扉は開け放してありましたので、使用人たちも私の困っている様子を見かけたはずでしたが、皆見ないふりをしていたのです。


「ちょっと、カトリーヌ! 私の可愛い息子をたぶらかそうとするなんていやらしい。ハーマンはいずれモクレール侯爵になる跡継ぎ息子ですよ。カトリーヌとは身分が違うのよ」


「違います。私はなにもしていません。本当です」


「駆け落ちするようなサーシャの娘ですもの。その綺麗な顔で誘惑したのでしょう? まだ子供のくせに末恐ろしい子だわ!」


 私は優秀な跡継ぎ息子を誘惑する性悪女だと言われました。だったらこの状況を助けてくだされば良いのに、そのまま言いたいことだけを言って、モクレール侯爵夫人は去って行きます。


「お前は俺のものだよ。ふっふっふ。これからが楽しみさ。15才になってもここにいさせてやるよ。その代わり、なんでも俺の言うとおりにするんだ」


 私と二才しか違わないのに、脂ぎった顔にぎょろりとした目、お腹の肉はたぷたぷとしており動くたびに揺れていました。なにより、上から目線で勝手なことばかりを言うハーマンには嫌悪感しかありません。


 私が突き飛ばすとハーマンは大袈裟に騒ぎ立て、伯父様やモクレール侯爵夫人、ニコルもこちらにやって来ます。


「この乱暴者が俺を投げ飛ばしたんです! 凶暴な奴ですよ。お仕置きしてください。次期モクレール侯爵の俺に身の程知らずなことをした女です。俺はなんにもしていないのに」


 一方的に悪いことにされ、私は三日間ほど反省室と呼ばれる地下の窓のないお部屋に閉じ込められました。ここはかつては地下牢だった場所だそうです。じめじめとして、ネズミやゲジゲジがいるお部屋は恐ろしくて、とても寒かったです。食事もパンと水だけで、時折ハーマンとニコルが代わる代わるやって来ては、からかったり罵倒して帰っていきました。


 伯父様は私を15才になったらすぐに追い出すと言い、モクレール侯爵夫人からは足を鞭で叩かれました。その鞭は子供の教育用の鞭でしたが、足が真っ赤に腫れるまで叩かれたのです。


「ハーマンの痛みを思い知ればいいわ。あの子は右腕の骨が折れたと言っているのよ。お前みたいな乱暴者なんて引き取るんじゃなかったわ。私たちの善意でここに住まわせてやっているのに身の程知らずめっ!」


 ハーマンは包帯をして痛そうに振る舞っていましたが、伯父様たちのいない所では平気で右腕を動かしていました。腕が折れたようには思えなかったのでした。

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