051 怒り
教会の正装らしい豪華な衣装を着た銀灰の長い髪の女が足元にいる。
いつのまにかいた、俺に向かって跪いていた女に、俺はどう反応すれば良いのかわからなかった。
感知ステータスに危険は感じない。たぶんいるだろうクーも反応していない。危険はないのか?
腕の中のサーシャはびくんびくんしているだけで説明は何もないし、どうしようもない。本当に。
――どうしようもないから、何もしなかった。
「セイメイ様……何か、私にお言葉を」
「誰だよ、アンタ」
驚いたような顔で俺を見上げてくる美女。
幼卒の小学校中退人間に何を期待しているのか。
「わ、私は……そう、そうです。大聖女アリスと申します」
「そうか。それで」
それで、なんだろう。勝手に侵入したことを怒っているのだろうか。
とはいえ、正門から堂々と入るわけにもいかない。
犯罪者――犯罪者か俺? 不法侵入は違法か? いや、でも俺って指名手配されて……されてたよな? 指名手配犯って、犯罪者だから犯罪を重ねたら、まずいか?
「それで、あー、その大聖女アリスさんが何か」
何かもクソも俺を追い出すために来たんだろう。
俺は文句か何か言うべきかとも思ったが、何かを言ったところで意味がないことに気づいてそういうことは口にしない。
「セイメイ様こそ、私に、何か」
祈るように、請い願うような顔つきで言われてしまう。
え……え? いや、何も。っていうか大聖女ってそもそも何?
「いや、アンタに言うことは何もないけど」
本当に何もない。しかし美女は絶望したような目を俺に向けてくる。えぇぇ……? 何? 怖い。
「あ、あの……私は、その、人が法を世界に敷くそのときより前から、え、えと……人界の守護と調和を……」
俺に向かって、爛々と、熟々とした、どこか熱の籠もった視線を向けてくる美女は口ごもる。
「その、お手を」
「お手を?」
「お手を、つ、繋いでも」
手を差し出してくる美女に対し、俺は「繋いでって……嫌だよ」と言った。
「え?」
「いや、そんな目をされても」
驚いたように、まるで断られることを想定してなかったかのように言ってくる美女。っていうか、なんか長々と言ってたよな。どういう意味だ?
意味不明な言葉によくわからない気分になる。
これが宗教家ってヤツか。マジで厄介だ。
「わ、私は、この国が生まれるより前から、ずっと、ずっと……この世界を、レイドボスや邪神の侵略から守って」
「うん? うん?」
なんだよ、日本より生きてる? 寿命いくつだよ。この女。
人間にしか見えねぇよ、という突っ込みを入れたい気分になる。
あ、でもこの世界って吸血鬼がいるんだよな? クーの寿命って、え? 真祖吸血鬼の寿命って? んん?
(クーって、不老不死ってこと?)
「わ、私は、四千年以上も、この世界を守って、守ってきました」
「ああ。そうなの」
「そ、そうなんです! そうなんです! セイメイ様! 貴方様のために! 貴方様だけのために、私は今日ここまで頑張ってきました!」
ん、と両手を広げて俺に向かって何かを期待してくる美女。だが俺の意識はその美女にはない。
(クーって、外見通りの年齢だよな?)
魔法刻印を操作して、クーの年齢を思わず確認してしまう。
まさかあれで千年以上生きてましたとかだったら学校とか社会生活とか言っていた俺が馬鹿みたいになるからだ。
(あ、9歳だ。セーフ。セーフ)
はー、ドキドキした。びっくりさせないでほしいと頭の中でクーに向かって怒りつつも、自称四千年生きた美女に意識を戻す。
俺に向かって美女は何か期待した視線を向けてくるが、俺としてはこいつがこの組織の偉いヤツだとわかったので特に何か感情を抱くようなことはない。
「そう、おつかれさん」
美女を見ずに声をかけてやってから、サーシャの背中をとんとんと叩いてやって、その辺の椅子に座らせ、インベントリからタオルを取り出すとペットボトルの水をかけて濡れタオルを作ってやってからその額に乗せてやる。
そうしてから柔らかなその髪を撫でる。最高のさわり心地だ。子狼状態のクーに匹敵する手触りである。
(いじめ、ねぇ)
俺も馬鹿ではないので
あれだけの集団に嫌われて味方がゼロってことは、当たり前だが、サーシャが何か悪いことをしたんだろう。
(いや、でも、子供のすることだからサーシャは全然悪くない可能性は――んんー、ない、んだよな)
生理的嫌悪とかそのときの気分でいじめられてる可能性もなくはないが、そういうふわっとした理由でレベル60のサーシャをいじめの標的には絶対に選ばない。
サーシャにするなら無視であって、積極的な攻撃はしないに決まっていた。
(あそこにいる聖女連中のレベルってせいぜい高くても20ぐらいだろ。たぶん)
もちろん鑑定スキルのない俺に聖女たちの正確な強さはわからないが、俺を殺せる奴はいないということは感知ステータスによる直感でわかる。
俺をじっと見てくる大聖女とやらはとんでもなく強いが、それ以外の聖女たちはサーシャより全然弱い。
大聖女以外のこの場の全員でかかっても、砂塵結界を展開したサーシャには敵わない。
だからいじめというよりは、サーシャが悪いことして、嫌われて、反撃されただけなんだろう。
(だからって、俺はサーシャの味方だけどな)
積極的に何かしようとは思わないが、俺は俺をサバイバル生活に追いやった教会の奴らが嫌いだし、サーシャが好きだ。
だからサーシャの味方をすると最初から決めているので、その行動以外をとるつもりがない。感情も動かない。
ゆえに真実サーシャが何をしたかとかは全然興味はないのだが。
(まー、それはそれとして、サーシャには社会生活をきちんと営んでほしいのだが?)
前の小学校みたいに俺がずっと一緒にいてやれるわけではないので、きちんと生活してほしい。
(友達ぐらい自分でつくれ。サーシャ)
クーぐらいじゃんか。お前がちゃんと相手できてるの。
「う、うーん。セイメイ、くん」
イケボで気絶してしまったサーシャが呻いている。その柔らかな頬を指でつつきながら俺は膝を付きながらもにじり寄ってきた美女を見下ろす。
「セイメイ様」
「あのなぁ。お前らがサーシャを連れてったんだから、ちゃんとしてやれよ」
社会生活に馴染めない子供がいたら、ケアしてやるのが大人の責任だろうがよ。
「セイメイ様ッ!! わ、私の話を聞いてください! それに、な、なぜッ! なぜ、その子供なんですかッ! なぜ、私ではなく!!」
何いってんだこいつ。
「別に、孤児院で一緒だった幼馴染だからだよ」
この女を俺は恐れていない。
次元魔法に命数もある。そのうえ俺はとっくに指名手配されている。偉い人間相手だろうと、俺を殺せる相手だろうと遠慮する必要はない。
「そ、そんな、そんなことで!?」
「そんなことって、それが大事なことじゃんかよ」
頭おかしいのかよ、と言おうとして。目の前の美女が宗教集団の偉い奴だってことを思い出す。世間の常識とは違う、独自のルールで生きてる女なんだった。
そもそもなんで俺が様付けなのかわからない――否、思い出す。
そう、そうだった。嘘をつかない奴って聖女相手だと好感度高いんだった。
とはいえ、聖女の好悪を左右するために嘘をつくとかそういうことはしない。
俺は俺の主義のために嘘をつかないだけである。結果として聖女には好かれているが、サーシャ以外には興味がないし、そもそもサーシャのことを好きなのはサーシャが聖女だからではない。サーシャがサーシャだからだ。
ため息をつく。大聖女アリス。大人か。大人なんだよなこいつ。しかも俺の前世年齢を足しても敵わない、俺よりも大人の女。
「なぁアリスさん。大人が子供相手に媚びを売るなよ」
「わ、私は! 私は、今日まで……今日までぇ。うぅ。うぅぅ」
泣き出してしまった美女を前に俺は途方にくれるが、全く心は動かされない。泣くなよ。子供相手に。
「ああ、そう。だから言ったじゃん。おつかれさんって」
「そう、じゃなくってぇ……がんばったね、とか。よくやったとか」
うぅうぅぅ、と泣き出してしまった美女に対して、俺は手を触れようとは思わない。
(蘇生位置変更スキルとかもってたら厄介だからな)
特にヤバイのが素手での拘束だ。それをされれば転移での移動が面倒になる。
クーによる称号効果で俺の魔力は破格の域に至っているから転移魔法自体を使うことはできる。
だが、このレベルの相手だと油断した瞬間に何かされてもおかしくない。
無視しているように見えて、俺の注意は常にこの女の一挙手一投足に向いている。
(っていうか、逃げたいんだけど)
俺の転移方法は次元に穴を開けて、そこに入る形でのワープだから、この美女の反応速度だと一緒についてきてしまうかもしれない。
逃げた先に来られたら普通に怖いぞ。
「はぁぁぁぁ。俺さ、嘘つきたくないから、アンタに対してもおつかれさんとは思ってもよくやったとかは全く思ってないし。てか、マジで誰なんだよって感じしかないぜ?」
「わ、私、教科書にだって載ってるのにぃ。れ、歴史の教科書。載ってるからぁ」
――
俺の口から一瞬、自分の声だとわからないほどの強い感情に塗れた言葉が一音漏れた。
泣いていた美女が呆然と俺を見ていた。怒られたような、媚びた顔。そうしてから俺の本気を読み取ったのか、絶望したような顔になる。
「あ! あ、ッ! あ、あの!」
「黙れッ! 俺はッ――!!」
自分でも驚くほどの怒りが腹の底から湧いている。マジかよ。クーに限界ギリギリまで血を吸われてもここまで怒らなかったってレベルの怒りだ。
頭の中がすーっと冷たくなる。しかし怒りによって口の中が熱くなっている。糞ッ、糞がッ! は!? ありえん! マジで、こいつが! こいつが、それを!!
「お前ら……お前ら教会の人間が! それを言うのかッ!! 何もしてない俺を殺して! 指名手配までかけて! 学校に通えなくしたんだろうが! 俺からお前たちが教育の機会を奪って! お前たちが俺から! 俺から……ッ!!」
サーシャを見下ろす。俺の初恋。きっと高校生にでもなれば振られただろうけれど。俺の二度目の人生での、今でも好きな女の子が寝ている。
あのときに、サーシャが拉致されたときに言った言葉を俺は覚えている。俺が、決別のために言った言葉を。
「お前が、お前が! 俺からぁッ――!!」
サーシャの眦には涙のあとがあった。うめいている。苦しんだのだ。この少女なりに、不器用でも、頑張ってこの新しい場所で頑張っているのに。
それをいじめる。いじめるなんて。とてもじゃないが許せなかった。
俺があれこれと手を出せば、それだけ酷くなるかもしれないから何もできないが、それでも、許しているわけではないのだ。
しかも、この女やそこの隅に突っ立っている司祭服の男のような大人がいる場でいじめられていたのだ。何が。何が。糞。カスだ。
「俺の青春を、俺の青春を奪っておいて。褒めてくれだと。糞だよ。お前が糞だ。ゴミクズだよ。何が、何が人類を救っただ。守っただ。子供一人守れないカスが。何言ってんだ。マジで信じられねぇよ。正気じゃないのかよお前」
いや、人類守ってるとか正気で言える発言じゃないぞ。
ぽかんと俺を見ている女を見ていると自分の発言が馬鹿らしくなってきた。
じわぁ、と女の目に涙が浮かんだがなんの感情も湧いてこない。
俺の好きはサーシャやクーに向けられる感情だ。
だが俺から当たり前の日常を奪った人間には、どんな親愛も浮かべられない。
あそこで雁首揃えてる聖女どもも同じだ。
いちいち嫌いと言ってやる必要も感じられないほどに、俺はあいつらが嫌いだった。
「
怒りのあまりに吐きそうな気分を堪え、俺は次元に穴を開けると、そこに身体を潜り込ませる。
サーシャを最後に見る。
「サーシャに、ちゃんと教育を受けさせろ」
それだけを言う。もちろん様々な心配はある。
だが、俺がサーシャを連れて行ってもまともな
俺に嫌がらせをするためにサーシャを傷つけるとかそういう心配はしていない。
(俺の価値のほうが、サーシャより低い)
石ころを拾うために黄金を使い潰すわけがない。
ゆえに悔しいが、ここに置いていくしかないのだ。
そんな俺を大聖女は呆然と見上げていた。
汚い言葉を吐きたくはなかった。しかし、どうしても感情が漏れ出てしまう。
「子供一人助けられないくせに……何が褒めてほしいだ。
怒りのままに俺は転移前にいた場所に戻った。
――誰もついてはこなかった。
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